笑う撫子


 船には一般客もいる手前、魔物の死体をいつまでも甲板に放置しておくわけにもいかず、海にそれらを落とす作業をしていると数名の船員がやってきた。黙々と半魚人を片付ける少年に船員が礼を言った。


「この船を救っていただきありがとうございます。私は船長をしている者です」


 少年はチラリと一瞥しただけで特に手足を止めなかった。


「別に。俺なんかいなくても魔物の群れをどうにかしたのはそこの二人だし」


 結果として少年の半魚人との戦闘は無駄な行為だった、と思っているようだ。


「むしろ甲板を汚して悪かった。後で掃除をしといてくれ」

「そんなことお気になさらずに。誰一人犠牲にならずにすんだ、お二人にも貴方にも我々は感謝の気持ちでいっぱいです」


 やたらと卑屈になってその感謝を踏みにじるつもりもない少年は、適当に聞き流して話を変えた。


「悪いがやっぱり個室を使わせてもらっていいか。空きがまだあればだが」

「ええ、ございます。ごゆっくりお休みください」


 船員の一人が少年を空きの船室まで案内する。慌ててティアが不満を漏らす。


「私たちには何か言うことはないの?」

「何を?」


 礼を? それならお互い様だ。省略しても特に問題はない。そんな顔だった。


「いろいろ聞いたり話したくはならないの?」

「ならないな」


「一緒に魔物の撃退をした仲じゃない」


 それらのやり取りには首を突っ込まず、船員は自分の仕事のみに専念し少年にこちらです、と部屋を示した。少年は船員に導かれ扉の前でティアを振り返る。


「そうだったか?」


 たまたま結果はそうだったかもしれないが、少年が望んだわけではない。ティアたちの助けがなくとも手はいくらでもあった。つれない態度を貫き扉を閉められティアは不満そうな声をあげた。


「んもー。可愛くないヤツ!」

「ティア。彼はきっとさっきの戦闘で疲れているんだ。休ませてあげないと」


 ***



「信じられるかしら!」


 目をぱちくりとさせたキルが座る前の席でティアは憤慨していた。ここは船のラウンジである。


「自分だけ名乗って逃げていくなんて。どうしてあの魔人は相手の名前を訊きもしないの」


「仕方ないよ、傷が痛くて逃げるのに必死だったんだよ。結果的に名前を知られない方が彼にとっては都合がいいかもしれないし」


 にこにこと落ち着いた様子で受け答えするキルはせっかちなティアに嫌な顔ひとつしない。林檎のタルトが物凄い勢いでティアの口に消えていくのを面白そうに眺めていた。


「ティアは余程彼の名前が知りたいみたいだね」


 途端、うぐ、という濁った声が聞こえた。キルが自分の分のアイスティをティアに差し出すとティアは急いで飲み干した。


「僕も彼とは仲良くしたいよ。何か作戦はないかな」

「どうして私たちを避けようとするのかしら。まずそこからだわ」


 あれこれと話が止まらないティアから視線を外してキルは小さな窓の外を見た。


(名前……あの魔人は、彼が誰なのかわかっていたからあえて聞かなかったのかもしれない)


 ***



「白状しなさい! あなたの正体なんて私はとっくにわかっているのよ」


 バーンと仁王立ちで待ち構えていたティアの横を少年は涼しい顔で通り抜ける。そんな彼の代わりにキルがティアに言った。


「正体がわかってるなら白状させる必要ないよ」

「め、目星がついてるだけなのよ。だから確認したいっていうか」


 まだ何か騒いでいるティアをキルに任せて完全スルーした少年はいつもより爽やかな顔で溜め息をこぼした。


 船内に備え付けのポストには、ファンダリア行きとユーラドット行きの二つの窓口が付いている。船員がユーラドット行きの手紙だけ回収したのを見届けた少年はファンダリア経由の手紙を投函した。


(手紙……誰宛かしら)


 間延びした汽笛が数回。


 いくつか予定外の出来事もあったが、この船旅もまもなく終わろうとしている。ユーラドットの港が見えてきた。近年まで他国との関わりを断っていた国のため、情報は何かと乏しい。新しい貿易相手を見つけた各国からは注目されている国である。


 たくさんの貨物船が出入りする港の様子を眺めていると船内放送が流れた。


『下船の際ユーラドット入国審査が行われます。身分証をご用意になって今しばらくお待ちください』



 ティアはふとキルを思い出す。心配そうな顔で悩んでいるようだった。


「キル。あなたさえ良ければ。私としばらく一緒に旅を続けてほしいの」

「うん。僕もそうしたいよ。でも入国審査でまたこわい大人にダメっていわれるかも」


「大丈夫よ」


 ティアはふんわりと笑ってキルの髪を撫でた。


 ユーラドットの港に着き、ティアとキルの順番が来ても特に何の騒ぎもなく二人は審査を通過して行った。むろん少年も魔導通行手形でほぼフリーパスで通過した。リィデリアよりもスムーズだったくらいだ。



「なぁ、」


 人もバラけ出した場所で二人は少年に声をかけられた。


「なんでソイツまで入国出来たんだ」


「あら? あらあら? 聞いていなかったのかしら? この者は私の召し使い、従者、下僕――それらに準ずる立場として、私にのよ」


 ニヤニヤと勝ち誇った笑顔のティアに少年は少しムカついた顔をしたが、嫌な気分ではないようだった。


「どういうことだ」

「ティアは本物の王族なので、他者に身分を与え保証する特権が認められているらしいです」


 キルがわかりやすく説明をしたが、少年は顔をしかめた。事実王族や貴族は身の回りの世話をする人間を連れ歩く都合上そうした特権がある。だが。


「おーぞく? だれが?」

「私よ、わ・た・し!」


「それはないだろ。」


 少年が真顔で言うのでティアはムキになって、わざわざ身分証を取り出し少年の鼻先に突き付けた。


「近すぎで見えねえよ」


「私は正当なるファンダリア王国、第、七十三、姫子! ティア・マクア・ファンダリア。はじめまして王子様?」


 適当に省略した淑女の挨拶をわざとしてみせるティアに少年は目を白黒させた。


「ファンドリア? 七十三?」


 ファンダリアとは今までいた国の名だ。少年だってそんなことは理解するだろう。


「お前ファンドリア人にどつきまわされてなかったか。自国のお姫様がいたら普通国民は道をあけるだろ」


「私の国はちょっと変わっているみたいでね、百人近くいるのよ」

「なにが?」

「王位継承権の所有者」


 少年は沈黙した。


「だからうちの国民は王家の人間の一人一人の顔なんか知らないし、中には有名な人もいるけど、私は違うわね。エメラルド号のクルーは全員私が王族だって知ってたわよ」


「………………え。ガチの王族?」


 相手が正式に身分を明かした以上、以後の言動について『知らなかった』では済まなくなる。少年は言葉を選ぶことも出来ず真っ白なままの思考がそこにあった。


「王子のお名前をお聞きしてもよろしいかしら」


「……ク、ラウ……」


 観念したらしい少年クラウの額にはうっすら嫌な汗が浮かんでいる。


こと、クラウ様で間違いありませんかしら」


(ティア。笑顔の圧がこわい)


 ニタァ…と笑うティアの顔が恐かった。キルもクラウも魔人と対峙した時以上に嫌な緊張感に包まれ足がすくんだ。どうして話し方すら変わってしまったのか意味がわからない。


 完全勝利、みたいな笑みがとどまることを知らない。



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