嵐のあとで

 甲板に一人立つ少年を静かに睨みつける敵。一見『背の高い男』ただの人間のようにも見える。先程まで少年が切り刻んでいた半魚人は誰がどう見ても魔物だったのに対して、パッと見がカラーズと大差ない。だがその髪は仄暗い嵐の中でうっすらと発光する明るい薄緑のネオンカラー。


 大波に乗って船が上空に最接近した瞬間、長い耳もしくは角状の何かが見えた。


「いつまでそこで見物を続けるつもりだ?」


 少年が空の敵に言葉を投げかけた。波の音が遮って普通の人間同士なら会話にはならないだろう。


「手下が目の前でやられてくのを黙って見てるなんて悪趣味だな。それとも嵐を起こしたせいで魔力切れなのか?」


 聞こえていないのか、聞く気がないのか。半魚人を倒した少年のことは認識しているはずだが、あらぬ方を見ている。やがて他には誰もいないことを察したのか、諦めたように少年に視線を戻した。


(敵との対峙……今度こそ名乗りを上げる場面なのでは?)


 固唾を飲んで見守るティアを、キルが見守る。


「危ないかもしれないけどこっそり覗きに行きましょう」

「じゃあまた甲板前の扉の窓からだね」


 船橋の二人が野次馬根性で移動を開始した。


 その間にも少年と敵魔人の睨み合いが続く。


「前にもお前みたいなやつに会った。けどアイツよりお前の方が強そうだ」

「貴様は我らを見ても恐れないな」


 漸く口を開いた。会話が成立する。少年は口角を上げ不敵な笑みで上空に剣を向ける。


「降りてこいよ」


 魔人は冷めた目で少年を見下ろすばかり。戦う気がないようにも見える。


「俺の剣は、こんな生魚をさばくためにあるわけじゃない。お前みたいな強い魔属が相手ならコイツも喜ぶ」


「貴様と遊んでいる暇はない。我らの王を捜しているのだ」


「王……」


 少年は呟く。


「──魔王?」



 今では実在するかわからない魔王。かつて勇者が倒して以来それ。まさか、冗談だろと言い淀む。


 相手が魔属でなければ口にするのもはばかられるような現実離れしたその問いこたえに、魔人は満足そうに頷いた。



「我々の魔王――そして、憎むべき勇者をな!」



 少年の動きは早かった。光の矢が魔人の右目を貫く。宙に浮かぶこともままならなくなった魔人の身体は重力のままに落下し、甲板に転がる魔物の死体の上に叩き付けられる。


 傷を押さえ呻く、魔人を今度は見下ろす形で少年は言った。



「みつかったかよ?」


 憎悪に満ちた冷たい目は魔人の悪意を上回る禍々しさを秘めている。つい今しがたまで大暴れしていた波は嘘のように静まり息をひそめた。



 ***



「名乗るかしら……今こそ『その時』かしら」


 ティアが小窓に顔を押し付ける隣でキルは少し首を傾げた。


「ここからじゃよくは見えないけど……そんな場面じゃなさそうだよ」

「そうかしら? でも、名乗ってから倒したほうがカッコいいんじゃないかしら?」


 今頃船橋では船員たちが嵐のおさまった海に歓喜して計器をチェックしているだろう。もとの航路から随分流されたはずだ。軌道修正のためにぜひ奮闘していただきたい。それはそれとして、ティアは少年と魔人の一騎討ちに視線釘付けだ。


「魔人相手にも遅れをとらないなんて彼は相当の使い手だね」

「剣だけじゃなく魔法も使ってるわよね」


「魔法……さっきの攻撃も?」


 視界の悪い窓越しにかろうじて見えたのは、上空の魔人を射抜いた光の矢。早すぎてどこから飛んできたのかよくわからなかった。キルは少年の背中を見つめた。



 ***



 魔人は右目を押さえたまま低い声で唸った。


「よくも……人間風情が、我らに刃向かうとは……! 貴様の臭いは記憶した、せいぜい夜も怯えて過ごせ! 我が名はエィヴィ。必ずやこの傷の借りを返す!!」


 そんな捨て台詞だけを残して魔人エィヴィは霧散、残像に少年の剣がすり抜けた。


「……逃げた、か」


 少年は魔人が消えた場所に残った魔物の死体を足で転がした。魔人の姿はもうどこにもない、死体に紛れて隠れたわけではないらしい。忌々しい、と少年は剣を払って鞘に納める。



「え~!?」



 鉄の扉を開けて緊張感のない二人が顔を出した。ティアの声に少年はうんざりした顔になる。


「敵が先に名乗ったわ。しかもカッコよくなかった!」

「……魔人にも名前あるんだな。もう忘れたけど」


「覚えておいてあげなきゃ駄目じゃない。確か……海老だか鯛だかって言ってたわ!」


 ティアの大きな声が、穏やかな海に響いていた。ユーモア溢れる敵だったなら再び現れ名前を訂正しただろうが、そういう展開にはならなかった。


(霧のように見えただけで、まったく別の場所へすぐに移ったのかもしれないな)


 少年は目の前に転がる死体の山に溜め息をついた。


 魔力の高い魔属ならば、倒せば黒い塵になってしばらく漂いやがて消えるが。この半魚人程度ではどちらかというと動物に近い。遺体が残る。


(雑魚を使役する……魔属幹部・魔王の手下だとしても。『捜している』ということは今は『いない』。やはり魔王など現代には幻)


「……いてたまるか」

「今なんて?」


 少年の独り言にティアが首を突っ込んだ。


「いや、ここの死骸片付けんの面倒だなって──ていうかなんでお前たちがここにいるんだよ。危ないだろうが本気自殺志願者。大人しく避難してろよな」


「だって。あなたが素直に自己紹介してくれないから」

「はあ?」


 少年は半魚人の亡骸を何体か掴み引きずって行く。どうやら海に投げ捨てるようだ。キルが真似して魔物を運ぶ。


「そこ。余計なことすんな。まだ息があったら襲われるぞ」

「うん。でも皆きっちり死んでる」

「キルってばそういうとこ肝が据わってるわよね」



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