エメラルド号にて


 無事乗船を果たしたティアは遠くからも見分けやすい赤髪のアルフェラッツに手を振った。小煩いお目付け役ともしばしの別れ、定刻通りの出航だ。


 潮風になびく髪を片手で押さえながら甲板を歩けば、緑のガラス瓶を片手に佇む少年をみつけた。


「さっきはありがとう」

「お前か……わざわざ礼を言われるほどのことはしてない」


 話しかけてくんなよ、と言いたげな不機嫌な顔。ティアは一向に気にとめる様子もなく明るい調子で話を続けた。


「緋色の魔導通行手形なんて珍しいものを持っているのね」


 少年は飲みかけのエール水をうっかり吹き出しそうになった。手続きの列は離れていたし、まさか聞かれていたとは思ってもいなかったのだろう。


「うらやましい。私もほしいくらいだわ、乗船チケットを取るのに身分確認がやたらと時間かかって仕方ないし。緋色の魔導通行手形なら身分を隠したままどこでも行けるものね!」


「……声が、デカイ」

「あら。ごめんなさい」


 デリカシーのない女は苦手だとばかりに少年はティアから目をそらす。と、今度は別の不審人物が少年の視界に入ってきた。


「赤頭──」


 少年の呟きにティアも視線の先のもう一人の存在に気付いた。


 アルフェラッツと同じ髪色、赤髪がふわふわとなびいている。


(え。絶世の美女?)


 ティアが今まで会った誰より可愛い顔をしていたので一瞬女の子だと思った。ほっそりスラッとしたスタイルを覆う長い癖髪。全体的に頼りない儚げな雰囲気がある。そんな子がじっと少年を見ていた。


 あんまりまともに目があってしまったので、少年のほうがうろたえてしまった。


「なん、だよ」


 話しかけてもらえたからか、とてとてと近付いて来た。真っ白な素足にサンダル履の、遠慮がちな足どり。


「あの……今の話。身分を隠したままどこでも行けるって」


 中性的な声だった。美少女じゃなかった。なんと男子。地味に衝撃を受けているティアの心などお構いなしに、お前のせいで面倒なことになっただろと睨んでくる少年。ティアは目をあちこちにそらしながら、魔導通行手形のことを聞いてくる赤髪くんをたしなめた。


「誰でももらえるわけじゃないのよ」

「……そうなんだ」


 気の弱そうな顔がさらにガッカリと憂い沈んだ。そんな顔をされたら世界中が哀しい。雨に濡れた捨て猫みたいでほっとくなんてとんでもない!


 ティアの保護欲に火がついた。


「あなた一人? 到着するまで良かったら私たちと一緒にどう?」

「私『たち』!?」


 何でいつの間に自分もそこに含まれるのか、と少年はあからさまな反感を示す。


「あらいいじゃない。狭い船の上、どこへ行けるでもないのだから」


 ティアは比較的大型なこの客船を狭い船と言い切った。つまり、海の上では逃げ場などないと。


 少年の意思を無視してティアは赤髪くんと和やかに話を続けた。


「私はティア」

「僕キルです」



 そっぽを向いて無視を決め込む少年に、キルがおずおずと尋ねた。


「君はそれをどこで手に入れたんですか」


「は。自分の身分、立場、目的、その他を黙秘出来る。それがこの手形の意味するところだ。――どこで手に入れた、どうして持っている──? お前は馬鹿か」


 役人でさえ訊くことないそれを事も無げに言わないでもらいたい。

 そんな冷めた目で見下されキルは困った顔を作る。


「すいません。君のことを詮索したくてきいたわけでは……」


「俺はお前たちと過ごすつもりもないし、話しかけてくるな」


 冷たく立ち去る少年にティアは小さくあかんべをした。


「信じられる? 普通こんな美少女が困ってたら誰だって親身になるでしょ」

「あの。僕は男なので」

「いいの。わかってるわ。思った以上にガードがかたいわねアイツ」


 ティアは日頃からアルフェラッツの毒舌で慣れているが、キルは超絶美少女顔なので多分そんな冷たい態度をとられたことはないだろう。キルを哀しませるなんて世界が絶望する。


(て、つい頭に血が上ったけど。私彼とお近付きになりたいのに印象悪くしてばかりじゃない? 第一印象どころか第二も第三もいいとこなしの予感)



 少年はティアたちから距離をとった場所で、しばらく外の景色をボンヤリと眺めていた。


 晴れた空。きらめく水面。光の反射を受ける横顔。一人で黄昏ている様が絵になる。どうやって仲良くなろうかティアが思案していると不意にざわめきが聞こえてきた。


「乗客リストにない顔だぞ。どこから潜り込んだんだ」

「密入国は国境警察に引き渡そう」


 ――密入国。


 不穏な響きに思わず眉をひそめる。


「やめてよ。僕どこにも行かないよ」


 見れば二人の船員に腕を捕まれているのはキルだった。


(キル、乗船チケットを持ってなかったの?)


 それであんなに通行手形のことをきいたのか合点がいった。このままではキルが連れていかれる。


「あなたがた、それは勘違いですわよ」


 場を打つような華やかな笑い声が響いた。

 ティアが口許に手をあてて、オホホホと高笑いしているのだ。


 キルも船員たちも、辺りにいた部外者たちさえ皆目を丸くした。離れた場所でも少年があんぐりと口をあけて驚いているのがわかった。若干の羞恥心もあったが後には引けない。ティアは高々と言い放った。


「それはわたくしの下僕しもべですわ! ペット以下の存在ですもの、サービスを受ける権利もありませんわ。ですから乗船チケットも買いませんでしたのよ」


「たとえ召し使いの方であっても乗船の前には手続きをしていただきませんと、」


 案の定船員があくせくしながら説明を開始した。これみよがしにティアは驚いてみせた。


「まあ!? そうですの? 下僕の分際ですのに? ……聞きまして、キル。船の方々はお前を人間扱いしてくださるそうよ」


 まごついているキルが不憫に思えた。手短に済まそう。


「では仕方ありませんわ。そのようにしてくださいまし? キルの分の賃金もこちらで払えばよろしいのかしら」


 本来ならそんな勝手が許されるわけもないのに、船員はティアのあまりのお姫様気質に舌を巻いたのか、キルの分のチケット代を徴収しただけで事を穏便に済ませた。彼らが去るとキルは申し訳なさそうに俯いた。


「ティア。助けてくれてありがとう」

「いいのいいの、気にしないで」


 ところが。


「――お前、自分が何をしたかわかってるかよ」


 少年がティアの腕を掴んでいた。力がこもり、声が低い。静かな怒りを前に、一瞬笑顔を消したティアがでもまた笑う。


「あら、今度はそっちから話しかけてくれるの?」


「ふ、ざ、け、る、な!」


 少年が乱暴に振り払うとティアはその手をさすった。


「ふざけてないわ。何をしたかもわかっているわ」

「わかってねえよ」


 睨み合う二人の間でキルがオロオロと両者の顔色を見ている。ティアは肩を竦めた。


「何よ、他人に干渉されたくないくせに自分からは干渉してくるなんてムシがよすぎだわ」

「巻き込まれるのはごめんだが、目の前の悪事を見逃せるほどおおらかでもねえよ」


「悪事、」


 ティアは小さく笑った。


「キルは何一つ悪いことしてないわよ」


 凛とした眼差しがはっきりと言い放つ。迷いなどどこにもない。まるでそれがあたかも正しいかのように。


「いや、無断乗船は……無賃で、密入国で……」

「行きたい場所に行きたいだけ。悪いことをしたいわけじゃないのよ」


 他国との往来ではどこの誰かを証す為の身分確認がいる。


「『人々を守りたい。そうして措かれたはずの法が逆に罪人を生む。』」


 不意に足元を見て呟くティアの声は独り言のようだった。すぐに顔をあげてティアは少年を見る。


「そうね、法は守らなきゃいけないわ。でも、本来の目的以上に民を縛るのも良くないわ。誰もがお金にゆとりがあるわけじゃないもの、事情があるのよ」

「それで? だから? 独断で? 何様?」


 少年の表情がことさら険しくなった。


「背筋が寒くなるな。頭の中花畑か。賃金恵んで丸く収まりました、そんな簡単な話じゃない。お前の軽薄な行為が、この先どう転ぶか。お前責任取れんのかよ。コイツがもし次の国で問題を起こしたら、未然に防げなかった責任を追求されるのはさっきの船員、この船、関所、――最悪『国』が叩かれる」


 きょとん。


 ティアは少年の顔をマジマジと見てから満足そうに頷く。


「意外」

「何がだよ」


 今自分が責められているということすら理解出来ていないかの態度。少年は話の通じないティアに再び苛立つ。


「国をこんなふうに大事に思ってくれる人がいるのね」


 笑顔を向けられ少年は閉口する。ティアの発した言葉が頭をすり抜け何処かへ流れた。意味がわからずに探す。


 そうしてみつからない答に戸惑っていると隣でキルが呟いた。


「一緒だね。二人とも同じ世界を視てる」


 それによりさらにわからなくなった。ティアもキルも一体何を言ってるのか自分だけがわかっていない。そして目の前の二人は仲良く意思の疎通を喜び合うように笑顔を交わした。


「お前ら一体何なんだ」

「あら、」


 ティアが首を傾げてみせる。


「私たち、まだあなたの名前も知らないのに」


 ティアとキルが少年を見ていた。この状況で自己紹介などどう考えてもおかしい。


「あなたが私たちを気にかけてくれるなら話を続けたいのよ? でもその前に名前くらい教えてくれてもいいでしょう?」


「お前たちを気にかける? 俺が?」


 まるで心配をしているから首を突っ込んだかのように言われ、少年は冷ややかに鼻で笑った。


「お前たちがどうなろうが俺の知ったことじゃない。無断乗船したやつは摘まみ出すべきなんだよ。何なら二人まとめて今すぐ海に落としてやろうか」


「悪は挫く──それがあなたの正義なの?」

「そうだよ」


 少年の気迫に脅えたのかキルはティアの陰に半歩下がる。


「それであなたの気が晴れるなら私は別に構わないけどね」

「なに?」

「海に落とされたって、自分とキル一人くらいなら守れるわ」


「確実に死ぬだろ。さっき知り合ったばかりの奴を何でそんなふうに庇う」

「私には私の目的があってこの航海をしているの。名前も言わない人にこれ以上話せないわ」


 少年はティアの旅の目的など関心はなかった。


「俺が名乗るのは剣を抜くときだ」


 友達を作るために名乗ったことなどない。『誰が何故お前を殺すのか』を知らしめるために名はある――少なくとも少年にとってはそうだ。


 真実をただ吐き出した。そこにティアはスッと線を引くように入り込む。


「今までがずっとそうだったからって、これからもずっとそうじゃなきゃいけないの?」


 少年が茫然とティアを見ていると、キルは静かに告げた。


「僕はね、友達に会いに行くの。古い約束でね。とても大事なんだ」


 聞いてもいないのにキルはポツリポツリと自分のことを話し出す。ぜんまい仕掛けの玩具のように。ツラツラと語る。


「独りは嫌だよ。愛されてたいよ」

「……そんなもの、俺には必要ない。俺は一人でも――」


 少年が言葉を紡ぐより早く、首を振り遮った。言いかけのまま揉み消し、ティアを見据えた。


「お前にはお前の正義があるんだろうが、俺には正しいとは思えない。それだけだ」



 そのまま踵を反した少年に、やがて小さくティアは笑った。


「僕。彼ともっとお話したかったな」

「そうね。私たちを海に突き落とすのは諦めたみたいだけど。とんだ頑固者。全然名前教えてくれないし」


 少年の立ち去った背中を見送りながらティアは呟く。


「あんな堅物とどうしたら仲良くなれるものかしら」



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