出航準備

 結構な距離を結構な速度で突き進んだせいで、乗船場にたどり着く頃にはティアは完全に息が上がっていた。膝に手を付きゼイゼイと肺を膨らませる。


「悪い。思いのほか体力ねえな。大丈夫か?」

「アリ、ガト」


 とてもすぐにはまともな返事が出来そうになかったので、ティアは少年に満面の笑みを作って見せた。痩せ我慢、いえ全然大丈夫ですけど。


「乗船手続きはそこに並んでろよ。じゃあな」


 少年はティアを残してスタスタと奥へ進んでいく。乗船の手続きをしに来たであろう人々は別段多くはなかった。外のあの雑踏に比べればすいているという意味でだ。呼吸が落ち着くのを待ってティアは本日二個目の飴玉を舐めた。


(貴重な飴玉をこのペースで消費するのはヤバいわ。もっと大事にしないと)


 だが体力を取り戻し楽になった。やっと辺りを覗う余裕が戻る。少年は一番遠くの手続きの列に並んでいた。どうやら彼も船出の予定があるらしい。ティアは小さくにんまりしてから近くの聞こえてくる会話に耳を傾けた。


 今日手続きに来ている人の大半は、貨物輸送目的の人が多いようだった。


 それもそのはず。ファンダリアではちょうど今日から三日間かけて盛大な祭りがあるのだ。祭りは歴史や日々の暮らしに感謝する行事であり、祈りでもある。普通であれば皆積極的に祭りを楽しんでからファンダリアを離れるだろう。ファンダリア人でなくともわざわざこの時期に観光に来る者もいる。だというのに、前夜祭すら見ずに今日ファンダリアを発つなど余程の急用でもない限りは変わり者と言える。


 手続きの順番を待つ人々の雑談は、仕事の話、祭りの話、家族の話、隣国ユーラドットの話。


「ユーラドットは商売する分にはいいんだけどな」

「あそこはやめといた方がいい」


 近年まで鎖国していたユーラドットは、どんなお国柄かまだよく知られていない。リィデリアの港からは一番近い国だが、文化は不明。ファンダリア人からの共通認識としては、ユーラドットには魔物がいる、だ。


 どこの国にもいるはずだが、ファンダリアではほとんど遭遇しないので、正確に言うならば『【人前にも現れる魔物】が多数いる国』ということになる。いや。ファンダリアの都心部、第一首都から第三首都──ここリィデリアまでは巨大な結界に覆われている。遭遇率ほぼゼロの絶対安全区域。ファンダリアと他国を同列に語ることはそもそも間違いだ。


 ティアだって自分の目で実際に魔属を見たことはない。安全圏で平和に暮らしてきた。彼は知っている。守られた場所で大人しくママゴトをしていろと言った。背中の剣が物語る。


(それでもね。私はあなたについていくのよ)


 ティアはぐるりと辺りを見回した。今日リィデリアの港からユーラドットへ渡る人々は数える程だ。その多くは何らかの仕事で向かう中年男性。やはりその景色に溶け込まないのはティアとあの少年だけだ。


「次の方どうぞ」


 窓口があいたのでティアは身分証と財布を取り出した。


「ユーラドットへ行きたいの。ファンダリア通貨は向こうでも使えるのかしら?」

「いえ。ユーラドット通貨しか使えません。出航前に換金して……」


 事務的だった職員の手が止まった。身分証とティアの顔を三度見した。


「本人よ?」

「本人だと余計にあれですね……ちょっと上に確認して参りますのでこのままお待ちいただけますか」

「手短にお願い」


 ティアはカウンターにもたれて頬杖を付いた。遠くの列で少年も窓口に進みでるのが見えた。二三やり取りをして何故か別室へ連れていかれた。


(…………なにあれ)


 ティアですらお預けをくらって待たされているというのに、別室。


(ちょっとお行儀悪いけど……ちょっとだけ聞いちゃおうかな)


 待たされて暇だったせいもあり、ティアは自分に言い訳してからそっと目を閉じた。耳に魔力を意識を集中させ、少年のことを思い浮かべる。


(緋色の、魔導通行手形──?)


 聞いた事のない名称が聞こえた。


「おい、クソガキ」

「ぎゃほい!?」


 突然首根っこを掴まれティアは驚いて飛び上がった。


「どんな奇声あげてんだ」


 忌々しいと言わんばかりの苦い表情で赤髪の青年が睨んでいた。


「アルフェラッツ!? びっくりさせないでよ!」

「びっくりはこっちのセリフだ。お前勝手に一人で突っ走ってんじゃねえぞ」


 その時さっきの職員が戻ってきたので、ティアはアルフェラッツをひとまず無視して職員に食い気味に問いかけた。


「ねえ、私ふねに乗れる? 絶対に今日の便びんじゃなきゃダメなの」

「それなのですが、ティア様。ティア様の場合身分証だけではその。国王の許可状はお持ちではありませんか」

「お持ちじゃないわよ。そんな悠長な」


 後ろでアルフェラッツが長ーい溜息をつきやがった。


「俺が。わざわざ。お前のために。直々に。王に頭を下げた、この借りは高くつくぞティア」


 鬼のような笑顔で。アルフェラッツは王直筆のサインが入った書状を突き付けてきた。


「アルフェラッツ……! 過去一かこいち有能マン!」

「過去一は余計だろうが」


 まるで普段は無能のように誉められても嬉しいはずもない。


 アルフェラッツが提示した書状のおかげで必要書類が揃い、職員が乗船チケットを発行した。


「本当にお渡しして大丈夫なのでしょうか……」

「大丈夫よ! 早く渡しなさい」


 心配そうな職員からチケットをふんだくりティアはご満悦だ。


「くれぐれもお気を付けください」

「ええ、心配しないで! アルフェラッツ、こちらの職員さんにチップを弾んでおいて」

「自分で払えよ。むしろ俺にボーナス出せよ」


 文句を言いながらもアルフェラッツはカウンターに金貨を三枚雑に置いた。乗船チケット代の五倍のチップに職員は恐縮してしまう。


「別にあなたお金に困ってないじゃない」

「金じゃなくて褒美としてだ」


 窓口を離れながら二人は会話を続けた。


「確かに今回はいい仕事ぶりだったわね」

「それより。話を戻すがお前一人でどこに行くんだ」


「行き先はユーラドットよ」


 アルフェラッツは絶句した。そして三秒後に青筋をたてて笑顔で凄んだ。


「はああ? 馬鹿ですか、このアホンダラあ。さっきのチケット寄越せオラ」

「やあよ。だって従者の人が来て言ったんだもの。勇者王子は今日の便でユーラドットへ渡るから城へは来ないって」


 そこまで言ってからティアは思い出したように小さく首を振った。


「ううん、こうよ。『今日になって急にリィデリアのお城にゃ寄らずに船で、ユーラドットへ行くなんざ言い出しまして。申し訳ありゃせん。あっしが何を言っても聞きゃしないお人でして』」

「なんだそれ。誇張モノマネか。笑えばいいのか」


「誇張はしてないわ。従者の人、超個性的だった」


 ティアは真面目な顔でアルフェラッツを見た。


「待っていても勇者王子は来ないのよ。こっちから行くしかないじゃない」

「……度胸があるのはいいが無鉄砲すぎんぞ。やっこさんの顔や名前も知らねえだろうが」


「実は既にそれらしい人物を見つけたわ」


 アルフェラッツは目だけで素早く辺りを見回した。


「今はいないわ。ねえ、緋色の魔導通行手形ってなあに?」

「緋色の魔導通行手形! 持ってんのかそいつが」

「そいつとは何よ」


「ヤバ……緋色の魔導通行手形……絶対本人だろ。お前第一印象気をつけろよ」

「具体的には?」

「とにかく気をつけろ」


(だから何にどう気をつけるのよ。ていうか第一印象はもう手遅れでしょ)


 アルフェラッツが完全にキャパシティオーバーでおかしくなってしまったので、ティアは腰に手をあてて不満げに頬をふくらませた。


「それで緋色の魔導通行手形って何なの」

「身分目的その他全てを黙秘したまま権利を享受出来る特別な通行手形だ。国家レベルの組織がバックについて保証している」

「勇者王子はお忍びで各地を渡り歩いているの? なぜ」


 ティアは心底不思議そうに考え込んだ。


「それはわからんが。注目を集めねえ方が便利だったりするんだろ」

「えー。じゃあ私も緋色の魔導通行手形欲しい」

「んなもんすぐに用意出来るわけねえだろ。魔導師が創るんだぞ」

「おぉう」


 ティアが創る魔力の飴玉ですら、一個できるまでに相当の時間がかかる。一日中飴玉創りに没頭できる日があったとして、一日に生成可能な数は多くても三個だろう。魔導術式を組み込んだ通行手形となればおそらく飴玉の何十倍も手がかかる。


「まあユーラドットは危険だが、旦那がいるなら話は別だ」

「ば、」


 アルフェラッツの言葉にティアは一瞬で耳まで真っ赤になった。


「だってお前ガキの頃からずっと勇者王子と結婚するって言ってたろ」

「黙って! もう帰って!」



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