堕落しかけた法律家
中央公園。秋祭りが行われている。様々な店が看板を掲げていて、大人から子供までにぎわっている。
おでん屋の前で、杉三と蘭が、おでんを食べている。
蘭「今年はあてたな。いつもこのお祭りは、雨が降るので有名だったんだ。」
杉三「そうだね、カラオケ舞踊大会もやってるし。」
と、そこへ、色っぽく着物を着こんだ女性がやってくる。
女性「ねえ、お二人さん。」
蘭「なんですか。」
女性「ちょっと来てくれない?」
蘭「ああ、娼婦ですか。おかげさまで僕らは歩けないので、遊ぶことなんてできませんよ。お引き取りください。」
女性「違いますよ、そんな汚い真似はしませんわ。私、こういうものです。」
と言って名刺をちらりと見せる。
蘭「へえ、NPOですか。なるほど。確かに愛情に恵まれない子供はたくさんいますよね。でも、なんで僕たちが、協力しなきゃいけないんですか?」
杉三「蘭、NPOって何?」
蘭「福祉的に働いている会社のことだよ。」
杉三「ぞれがなんだというんですか?」
女性「ええ、あなたのような人に、手伝いをしてもらいたいの。」
杉三「手伝うって何を?」
女性「ええ、うちに来ている子の遊び相手になってほしいの。入所を希望する子供はたくさんいるけれど、人手が足りなくて。」
蘭「でも、僕らは歩けないので、辞退します。」
杉三「僕は役に立ちたいな。」
蘭「杉ちゃん、よしたほうがいいよ。」
杉三「いや、人が足りないんだよきっと。こんな、あきめくらのただの馬鹿でも、役に立つのなら。」
蘭「杉ちゃん、でも、世の中っていうのはね、善人ばかりじゃないんだからね。あなた、何者ですか、名前を言ってください。」
女性「私は、温井立夏と申します。」
蘭「どっかで聞いたことのあるような名前、、、。あれ、どこだっけ。」
立夏「まあ、そんな有名だったかしら。」
杉三「あれ、華岡さんどうしたの?」
と、いつの間にか華岡が来ている。
蘭「ど、どうしてこの祭りに?」
華岡「いやあ、どうしても調べたい人がいて、、、。」
杉三「誰のこと?」
華岡「立夏さん、今度こそ事情を聞かせてくれませんか。」
立夏「だから言ったでしょ、私は息子を殺害しようとは思っておりません。隣のおじいちゃんがぼけてそう言っているだけです。認知症の老人の証言なんてなんの役にも立ちませんよ。」
蘭「なんですか、そんな疑いがもたれているんですか。」
杉三「僕は、この人が殺人を仕掛けているとは思いませんね。第一ここは福祉祭りです。体の不自由な人たちがいっぱい来てるでしょ。本当に息子さんを殺害しようとしているのなら、この祭りにはきませんよ。」
立夏「まあ、うれしいこと言ってくれるじゃない。あなた、名前は何というの?」
杉三「影山杉三です。」
立夏「影山杉三さんね。まさしくそのとおりよ。それに私が経営しているところだって、実在するんだし。早く帰ってくださいよ。警察は。あんたたちのせいで、傷ついた子も来てるんですよ。」
杉三「いったい何をやってるんです?NPOで。」
立夏「学校や職場で傷ついた人を立ち直らせる施設です。」
杉三「フリースクールみたいなところか。」
立夏「ええ。全寮制のね。」
華岡「その経営に息子さんが邪魔になっているんではありませんか?」
立夏「そんなことはありません。息子は私がちゃんと育ててます。もちろん、子供は多いけれど、ちゃんと平等に目配りをしています。もう、ほっといて下さいよ!」
杉三「そうだよ。華岡さん、この人、悪い人じゃないよ。」
華岡「ああ、もう!近いうちに家宅捜索をさせていただきますよ。」
立夏「そんなこと必要ないわ。さっさと帰って!」
華岡「はい。」
と、しょんぼりして帰っていく。
蘭「おい、杉ちゃん、そろそろ帰らないと。」
杉三「え、もうそんな時間?立夏さんのところには、、、。」
蘭「でも、今日は帰ろうよ。お母さんに叱られるよ。」
杉三「ああ、もう夕方だもんね。空が赤くなってるもんね。ごめんなさい。」
立夏「いいわよ。今日はもう遅いのはわかってるわ。じゃあ、連絡先だけ教えてくれる?来てほしい時に、私から電話を入れるわ。」
杉三「僕は、あきめくらなので、読めないのです。」
立夏「じゃあ、お兄さんのほうに。」
蘭「お兄さんじゃありませんよ。僕は。」
立夏「ええー、違うの?二人とも同じ障害があるから、てっきり兄弟と思ったわ。」
蘭「よく言われるけど、違うんです。」
立夏「じゃあ、お名前はなんていうの?」
蘭「伊能蘭。」
立夏「お仕事は?」
蘭「入れ墨師。だから、少年更生施設で働くのは難しいんですよ。」
立夏「いいじゃない!NPOにも和彫りしてる子、たくさんいるわよ。リストカットの痕を消したいからとか。そういう子たちのお話を聞く程度だけでいいから。」
蘭「カウンセリングの先生を探したらどうですか?」
杉三「まあ、いいじゃないか。一度でいいから行ってみようよ。」
蘭「だったら、杉ちゃんの自宅の連絡先を、、、って、読めないのか。それじゃあ、仕方ないな。」
と、手帳を引き裂き、自身の電話番号を書く。
蘭「ここへ電話をください。」
と、彼女に手渡す。
立夏「ありがとう。必ず招待するわ。よろしくね。」
蘭「わかりました。今日はもう遅いんで。じゃあ、杉ちゃん帰ろ。」
杉三「楽しみに待ってるよ。」
蘭「なにか起きなきゃいいけど、、、」
杉三「じゃあね、いつでも呼び出してね。」
蘭「あんまり期待しないで下さいよ。」
立夏「いえいえ、また電話するからよろしくね。」
蘭「はい。」
杉三「またね!」
二人は車いすで祭りの会場を後にする。
タクシーの中。
杉三「この何とか法人、なんて読むの?」
蘭「NPO法人、心の会、代表、温井立夏。」
杉三「どこにあるの?」
蘭「ちょっと調べてみるよ。」
と、スマートフォンを取り出す。
蘭「ああ、確かにあるね。吉原にあるらしい。建物を借りて、学校では教えてくれない授業を展開しているらしい。つまり、国語とか数学とかのありふれた勉強ではなく、農作業をしたり、動物の世話をしたりして、立ち直らせる施設だ。」
杉三「なるほど。」
蘭「そうなると、僕みたいな人は、やっぱりいけないよね。電話して断ろう。」
杉三「僕はお手伝いしたいな。」
蘭「なんで杉ちゃんはそういう危ないところに手を出すんだ?」
運転手「ああ、あそこね。前にその近くを走ったことがあったけど、なんだか変な気がしたよ。」
杉三「変な気がした?」
運転手「ああ、時々男と女で口論している声がしたんだ。それに、洗濯物がほとんど干していない。利用者さんは近隣のコインランドリーで洗濯をしているのを見たことはあったが、本家でそのような風景を見ていないんだ。」
杉三「干すほどの量がないからじゃないの?」
運転手「でも、二人の声が聞こえてくるから、少なくとも二人分の洗濯物があるはずなんだけど、、、。」
蘭「やっぱり変だな。よしたほうがいいよ。」
杉三「いや、行く。」
蘭「杉ちゃん!」
杉三「きっと、だれかその家にかわいそうな人がいるんだと思う。だから手をだしてあげたいの。つらいだろうから。」
蘭「もう、どうしてそういう発想になるんだろう。」
運転手「まあ、杉ちゃんだからね。普通のひととは違うんだよ。でも、一度行ったら、きっとこりごりだって言うと思うよ。」
蘭「そうなることを祈ろう。」
と、ため息をつく。
一方、池本クリニックの、医療相談室では。
ある男性が、弁護士と、看護師を相手に何か相談していた。
弁護士「菅沼さん、それは妄想というものです。実際には、彼を虐待している事実はありません。」
看護師「まあ、認知症の方の妄想というのは、大体あてにならないことが多いのです。ね、菅沼さん、病室へ戻ろうか。」
男性「それなら、警察に捜査を依頼してくれ。そうしないと、あの子がかわいそうだ。」
看護師「あの子って誰ですか?」
男性「ああ、施設長の温井立夏の息子さんだ。隣の家に住んでいるからよくわかる。」
看護師「お名前はなんですか?」
男性「名前?あ、えーと、その、、。」
看護師「ほら、名前が思い出せないのなら、やっぱりその人は実在しませんよ。さ、お部屋は言って休みましょ。弁護士さん、お忙しいときにすみません。認知症の老人なんて相手にしている暇はありませんよね。本当に申し訳ありません。お気をつけてお帰りください。」
弁護士「まあ、社会勉強の一つにはなりましたよ。こういう相談はこれから増えていくと思いますが、正直やりたくありません。もう、呼び出しはしないでくださいね。」
と、礼もしないで医療相談室を出る。と、そこに杉三がいて、出口をふさいでいる。
看護師「もう、杉様、大事な相談の邪魔はしないで下さいよ。」
杉三「偉い人ってそうやってすぐ愚痴をいうよね。まあ、えらいから愚痴を言ってもいいと教育されていたんだろうけど、誰のおかげでえらくなれたか真剣に考えてください。」
弁護士「なんですかあなたは。」
杉三「影山杉三です。ほかに何にもありません。」
弁護士「そうですか。じゃあ、この名刺を差し上げます。」
杉三「あいにくですが、僕は読めないので、読んでください。」
弁護士「弁護士の、里中平太郎と申します。」
杉三「弁護士さんなんですか。それじゃあ、僕たちよりよっぽど偉いんだな。でも、僕は偉い人だからと言って、態度を変えてしまうのは、いやですよ。だって、相手がいないと、何にもできない職業ですもの。」
平太郎「まあ、それはそうですね。杉三さんのいうことももっともです。じゃあ、カフェで話を聞きましょう。」
看護師「本当に申し訳ございません。この人、自閉症なんです。」
平太郎「ああ、わかりました。大丈夫ですよ。」
と、看護師に目配せし、二人で病院のカフェに行く。
病院のカフェ
杉三「一体、なにについて話していたんですか?」
平太郎「ええ、認知症の方、まあ、こういってもわからないと思いますが、その方と、お話を。」
杉三「何についてですか?」
平太郎「何にって、言う必要もないでしょう。あなたには、わからないでしょうしね、法律のことなんか。」
杉三「僕は、答えを知りたいから質問したんです。ほかに目的はありません。」
平太郎「似たような方ですな。認知症の方と大体同じだ。認知症の方の妄想を聞いていました。それだけです。」
杉三「僕は、認知症ではありませんよ。似たような方ではありません。」
平太郎「それを知ってどうするんです?どうすることもできないでしょ?」
杉三「いえ、答えを知りたいから質問したんですけど。」
平太郎「答えなんか聞いたって、あなたには意味などないでしょう?」
杉三「僕は答えを知りたいんです。」
平太郎「しつこいな。」
杉三「ええ。答えを知りたいから。」
すると、カフェの入り口が開く。
華岡「おう、お二人さん、ここで何をしているんだ。」
一瞬、ポカンとなる平太郎。
平太郎「なんで、華岡警視がこちらにくるんですか?」
華岡「里中さん、菅沼さんのことについて、伺いたいことがございまして。
ちょっと署まで来てくれませんかね。」
杉三「その前に僕の質問に答えてください。菅沼さんと何を話していたんですか?」
華岡「おお、それをちょうど聞きたかった。杉ちゃんが同じ気持ちなら、協力してもらおう。」
平太郎「まったく、、、。」
華岡「まったくじゃありませんよ。弁護士さんなんですからこのような事実にあたることもありますよ。菅沼さんと何を話したのか、教えてください。」
平太郎「はい、菅沼の話では、彼の隣の家に住んでいる、温井義一君が、所在不明になっているというのです。しかし、調査したところ、彼の戸籍は現存していますし、彼の扶養手当は、しっかりと払われていますから、所在はしているのでしょう。」
華岡「で、実際に、温井立夏のところには行きましたか?」
平太郎「いえ。でも、ちゃんと調書は見つかっていますから、大丈夫でしょう。」
杉三「それはダメ!紙切れなんて、簡単に燃えてしまいますし、何度でも書き直すことは可能じゃないですか。」
平太郎「文盲のあなたがどうしてそんな発言ができますか?」
杉三「いえ、バカの一つ覚えです。」
華岡「この一つ覚えは、間違いではないかもしれませんよ。何しろ、戸籍を変えるのは、昔に比べたらよっぽど楽になりましたからね。弁護士さんなんですから、そういうところはもっと専門的にやってもらわないと、こちらも困ることがたくさんありますので。もう少し、菅沼の発言を聞いてやってくれませんか。」
平太郎「そうですが、弁護士も楽ではありませんよ。刑事さんのほうが、よほど精通しているはずじゃありませんか。話をするなんて。」
杉三「もう、二人とも!称号に振り回されないでよ!もし、いやなら僕がやる!」
蘭「なにバカなことを言っているの!」
杉三「いや、だってみんな称号に振り回されて、やる気がないなら、バカの僕が手伝うよ。ばかは、称号なんて持っていませんよ。だから、いくらでも、協力して差し上げますよ。」
蘭「どうしてそういう発想になるんだよ、杉ちゃんは。」
杉三「だって本当のことだもの。」
華岡「ありがとな、俺たちも、杉ちゃんの言葉で救われたよ。もしかしたら協力をお願いするかもしれないね。俺も、警察官なんだからなあ。じゃあ、とりあえず、息子さんの現状を調べよう。本当に、ひどいことをされているのかを確認するのが第一だ。」
平太郎「僕は何をするのがいいんですか?」
華岡「もう、今どきの若者らしい、指示待ち人間だ。そうしたらですね、菅沼さんの話をもっと掘り下げて聞いてください。」
平太郎「わかりましたよ。報酬は?」
華岡「事件が解決したら考えましょう。」
平太郎「わかりました。想定外のことですから、必ず報酬を支払ってくださいね。」
華岡「はい。」
蘭「杉ちゃん、君は本当に偉いのか馬鹿なのか、よくわからないよ。」
華岡「蘭、君も協力してくれ。頼むよ。」
蘭「わかったよ。」
と、大きなため息をつく。
住宅街。小規模な家屋が立ち並ぶ、いかにも金持ちが多そうなところである。どの家でも洗濯物を干しているが、その中に全く洗濯物を干していない
家が見える。
玄関のドアノブをつかむ手。派手なネイルをしている、女性の手である。
女性は、家の中へ入っていく。家の中には、スリッパが二つある。一つは男性用、もうひとつは女性用。
彼女は台所に行く。茶箪笥の中には高級なペアのマグカップ。皿もかわいらしいものがたくさんある。しかし、茶箪笥の端には、犬のごはん皿のような形の物が置かれている。
彼女は、机の上に書類を置く。そこには、NPO法人心の会と書かれた封筒。それを開けると、入所申込書と書かれた書類が入っている。
彼女はその書類を開く。その中には、子供が、幼い時には素直ないい子だったのに、今は家庭内暴力をふるい、親としての命が危ないなどと書かれている。
富士警察署、刑事課
刑事「警視、いま戻りました。確かに、温井立夏には息子がいるそうです。でも、この五年ほど、彼は近所の人の前に、姿を現さなかったようです。」
華岡「生きていれば、いま何歳になるんだ?」
平太郎「確か、三十になるはずでは?」
華岡「三十か。学歴や職歴は?」
平太郎「ええ、国勢調査の通りなら、彼は調理学校に行ったはずです。」
華岡「調理学校?男にしては珍しいな。」
刑事「警視、今時ですから、若い男も料理をしたがりますよ。それに、一流レストランのシェフはみんな男じゃないですか。」
華岡「そうか。一流レストランなぞ、行ったことはないからな。」
刑事「警視は庶民派ですからね。で、料理学校を卒業したあとは、ファミレスで働いていたことも確かなようです。」
華岡「どこのファミレスだ。」
刑事「ああ、それはまだ確認がとれておりません。もう少し、調べてきます。」
と、部屋を出ていく。
平太郎「まあ、それがわかれば、もう、僕の出番はありませんね。」
華岡「と、なるといいんだけどね。」
平太郎「ええ、そうなるはずですよ。これだけたくさんの情報が出たんですから。言葉より、紙に書いたほうが、真実は増しますからな。」
華岡「そうなる確率は、きわめて少ないですよ。この仕事をしているとね、それがわかってくるようになります。」
平太郎「そうなんですか。まあ、いずれにしろ、僕の勤めももうすぐ終わりますね。」
華岡「まあね。」
一方、杉三の家。杉三と蘭、美千恵が夕食を食べていると、インターフォンが鳴る。
声「こんにちは、宅急便です。先日注文していただいたモップをお届けにあがりました。」
美千恵「はいはい、今行きますので、」
と、財布を持ち、玄関に行く。
美千恵「まあ、ずぶ濡れじゃないですか。大丈夫ですか?」
配達員「いえいえ、もう慣れてますから。」
美千恵「せめて、体を拭いてください。杉三、タオル持ってきてあげて。」
杉三「わかったよ。」
と、タオルを持って、玄関に行く。
杉三「はいどうぞ。」
と、配達員にタオルを手渡す。配達員は急いで顔をふく。
配達員「本当にありがとうございます。今日はもう、お宅で最後だったので、うれしいです。」
杉三「何件回ったんですか?」
配達員「ええ、40件くらいかしら。」
杉三「どこら辺を回っているんですか?」
配達員「まだ、従業員が少ないから、富士市全体を回っています。」
杉三「じゃあ、タクシーの運転手さんより詳しいかな?」
配達員「まあ、お世辞がお上手ですね。」
美千恵「代引きでしたよね。モップの値段は、おいくらでしょう?」
配達員「ええと、1200円ですね。」
美千恵「じゃあ、200円がないから、1500円でいい?」
配達員「今おつり出しますよ。」
と、いい、用意した財布を取り出そうとするが、その拍子にカバンが倒れ、顧客リストが出てしまう。
配達員「す、すみません。いま、片付けますので。」
と、急いでかき集める。
美千恵「ここにもありましたよ、大変ですね、吉原までまわるんですか。」
配達員「はい。まあ、人がたりないのですよ。」
美千恵「しかも、個人取引ではなく、心の会さんとも取引してるんですね。」
配達員「ええ。やってますよ。でも、あそこは正直に言いますと、、、。」
杉三「ああ、何かあるんですね。」
配達員「そうんなんです。建物の中で泣いている人がいました。僕はまだ、独身ですが、あんなにひどい泣き方をされると、きっとものすごい厳しいんだろうなと勝手に考えていましたけど。じゃあ、モップはこちらですね。何かまた、ほかにほしいものがありましたら、いつでもお電話をお待ちしていますので。タオル、ありがとうございます。」
と、杉三にタオルを渡して一礼し、玄関から出ていく。
二人、食堂へ戻ってくる。
美千恵「心の会と取引するなんて、運送会社も大変なのね。」
蘭「そうですね。心の会って、どんなものなんですか?」
美千恵「なんか、問題のある子供を預かって、立ち直らせるための施設よね。家庭内暴力を治すことで有名らしい。でも私、前にお孫さんが心の会に入所したという、おばあさんからきいたことがあるのよ。すごく厳しいんですって。体罰は当たり前だし、中には精神疾患で脱退した生徒さんも大勢いるみたいよ。まあ、もともと暴力的な人を預かるところだけどね。」
蘭「そうですか。それも間違いではないと思いますが。」
美千恵「まあね。それをまねて心を強くするとうたっているから、お年寄りは、若い子にそういうことを学んでほしくて、入所させたがる人が多いみたいね。」
蘭「なるほど。鳥かごの中のカナリアというわけか。」
杉三「ちょっと変なところだね。」
美千恵「まあね。でもそうしなければ立ち直れないってのが問題よ。それよりも、そういう子は、少なからず傷ついているんだから。」
と、湯呑にお茶をつぎ、一気に飲み干す。
池本クリニック
菅沼「どうですか、捜査は始まりましたか?」
平太郎「いえ、始まっておりません。だって事実ではないからです。」
菅沼「なんで、いつまでもはじめてくれないんだ!義一だって、あんなにひどいことをさせられて!」
平太郎「義一君は、立派な料理人になっています。調べたところ、かとうというレストランで働いているそうですよ。」
菅沼「いや、かとうはとうの昔につぶれた。」
平太郎「何年の何月何日につぶれたんですか?認知症じゃなかったら、記録できるでしょうに。」
菅沼「えーと、えーと、」
平太郎「ほら、やっぱり。認知症だ。もう、僕は忙しいので相談は終わりにさせてください。いいですね。」
菅沼「だったら、はやく義一をひどい目に合わせている、あの女を捕まえてくれ!」
平太郎「弁護士は、暇人ではありません!もう、これ以上呼び出さないでくださいね!」
看護師「ほら、菅沼さん、お部屋に戻ろう。」
菅沼は、頭を抱えて泣いている。看護師はそれを強引に立たせ、無理やり病棟に連れていく。
と、そこへ池本院長が現れる。
平太郎「院長、相談はこれで終結となりました。おそらく、菅沼は認知症です。肝心なことを覚えていないようなので。」
院長「お願いがあるのですが。」
平太郎「はい?」
院長「証拠付のため、そのかとうという店の写真を撮ってきてくれませんか?」
平太郎「そんな暇はありせんよ。」
院長「だから、相談をなるべく短くするためにです。それをみせれば、認知症の患者さんでも、早く理解することができます。」
平太郎「はは、そうですか。それなら承知しました。では、さっそく写真を撮ってきます。」
と、悠然として病院を出ていった。
道路。ぴかぴかの高級車に乗った平太郎は、カーナビの目的地にかとう打ち込み、車を走らせる。彼を導いたところは、最初は市街地であったが、建物は少しづつ消えていく。
平太郎「あれ、おかしいな。ここに大学が立っていたはずじゃ、、、。」
しかし、そのようなものはどこにもない。ぽつりぽつりと住宅が並ぶだけである。
平太郎は車をとめ、近くにあった家のインターフォンを押す。
平太郎「すみません、この近くにかとうというレストランがありませんでしたか?」
おばあさん「あら、あなた何者ですか?」
平太郎「ああ、弁護士です。」
おばあさん「何かの事件を調べてるの?」
平太郎「ええ。その証拠として、かとうという店の写真を撮りたいのです。」
おばあさん「ああ、先月つぶれたわよ。今年から大学が撤退していったから。そこの生徒さんでにぎわっていたんだけど、撤退してからはだめよね。
どこかに、出て行ったんじゃないかしら。」
平太郎「その建物はまだ残っていますか?」
おばあさん「もう取りこわしたわ。子供の遊び場になってますよ。」
平太郎の中で何かが走る。もしかしたら、、、。
平太郎「あのですね、かとうという店で、温井義一という人物が、働いていませんでしたでしょうか?」
おばあさん「よく覚えてますよ。今時の子よりも、あんたさんより、ずっと真面目で、いい子でしたよ。」
平太郎「義一はいま、どこにいるのでしょうか?」
おばあさん「働きだして間もないうちに、病で倒れてやめていったみたいだよ。」
平太郎「病で倒れた?」
おばあさん「そうだよ、」
平太郎「どこを病んだんです?」
おばあさん「そこまでは知らないよ、あたしだって、こちらに越してきたばかりだし。ここは、都会生活に疲れたひとが、よく越してくる地域だからね。」
平太郎「じゃあ、誰に頼めばいいのですか?」
おばあさん「ここの、町内会の会長にきいてみて。玄関に会長と、書かれた貼り紙がしてあるから、すぐわかる。」
平太郎「わかりました。どこに住んでいるんですか?」
おばあさん「左にまっすぐいって二キロ先。」
平太郎「わかりました。じゃあ、いってみます。」
と、車に乗り込んではしりだす。
しばらくは平坦な道路であったが、道はどんどん狭くなっていき、さらに、補整もされていない砂利道になる。
平太郎「ああ、もう!」
と、一度車を道脇にとめる。
すると、一人の老人が、隣で畑を耕している。
老人「そんな派手な車でよくきたな。」
平太郎「あの、町内会の会長とは誰ですか?」
老人「わしだよ。」
平太郎「では、温井義一という男性をしっていますか?」
老人「知っているよ。この村を気に入ってくれて、いつかは永住したいとよくいってくれた。色々手伝ってくれて、今時の若者とは偉い違いだった。でも、病気にかかってしまったからな。彼は、感性は素晴らしいが、体は丈夫ではなかったからね。」
平太郎「では、彼の親御さんのことで、記憶していることはありますか?」
老人「まったく、変な親もいるもんだ。食べ物をつくるより勉強のほうが大切なんだって。なんだか更生施設をやっているそうだが、自分の息子を病気にさせておいて、そんな仕事ができるはずはないのにね。」
平太郎「そうですか。」
老人「まったくだ。あんまり期待すると、子供が早死にすると、わしは何回も警告した。たしか、かとうがつぶれて、母親が引き取ったという話は聞いたが、それ以来何も知らせが来ないので、生きているのかも心配で。」
平太郎「戸籍もありますし、扶養手当を引き続き受けていることはこちらで把握しています。生きていますよ。」
老人「何をして生きているのだろうか。心配だなあ。」
平太郎「他人が首を突っ込む必要はないですよ。情報ありがとうございます。」
と、車を無理矢理動かして村を出ていく。
富士警察署
刑事「そうですか。かとうがつぶれていたのは、本当にあったんですね。」
声「しかし、お役所にいきましたが、ちゃんと扶養手当は支給されていますから、大丈夫でしょう。」
刑事「わかりました。先生。どうもありがとうございます。」
声「じゃあ、これで終わりですね、ありがとうございます。」
華岡「ちょっとまて!」
刑事「なんですが、警視。」
華岡は受話器をひったくる。
華岡「かとうがつぶれたなら、じゃあ義一は何をして生きているんだ?」
声「もう、あつくならないでくださいよ。きっと、母親の脛をかじって生きているんじゃないですか?いまのだらしない若者みたいに。」
華岡「しかししかしだ。なぜかとうをやめたのかは聞いたか?」
平太郎「ああ、なんだか病気にかかったとかですよ。きっと、今どきの若者がかかる、精神疾患という、甘え病でしょう。」
華岡「そうとも言い切れないぞ。ちゃんと、病名は聞いてくれたか?」
平太郎「してません。もう、任務はすぎたではありませんか。これは警視に頼まれた用事ではなく、池本院長に頼まれたことですから、関係ないですよ。」
華岡「それじゃ駄目じゃないか。ちゃんときかなければ!」
平太郎「あのですね、弁護士は刑事ではございません。なんで調べなきゃいけないんですか?」
華岡「だったら、温井の家に行ってみろ。どこにあるかなんて言わせないぞ。」
平太郎「そこまで、契約はしていませんけど!」
華岡「だったら、温井の家に行け!この甘ったれ、」
と、ガチャン、と、受話器を落とす。
刑事「警視、電話が壊れちゃうじゃないですか。」
華岡「すまん、ついかっとしてしまった。」
刑事「そんなんだから、女の人が誰もよってこないんですよ。」
華岡「うん、、、。」
富士駅。駅前交番にいって、温井親子の住んでいる家を教えてもらい、平太郎はそこまで歩いていく。
平太郎「ここか。一見すると、変わらないじゃないか。」
平太郎は玄関のインターフォンを押す。
声「どちら様ですか?」
平太郎「あれ、聞いたことがある声だなあ。」
と、インターフォンに耳を近づけると、
声「なんであの人がくるんだろ。頼りない弁護士さんでしょ。」
声「杉ちゃん、それはいってはダメだよ。」
平太郎「あの二人!最悪、、、。」
声「最悪で悪かったね。わるいけど、あんたを義一くんにあわせる気は毛頭ないよ。せめて、楽にいかせてやるという誓いは破りたくないよ。最悪なら来ないで。」
平太郎「楽にいかせて?」
杉三「うん、もう仕方ないんだって。」
平太郎「仕方ないって何が?」
蘭「杉ちゃん、僕が引き取ってもらうようにいうから、杉ちゃんは彼のそばにいってあげてよ。」
杉三「だったら僕がいく。」
蘭「いや、」
突然、玄関ドアがあく。
すごい剣幕の杉三が車いすで玄関を塞いでいる。
平太郎「杉ちゃん、通してくれないかな。」
杉三「嫌だ。僕はどかないよ。」
平太郎「これから、事件の話をするから、あきめくらの君は、パニックするかもしれない。」
杉三「だったら、どかない!」
平太郎「他人にどれくらい迷惑か、わからない?君のせいで捜査が進んでいないんだよ。義一くんが、証言したら、事件は早く解決して、また平和に生活できるんじゃないかなあ。」
杉三「僕は、彼が苦しまずにいくという誓いを叶えてあげたいんだ。」
平太郎「いく?どこにいくの?」
杉三「からかわないでよ!」
と、涙を流し始める。
平太郎「え、、、。」
蘭が、玄関先にやってくる
蘭「すみません、弁護士さん、かえっていただけませんか?かれは、もう持病が進行してしまい、あとはもう道はひとつしかないんです。杉ちゃんは、そんな彼にたいして、最期の最期まで苦しむべきではない、そう思ってるんですよ。みんな、苦しんで死にたくはないでしょう?」
平太郎「苦しんで死にたくはない?」
杉三「はい。皆さん異口同音におんなじこというからね。じゃ、お引き取りを。」
平太郎「じゃあ、かとうをやめたのは」
杉三「まさしく。心臓を病んでしまって、すぐ悪くなったそうで、最期はここで迎えたいから、戻ってきたんだって。やっぱり、家族のそばにいたいんだよ。」
いやそうな顔をする平太郎。
蘭「本日はおひきとりください。」
と、外へ平太郎を閉め出してしまう。
平太郎「ちょっと、待ってください。いったいどういうことなんです?説明してくださいよ。」
杉三「説明なんかしたくないよ。あんたみたいな人に。心の会についても話したくはない。あそこは、 僕の母ちゃんの話によると、監獄みたいなところだったらしいから。」
平太郎「監獄みたいなところ?」
蘭「いわゆる、感化院といっても、更生するどころか、と言われていたそうです。」
平太郎「じゃあ、温井立夏や、温井義一は、今どうして、、、。」
蘭「僕らは、義一君のお手伝いをしているだけで、お母様の話は知りませんよ。」
声「待ってください。」
杉三「出てきちゃダメじゃないか!」
平太郎「な、な、なに!」
持っていたカバンを落とす。そこにいたのは、まぎれもない温井義一であった。
杉三「僕らが追い返すから、君は寝ていればいいんだよ!」
義一「いえ、話します。」
義一は、壁でバランスをとっている。がりがりに痩せ、腕は割りばしのよう。
平太郎「じゃあ、話してください。早く、この事件を終わらせたいので。」
義一「では、こちらにいらしてください。」
と、居間に平太郎を招き入れる。
居間。平太郎と義一が向かい合って座る。
平太郎「もったいぶらないで手早くお願いします。こちらも暇人ではありませんので。」
義一「ええ。母が、心の会という施設をやっています。目的は、問題を抱えた子供さんたちを預かるのですが、それがだんだんに、子供たちに暴力をするようになって、」
平太郎「例えば、どんなことをですか?」
義一「殴るけるは当たり前でした。食事をきちんと出さなかったこともありました。それは、家庭内暴力を、抑えるためのもので、よく、目には目をとか口にしていました。暴力をふるうのなら、まずそれを体験させるんだって。」
平太郎「まあ、更生施設だから、その厳しさもあるんじゃないですか?」
義一「ええ、それはそうでしょう。でも、それが始まったきっかけは、僕がこうなったからでもあるのです。」
平太郎「こうなったから?」
義一「ええ。母は、自分の子を病気にしているのに、他人の子供を更正させられるはずはない、と、さんざん言われてきて、その憂さを晴らせなかったのです。だから僕も、治療にはほとんど参加せず、このまま死んだほうがいいと思っているんです。そうすれば、母もほかの人から、何も言われなくなりますからね。だって、家庭内暴力をふるう人たちを立ち直らせるのに、自分の子供が心臓で死ぬなんて、ちゃんと育ててないって、批判が飛びますよ。」
平太郎「それもおかしいですね、なんで息子であるあなたが、お母さんのために死ななきゃならないんです?誰でも生きている権利は保障されているはずですよ。」
義一「でも、誰かが死ななければ、生きていけない人だっているんです。よく、作家とかでもいますよね。生きているときより、死んだほうが有名になった人。」
平太郎「わかりませんな。他人のために死ぬなんて、あなたの人生はどうなります?あなただって、まだまだ生きていたいでしょう?そう思いませんか?」
杉三「あのね、彼はお母さんのためを思って死のうとしているんだよ。それって、お母さんが本当に好きで、お母さんのこと、応援しているからそういう態度になることができるの。」
平太郎「はあ、でも、あなたはまだ若いのだし、これから生きて行けば、まだ可能性もありますよ。それをなぜ、放棄するのですか?誰だって、人間、死にたいと思う人はいないはずだ。そうですよね?」
杉三「あーあ、これだから上流階級の人としゃべるのは嫌なんだ。そういう人ってさ、きれいごとを平気でいえる経済状況だから、そうやってかっこいいセリフを言えるんだよね。でも、僕たちは馬鹿だから、その通りには動けないんだよ。でもさ、人間って、自分の目でしか物は見れないから、そうやってきれいごとを通す人になっちゃうんだ。」
義一「そうですね。命を大切にしよう、とお偉い方はよく言いますが、それができない人もいるんです。僕みたいにね。」
平太郎「しかし、お母様の事業は、更生施設ですから、もうからないということは、、、。」
蘭「だったら、お母様の職場に来てくれませんか?」
杉三「うん、それがいい。義一君、君も行く?」
義一「ええ。少しの距離だったら歩けます。」
杉三「じゃあ、行こう!」
蘭「タクシー出すよ。」
平太郎「車ならありますけど?」
蘭「いえ、僕たちはセダンには乗れませんので。」
と、スマートフォンを出して、ダイヤルを回す。
タクシーの中
運転手「昨日、心の会に警察が入ったそうだよ。もしかしたら、あそこも閉店かな。」
杉三「もう閉店?」
運転手「まだわからないけど。でも、入所希望者は多いらしい。家庭内暴力が後をたたないんだろうね。」
平太郎「希望者が多いのに閉店ですか?」
運転手「まあ、行ってみればわかる。」
まもなく、「心の会」と書かれた看板のある建物が見えてくる。
杉三たちは、正面玄関の前で、運転手に降ろしてもらう。
蘭「ありがとうございます。帰りも乗せてくれます?」
運転手「わかりました。領収書に電話番号がありますので、お電話をください。」
蘭「わかりました。」
杉三「じゃあ、入ろう。」
と、インターフォンも押さずに、勝手に入ってしまう。
杉三「こんにちは。」
受付「入所希望ですか?」
杉三「見学だけさせてもらおうと思いまして。」
受付「わかりました。お入りください。」
全員、中に入る。
中は、教室棟にあたる建物と、広い畑。
声「こら、こんな問題もできないのか!」
と同時にぴしゃん、と竹刀を振り下ろす音。
声「罰として、今日の夕食は抜きだ。覚えてろ。」
声「もう三日くらい食べていません。」
声「うるさい!だったら勉強ができるようになれ!どうしても腹がすくなら、川の水を飲んでこい!」
と、人が倒れるばたっという音。
声「たて!そんな演技をして、救われると思っているのが大きな間違いだということを知れ!」
声「だって三日間何も口にしていなかったら、こうなるんじゃないですか?」
声「うるさい!だったらお前も夕食は抜きだ。俺たちが若いころは戦争をしてたから、三日間食べ物を口にできないなんてざらにあった。それがいやなら、いますぐ川の水を飲んで来い。」
と、人が立ち上がり、廊下を歩く音。そしてガチャンと戸が開いて、一人の青年が、外へ出てくる。げっそりと痩せている。
杉三「だ、大丈夫?」
青年は、なんの反応もしない。
杉三「もし、よかったら、弁当でも食べようか?」
青年「いえ、結構です。川の水を飲めば何日かは持ちます。」
蘭「川の水は汚いよ。何か食べなさい。」
青年「いえ、そうすると、他人に甘えてしまうからやめろと言われていますので。」
杉三「それはないよ、だれでもご飯を食べることは必要じゃないか。」
青年「いえ、自分で金を稼いでいない人間は、川の水で十分だと、先生が言っていました。だから、そうします。それに、誰かから勝手に食べ物をもらったら、もっとすごい罰が下ることになります。それではいけないから、川の水を飲みます。これは、僕たちが大人になるための指導だから、川の水をありがたく思わなければ、、、。」
義一「ごめんなさい!」
と、いきなり両手をついて、すすりなく。
義一「母が、こんなに恐ろしい事業をしていたなんて、本当に申し訳ないです。」
青年「いいんですよ。僕はどうせ、地球のごみと言われています。だから、実社会に戻っても、何もできないでしょう。どうせ、学校でいい点数を取れなければ、実社会では幸せになんかなれないんですよ。だから、ここで最期を迎えられれば、それでいいです。」
蘭「誰かに助けてもらうことはできないのですか?こんな施設に来るよりも、もっといい更生施設を探すとか、カウンセリングの先生を探すとか。いくら何でも川の水を飲んで、三日もつなんてひどすぎます。」
青年「ええ、でも、社会に出たら、川の水どころか、雨の水を飲まなければならなくなるといわれています。」
蘭「それは洗脳というものです。雨の水を飲むなんて聞いたことありません。」
青年「いえ、違います。僕たちは、大人を憎むという、許されないことをしてしまいました。それをなおすには、自分に厳しくしなければ、僕たちは生きていけないっって先生が。それに、僕たちの面倒をみてくれるのは、俺たちだけだから、ありがたく思えと。」
杉三「じゃあ、ここに、法律の先生がいるから、聞いてみましょうか。」
青年「法律?」
杉三「今の言葉が真実か聞いてみよう。ねえ、先生。」
青年「いえ、法律なんて!」
杉三「どうして?」
青年「助けようと思わないでください。僕たちはここにいるしかないんです。家に帰ったってどうせ、父も母も、愛してはくれませんよ。だからこそ僕をここに入れたのですから。どうせ、ダメな人間ですから、ここで死んだほうが家族には迷惑をかけないで済みます。だから、ここがつぶれたら、居場所がなくなりますので、もっと厳しくなるでしょうからね。」
蘭「それは間違いですよ。誰だって生きる権利はあります。本当は子供が問題を起こしたら、解決させるのは親の仕事ですよ。苦しいなら堂々と言っていいはずです。」
声「こら、早く戻ってこい!」
青年「はい、すみません!」
と、引き返そうとするが、足が躓き、座り込んでしまう。
義一「どうしたの!」
青年「いや、足の筋が詰まったみたいで、、、。」
義一「足を延ばして座って。そして、足の裏を引っ張れば、」
と、青年の足の指をつかみ、足の裏を伸ばしてやる。
義一「どう、痛い?大丈夫だよ、すぐに治るから。」
と、足をもみほぐしてやる。
青年「ありがとうございます。もう大丈夫ですよ。」
と、立ち上がろうとするが、ひっくりかえってしまう。
声「こら!何をやっている!早く戻れ!」
杉三「いやです!」
声「誰だお前!」
と、バアン!とドアが開き、太った教官が現れる。酒のにおいがする。
教官「うちの寮生に手を出すなんて、一体何をしているんだ?」
杉三「手なんか出してはいませんよ。僕は、この人がかわいそうだから、助けてあげただけです。川の水をご飯にするなんて、何ともかわいそうで極まりない。そういう施設が、更生施設なんですか?」
教官「ああ、それはですね。」
急に丁寧な口調になる。
教官「子供の自立を促すためです。昔は、子供なんてものはほっとけば育つという言葉だってあったんです。親が子供に手出しをしなかったからこそ、子供は育ちました。でも、現代になって、あまりにも身の回りが豊かになりすぎたせいで、少子化が進み、まるで子供が神様のような時代になった。親だって、少ない子供のためにといろんなことをしているけど、それが過剰すぎる時代になったんで、このように子供が育たないのです。しかし、次の日本をになうのは私たちではなく、子供たちです。学校ごときで傷ついて何もしない人生をしていたら、日本の国は滅びますよ。だからこそ、ここでは、厳しさが必要なんです。」
杉三「僕はわかりませんね。そんなこと。だって、それができるひとばかりではないでしょう。もしそれが正しいのなら、僕みたいな存在はどうなるんです?」
教官「はい、あなたのような人こそ、強制労働が必要ですよ。歩けないからって、甘えてはなりません。よく、学校であなたのような人を大切にしろと言われるでしょうけど、それに便乗してはだめだと思います。いくら障害があっても、甘えてはいけません。」
杉三「僕は、読み書きができない、、、。」
教官「それならすぐにここに入って、ひらがなでも読み書きできるようになってくださいよ。誰かに読んでもらおうなんて、甘えてはだめですよ。障害のある人ってのは、それだから嫌なんだ。善人でもないのに、そうやって勝手に他人を頼ってくるから。」
杉三「じゃあ、どのような人が善人とお考えですか?」
教官「ええ、すべてのことは自分でやり、だれにも迷惑をかけずに生きることができる人です!」
杉三「それは誰が決めたんですか?」
教官「誰かが決めたということではなく、当たり前のことですよ。」
杉三「じゃあ、無人島へ行って一人で暮らせるのが善人だと?」
教官「そんなたとえなんかいりませんよ。」
義一「杉三さん、もういいですよ。先生、早く指導へ戻ってください。僕は近いうちに消えてなくなりますもの。そうすれば、きっと邪魔者もなく、指導ができますよ。僕みたいな人がいるから、先生たちの指導がうまくいかなくなるのですよね。そうですよね、他人の子供を育てるのに、自分の子供がこんな大病じゃ、何もできないだろうって言われるのも仕方ないですよ。
それではいけないでしょうから。お世話になりました。」
と、ふらふらと、歩き出す。
杉三「どこに行くの!」
義一「杉三さんありがとう。最後に僕のことを擁護してくれてうれしかったですよ。でも、もう、終わりにします。それが母にとっても、この施設の世利用者さんにとっても、一番いいのなら。」
蘭「終わりにすることが、一番美しいはずはありません。それはいけないことです。」
義一「いえ、僕がいけないから、僕が人生にピリオドを打ちます。」
蘭「でも、それはいけないですよ!自殺は、最高のわがままともいわれるじゃないですか!死ぬ以外に解決方法はないのか、それを考えたほうが、、、。」
義一「でも、もういいんです。」
教官「そうだな。そうしてもらいますよ。何しろ、あなたのせいで、入所希望者が入れないということもありますからね!」
義一「ですよね。」
杉三「こういうのは、法律ではなんていうんですか?」
平太郎「え?」
杉三「法律の力で止めることはできないんでしょうか?」
平太郎「確かに自殺ほう助として、逮捕されることもありますよ、、、。」
杉三「じゃあ、義一さんの自殺を認めたら、僕らも捕まるの?僕は母ちゃんもいるし、仲良しもいるし、、、。捕まったら、この人たちと、二度と会えなくなる。だから、自殺ほう助はしたくないな。」
青年「本当は、みなさんじゃなくて、僕たちが生まれてこないことが、一番幸せな時代なんですかね。自分というものを持つために、こうして、手のかかるものは捨てないと、ここでは生きていけないのでしょうか、、、。」
平太郎「誰でも生きる権利は保証されています。」
青年「いえ、そんなことは絶対にありません。だって、今いるところから判断すると、僕たちは早く死ぬのが一番だと教えてもらっているようにしか感じないのです。学校に早くなじんでいい成績をとるのが、まるで生きるために用意された免許証のように見えるのですよ。」
蘭「どこの世界でも、日本の教育はおかしいんですね。それから救おうとしている施設なのに、自殺しか救いの場がないとは。」
杉三「だから言ったでしょ、弁護士さん。そうやって法律を口にするだけでは、いけないの。」
平太郎「わかりました。では、ここを調査させていただきます!」
教官「なんだ藪から棒に!」
平太郎「ええ、この施設が、本当に厚生施設になっているのか、それを調査するのです。いまから、抜き落ちで行いますよ!」
教官「どうぞしてくれ!」
平太郎「じゃあ、入りましょう。」
蘭「僕は、義一君に何かあったらいけないので、タクシーで待機しています。杉ちゃんと二人で行ってください。」
杉三「わかったよ!」
杉三と平太郎は、建物に入っていく。中に入ると、教室のような部屋がある。そこで、何人かの利用者が、問題集と格闘している。
教官「はい、やめ!」
全員鉛筆を置く。
教官「答えを配るから、自己採点し、提出するように!」
と、全員にプリントを配る。利用者たちは、赤ボールペンで○×をつけていく。
教官「なんだお前は、半分しか丸がないじゃないか!」
その利用者は、答えが間違っていたらしい。
利用者「はい、理解できなかったからです。」
教官「馬鹿者!」
と、竹刀で彼を思いっきりたたく。
教官「いいか、社会に出たら、理解できないからといって、何かをしてもらうことはできないんだ!それなのにその程度しかできないのなら、もう、お前はここから飛び降りて死ね!お前の腐った心を雨がきれいにしてくれるだろうから。」
杉三「ひどいよ!」
教官「ひどいどころか、社会はこのくらいのことはたくさんあるんだぞ。俺たちは、お前たちが社会に出ていけるように導いてやっているんだ。お前らはすでに、親御さんから捨てられたんだ。親を憎むこともあるかもしれないが、それよりも自分がどうしたらいいのかを考えろ。すでに、お前たちは必要な人間ではないのだぞ!それをクリアするには、甘えを殺せ!できないのなら、生きている必要ではないという神様のありがたい思し召しと考え、ここで死ね!」
一人の女性が立ち上がる。
女性「ころしてくださああああい!」
と、言いながら、教官にとびかかる。教官も負けずに彼女の髪を引っ張る。
杉三「やめてください!こんな風に言ったら、かわいそうすぎます。」
教官「なんだお前!」
杉三「僕は、あきめくらのただの馬鹿です。彼女に自殺をさせるのなら、まず僕を何とかしていただきたいですよ!」
すると、利用者たちが次々に声を上げる。
利用者「なんだ、文字も読めないのか。この人は。」
利用者「先生、この人に文字を教えることはできますか?できないなら、目の前で、彼を殺害して見せてくださいよ。文字を読めないのなら、かれは僕らより、早く死ぬべきではないんですか?」
利用者「彼はどこかへ勤めているんですか?先生は働けない人間は、30までに死ねとおっしゃっていましたね。親が病気になるからって。でも、彼は30どころか、40を越している年恰好ですよ。」
利用者「ねえ、あなた、何かできることあるの?文字が読めなくても。」
杉三「ええ。カレー作りと、裁縫と、古筝ならできます。」
利用者「じゃあ、勉強は?」
杉三「あきめくらにできるわけないですよ。でも、料理とか裁縫は、文字でなくてもできるから。」
利用者「逮捕歴は?」
杉三「ありません。」
利用者「病院で長期入院して、帰れなくなるとかは?」
杉三「ありません。」
利用者「麻薬密売や、振り込め詐欺集団に入ったことは?」
杉三「ありません。」
利用者「先生、先生は勉強ができないと、いま列挙したことのいずれかに入って、自殺をするしか生きる道がないっていって、料理や裁縫のようなものはやっても意味がないと散々おっしゃっておいででした。でも、彼は、読み書きができなくても、列挙したところには属していないようですし、悪い人間にはなっていないように見えますが、どうでしょう?」
教官は、何も言えなくなってしまう。ほかの教官もやってくるが、利用者たちが、このような発言を聞き、。唖然としている。
利用者「彼のような人が存在するとしって、僕たちは先生方の指導が間違っていたことを知りました。ここにいても意味はないと思いますので、帰らせていただきます!」
と、次々に教室を出て行ってしまった。まるで、出エジプト記に出てくる、割れた海を歩くかのように。
と、同時にドアがいて、エジプト軍ではなく、華岡達をふくめた警察がやってくる。
華岡「今の言葉、しっかり録音させていただきました。それでは家宅捜索に入らせていただきます!」
と、怒涛のごとく飛び込んでいく。
次々に、書類などが押収されていき、教官たちは何も言わないでただ茫然としている。
華岡「杉ちゃん、お膳盾をしてくれてありがとうな。里中さん、これでやっと、宿題が提出できますね。紙切れのことだけじゃ何も理由にならないってよくわかったでしょ。」
平太郎「しかし、なぜ杉三さんたちは、温井義一さんとそこまで親密になったのですか。しかも、ここへ来れるような身分ではないでしょう?あきめくらのくせに。誰かが、あなたを導いたのだと思いますが、それしか考えられませんね!」
杉三「菅沼さんです!」
平太郎「菅沼が、ここの住所も電話番号も、この施設のことを全部知っていたのですか?」
杉三「バカの一つ覚え!菅沼さんが病院の中で、しゃべっていたことを、みんな聞き取ったらここにたどり着きました!」
平太郎「どうやって?」
蘭「確かに、杉ちゃん一人ではできないのは事実です。かれは確かに、読むのも書くのもできないので、聞き取ってすぐに住所に結び付けるのはできないのは認めます。だから彼は、このディスクにすべて録音し、僕が、それを照合してここを突き止めました。菅沼さんは、最愛なる息子さんと、あの施設に閉じ込められている、生徒さんたちを救おうと、僕たちに、お願いをしてきたんですよ。」
と、一枚のディスクを差し出す。
平太郎「だから、認知症の人を、信用してはいけないと。それに、非行少年も、これからは善悪を教えるために罰則を厳しく!」
杉三「じゃあ、そのあと、その人たちがどうなるのか、しっかり責任をとってくれますね!彼らが、怒りが抑えられなくて自殺をしても、もう一度同じ彼を、いや、これまで以上に良い彼を作り出すことができるんですね!そんなことができるようになったら、こういう施設もなくなるし、かわいそうな扱いもなくなるし、みんなが幸せにくらせる社会を作ってくれるんですね!」
平太郎「それは、、、。」
杉三「それを、実行してからそのセリフ、いうべきじゃないですか!」
華岡「今回は、あなたの負けです。」
平太郎は、がっくりと肩を落とす。
華岡「ありがとうな。蘭。そのディスク、捜査の資料として、もらっておくよ。今回は本当にどうもありがとう。これで、苦しんだ生徒も、本当に救ってもらうことだってできるはずさ。さあ、これから、とりしらべだ。」
と、頭をかきながらパトカーに乗っていく。ほかの刑事たちが、教官たちを引き連れていく。
杉三「僕らも、帰ろうか。」
蘭「そうだね。」
義一「なんだか、吹っ切れましたよ。それに、隣のおじいちゃんが、まだ僕のことを心配してくれていたって、信じられませんでした。母がしでかしたことは、法律ではいけないかもしれないけど、でも、母は母です。気が付いてくれるのをいくらでも待ちます。」
と、そろって施設を出て行こうとする。
平太郎「待ってください!」
杉三「どうしたの?」
平太郎「入り口に段差があるから、介助いたします。」
杉三「へえ、でも、何とかするよ。」
平太郎「でも、お二人とも大変でしょうから。」
蘭「ああ、なるほど。それなら、手伝ってもらおうかな。」
平太郎は杉三の車いすに手をかけて、施設の正門から出してやる。そしていったん戻り、今度は蘭を同様に出す。
蘭「成長したね。」
平太郎「ほんの少しだけですけど。」
義一「いえいえ、僕たちみたいな人は、そういう行為が何十倍もうれしいとおもうものですよ。」
三人、笑いながら施設の正門を出ていく。平太郎は後ろを振りむく。立派な施設は、まるで廃墟のように見えた。
平太郎「じゃあ、みなさん、お帰りのお手伝いをしますので。」
杉と蘭のシリーズその弐 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます