木曜日は思い出をすっからかんにしたこと。

 せっかくのワンピースを、ミルドレッドはすぐに脱いでしまった。

「使わないものはすべて処分しようと思っていたけれど、これは、保留にしておきたい」

 マキカは頷く。

 Use it or lose it.ユーズイット オア ルーズイット 使わないものは捨てましょう。

 この1週間はいかにミルドレッドにモノを捨てさせるかに心を砕いていたけれど、捨ててはいけないものも人間にはある。ここまで捨ててきたのは「捨ててはならないもの」をカウンシルに捨てられてしまわないためだった。

「二階がずいぶんきれいになったよ」

 ミルドレッドに聞かされたが、マキカは階段の上り下りがまだできない。次々に運び出されるプラスチックの箱とゴミ袋から部屋が空っぽになりつつあるだろうということは想像できたが、自分で目にすることができないのは歯がゆかった。

「あとは——」ミルドレッドはちょっと自慢げに胸を張った。「両親の家具や物も処分しようと思う。母が亡くなってから、そんな気にもなれずに放っておいたままだからね」

 大きな決断だった。この家に数多く残る両親のものをどうするかについては、今までどれだけ話してもラチがあかなかったのに。

「引き取りのあてはあるんですか?」

「ゾンビのヴィッキーが、懇意にしている古道具屋と連絡を取ってくれたよ」

 どうやらアディントン博物館の学芸員兼支配人ヴィッキーの二つ名は「ゾンビ」に決まったようだ。母親にそんな二つ名を与えるとは全くもって罪作りな5歳児だ、トーマスは。

 と、マキカは無責任に考えた。最初にその二つ名を使ったのは自分だということはすっかり忘れることにした。(*1)

「でも、それじゃあ、ご両親の残されたものに手を加えても大丈夫だってことですね?」

「——いったい今度は、何を考えているんだい?」

 ミルドレッドが笑い出した。こんなにコロコロ笑うミルドレッドを見るのは初めてだ。

「あのですね、ミルドレッドのご両親って背が高くありませんでしたか?」

 マキカが言うと、ミルドレッドは頷く。

「そうだよ。うちはみんなわりと背が高くて、何で私だけこんなに低いのかって思うほど——でも、何でわかったのかい?」

「作り付けの戸棚が、高いんです。どれも。男兄弟がたくさんいらしたっておっしゃってたから、昔はしょっちゅうモノを取ってもらっていたんじゃないですか?」




 台所や居間のゴミが片付けられ、スペースが出来始めた頃から気になっていたのだ。ミルドレッドの家は建築そのものは19世紀のもので、天井が高い。居間には、その高い天井まで届く作り付けの棚があったが、動かすことのできない固定棚が、ほんのわずか、高いのだ。両親が内装を変えたのがミルドレッドが子供のころで、それ以来基本的にはあまり手を加えていないと言っていたけれど、1930年代ぐらいの内装だったら普通、棚はもう少し低い。おそらく背が高い人間の多い家族で意識的に、高いスペースを使えるような棚配置にしたのだろう。




「本当、2インチに満たないぐらいの差ですけど、この高さはほんの少し、あなたには収納しにくいと思います」

「——言われてみれば、そうだ。お皿を並べたりなんだりは兄さんたちが結構手伝っていた」

「背が高い人が多い家だと、高いところまでしっかり使える収納が合理的ってこともあるんですよね。というか、背が高い人たちは、背が低い人達の手が届く範囲をあんまり把握していないことが多いんです。——大人が子供に片付けができないって文句を言うときなんて、結構それが理由だったりするんですよ」

 マキカは頷く。

「ですから——ちょっとここに座って見てくれませんか?」

 マキカは持ってきたノートを、ソファの隣に腰掛けたミルドレッドに見せる。

「こんな感じでどうでしょう? 特にキッチンとユーティリティルームを考えてみたんですが、どちらも手が届きやすくなるように、棚を1.5インチ下げます。その代わり、少し深さを出しましょう。ユーティリティルームの方は、カゴを使っているようですから、深さを出しても、カゴの手前が引っ張れればモノは取り出せます。」

「キッチンの棚も深くするんだね?」

「はい。1930年代に比べると、今の方がディナープレートが大きくなってきているんです。もしかしたら、今後はもうちょっと大きくなるかも。ですから、ご両親の食器を処分して買い換えることを本気で考えているんであれば、ある程度深さを出した方が、収納はしやすいと思います」

 あとは、食器洗い機も導入したい。ミルドレッドの予算次第だけれど、この家は、まだまだ住みやすくなる。

「まずは、何に囲まれて暮らしたいのか、決めましょうね。そして、そのあと、まだこの家で暮らしたいんだったら、いくらでも住みやすくするための収納のお手伝いはできますから」

「——わかった。それじゃあ、せいぜい急いで選別するとするかね」

 老婦人は、目に見えて明るい表情でソファから立ち上がった。

「急がないと、いつお迎えが来るかわからないからね」

 ——ですから、そういう反応に困ること、言わないでください!

 マキカの目がちょっと泳ぐ。本当に、ここしばらく思っていたけど——食えないばあさんだ。



 ピンポーン。


 ドアベルが鳴った。ドタドタと玄関へ駆け寄ったのはサンディだろうか。

「まあああ! ビングリーさん! こんにちは。今日はどうなさったんですの?」

 ——隣人がやってきたらしい。文句をつけに来たのかと思ったが、その割に、サンディの声の調子はにこやかだ。どう聞いても上機嫌な声にマキカは思わずミルドレッドを見る。

「サンディ、あの子……またやったね……」

 ミルドレッドが低い声で呟いた。

 えっと。

 何をしたんでしょうか。

 何で、あの茶色フリースまだらハゲゲス野郎が、わざわざこの家に来ているんでしょうか。

 ていうか、「」って、何ですか? なんか怖いんですけど?!


「まあああ! お手伝いをしてくださるなんて、それは申し訳ないわぁ! ありがとうございますぅぅ!」


 サンディの上機嫌な声は家中に響き渡り、二階の作業音が一度ストップする。聞こえるのはトリシャのヘビメタラジオだけだ。(*2) ミルドレッドの教え子連中が全員聞き耳を立てているに違いない。


「本当、素晴らしいわ! あの、それじゃ、庭に積み上がっているリサイクル用の空き瓶の洗浄をお願いしてもいいかしら?」


 ——しれっと、結構な汚れ仕事を押し付けやがった。

 マキカは内心舌をまく。


「あ、あと、生垣の刈り込みも、できたらやっていただけると……」


 その上、情け容赦なく仕事を増やすつもりらしい。マキカは思わずミルドレッドに目をやる。ミルドレッドはマキカと目を合わせ——ウィンクした。(*3)


「あたしの教え子は曲者ぞろいでね」


 まったくです。ミルドレッド。誰に似たんでしょうね?









 ==========

(*1)最初にその二つ名を使ったのは自分だ

 大人って汚い。


(*2)ヘビメタラジオ

 マキカを始め、周囲の人間たちに音楽に対する知識が著しく欠如しているため、本当はヘビメタではない可能性の方が、高い。


(*3)ウィンク

両目をつぶってました。

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