木曜日にとても遅れたプレゼントが届いたこと。
「戦争で亡くなった方達より、生き残った人たちの方が、ずっと長く辛い、大変な思いをすることだってありますよ」
マキカは大量に運ばれてくる2階からの衣料を仕分けながら言った。大量の子供服に、一番反応したのは教え子たちだった。みんな子供時代にミルドレッドから何かをもらっていたのだった。作業をしているマキカの耳にも思い出話が聞こえてくる。懐かしそうに大声で語られる彼らの話は、戦後のイギリスで、この地方都市での生活が決して楽ではなかったことをマキカに教えてくれた。家族手当が導入され、福祉国家が打ち立てられても、日々の暮らしを戦っていた記憶。がっくりと肩を落とした大人たちの背中の記憶。
子供時代に魔法のように、暖かいセーターや外套を「貸してくれた」ミルドレッドが、実はそのために安い子供用の古着を買いためていた、と知った時、教え子たちは全員一瞬平手で打たれたような顔をした。特にファイナンシャルアドヴァイザーがすごかった。魔法使いの舞台裏にあっけにとられ、ほんの少し涙を浮かべたかと思うと、キュッと唇を結んだ。(*1) そして驚くほどのスピードで、仕事に取り掛かったのだ。おかげで1階のミルドレッドとマキカは仕分けに大忙しだ。
「だって、人生はずっと続いていくし。生きていく人間の苦労だって、大変なものです」
そんな彼らの話を思い浮かべながらのんびりと、マキカが言葉を続けると、ミルドレッドが眉を寄せた。
「——マキカ、あんたは私に認知症の気があるとでも思っているのかい?」
ミルドレッドの声は本気で訝しんでいるかのようだった。
「まさか!」
マキカはびっくりして否定する。
「こんなにいろいろ頭が回る人がボケてるなんて思ったこともないですよ」
「それじゃあ」
ミルドレッドはマキカの目を見据える。
「18歳で泥水を飲まされるような戦いに巻き込まれて——毒ガスか、爆弾か、銃弾かはわからんけど、どう考えてもろくでもない方法で殺された男が、80歳まで平和で豊かな国に永らえている女よりも楽な思いをしたなんて、なんで言えるんだい?」
ミルドレッドは怒ってはいなかった。ただただ、不思議に思っているようだった。マキカは返す言葉もなく、手を止めてミルドレッドを見る。
「……ごめんなさい。考えなしでした」
「——謝って欲しいんじゃないんだよ。みんな、そう言ったけどね。死んだ人よりも生きている人間の方が大変だって。——でも、あたしにはどうしてもそれがよくわからなかった」
半ば自分の思い出と語り合っているようなミルドレッドの風情に、マキカは口を閉じる。
「これだけの物が簡単にこんなにたくさん買えちまうほど、豊かになったんだね、この国は」
ミルドレッドは、独り言のように、目の前の服の山を見る。
でも。
これだけの服の山がありながら、ミルドレッドが身につけるのはスーツケースの中の数枚に過ぎないのだ。
「よし、このオーブンは古いから難しいぞ。やってみろ」
オーブン清掃会社からは一人、ひょろひょろした青年がやってきた。
「できますよ、おやっさん。この型は初めてじゃない」
青年は肩をすくめるとオーブンの前に屈み込んだ。長い足が狭いスペースに窮屈そうだった。
「うん。ここで作業できるかな。すみません、テーブル動かしてもらっていいですか」
「バカ! 依頼人に頼むんじゃねえ。目を使え、ここのお嬢さんは足を引きずってるだろう?」
「あ……」
青年はちょっと赤面した。
「それから、名刺の一枚も出せ? このお嬢さんがプロフェッショナル・オーガナイザーだ。
最後の言葉はマキカに向けられていた。青年のことが気になって仕方がないような親方。微笑ましい関係だ。
「あ、あの。これ、俺の名刺です」
青年はごそごそと腰ベルトの道具入れを探った。油汚れのついたヨレヨレの名刺が出てきた。
「半年後には独立します。よろしくお願いします。あの——俺、前科あるんですけど、心を入れ直して働いてますから」
「……自己紹介をしろとは言ったけど、そこまで言えとは言っとらんだろうが」
社長は頭を抱えた。
「ま、でも、俺もミルドレッドの婆さんに、お世話になったんですよ。若くていろいろやってた頃にね。一度前科がついちまうと、誰かが目をかけてやらないとなかなかまっとうな道に戻れない。——こいつは正直で働き者でいい男ですよ。真面目で腕もいい。しっかり仕込んだんでね。それは私が保証します」
あ、この人も前科があったんだ。
マキカは、ふと気づく。
「そう。……ま、俺も色々助けてもらって今があるんで、うちでは、できるだけ正直でやる気のある若い奴をとろうと思っててね。ミルドレッド婆さんが言うように、
男はニマッと笑った。
「社長、テーブルのそっちの端、持ってくれませんか? 動かしたい」
聞き飽きた話なのだろう、青年は事務的に言う。それからマキカに満面の笑みを向けた。
「新品みたいにピカピカにしてみせます。おやっさんの恩人のオーブンだって話だし。独立のお礼だと思って精魂込めますから安心しててください」
「あの、こんな箱が出てきたんですけど」
大切そうにしまわれてあった箱を持ってファイナンシャル・アドヴァイザーが降りてきたのは、その日の午後のことだった。厚紙で出来た箱には几帳面な字で「ミルドレッドに渡すこと」と書いたメモが貼り付けてあった。メモを避けて、拭いた跡がある。隣に興奮した顔つきで立っているトリシャが乾拭きをしたに違いない。
「父さんの字だね」
ミルドレッドは怪訝そうな顔をする。マキカも覗き込む。ずいぶん古そうなものだ。
「開けてみたらどうですか?」
促すと、ミルドレッドは、震える手で蓋を取った。ほんのかすかに防虫剤のにおいがする。中にはラベンダー色のワンピースと納品書が入っていた。相当古いものだろうに、鮮やかな色合いだった。あまり傷んだ様子も見えない。誰かが定期的に防虫剤を替えていたのかもしれない。
「レナードの戦死の知らせが来た日だ……なるほど」
出征する前に注文してくれたんだね。そして戦死の知らせが来た日に実家に届けられたんだ。
「それは……」
死者からのプレゼント。あまりのことに、マキカもトリシャも言葉を失う。
「多分、あまりにもあまりなタイミングで届けられたもんだから、両親が私に手渡せなかったんだろうね」
プレゼントを贈られた当の本人のミルドレッドは、ただただ呆れたような顔をして頭を振った。どこまで間が悪い男なんだ、あの人は。
「ウェディングドレスを作ってもらおうって言って、仕立屋まで行ったんだけど、物不足だし、人手不足だし、時間はなかったし。——採寸はしたんだけれど、結局諦めたんだよ。そう思ってたのに——こっそり頼んでおいてくれたんだねえ」
60年遅れで開けられた古ぼけた紙箱。ややグレーがかったラベンダー色のワンピースは、柔らかく女性らしく、ふんわりと、老女の膝の上に美しいドレープを作った。
「……レナードの物は全てなくしてしまったと思ったんだけど、あったんだねえ」
「あったんですね。ずっと、ミルドレッドのおうちに」
ずっと、あのゴミの山に埋もれて、眠っていたんですね。
ふん。ミルドレッドは鼻を鳴らして服をたたみ始める。
「じゃあ、これは、寄付かね」
「えっ! 手放しちゃうんですか?!」
マキカはびっくりして大声を出した。
「だって、こんな若い娘のための服、着れないよ」
ミルドレッドは、くくっと喉の奥で笑った。60年前だったら似合ったかもしれないけどね。今の私が着てもおかしいだけさ。
「そんなことありません!」
マキカとトリシャの声が重なった。
「絶対に似合います。私が、ブティックの売り子になってセールストークをしてあげる」
トリシャの目がキラッと光った。
「聞いたら絶対に着たくなりますよ。私、こう見えても売りあげナンバーワンでしたから。ヨークシャーの天才売り子をなめてもらっちゃ困ります」
「こちらの方に合うコーディネートですね。承りました」
ミルドレッドを立たせると、トリシャが、売り子の真似をする。
「そうですね……こちらのラベンダー色のワンピースなどいかがでしょうか」
ふわり。
洋服が広げられる。きっちりとまとめられたミルドレッドの後れ毛が、風にふわりとそよぐ。
「このレースの襟がまた繊細で素敵なんですよ! 丈もふくらはぎが隠れるゆったりとした長さで、上品かと」
女性たちの目がワンピースの襟に向く。
「……このレースは結婚式のベールだった……」
小さな声で老婦人が呟く。「ドレスもなくて、ベールだけ買ったんだ」
わかってます、と言いたげに、トリシャが頷く。まるで高級ブティックの接客のような上品な仕草だ。
「こちらに白いお帽子と、パールの耳飾りをあわせてみましょう」
いかがですか、ご試着ください。ほうら、とても、お似合いですよ?
「だけど、やっぱりこんな服は、似合わないよ」
ミルドレッドは試着をして姿見の前に立っても不安げにマキカを見る。
「こんなに甘い色の服は着たことがないよ」
「ばっかだなあ! バカバカソーセージだなあ!」(*3)
さっきまでの上品な天才売り子は、突然ヨークシャーの天才掃除人のトリシャに戻って、呆れたように肩をすくめた。
「あんたの旦那さんにとっては、あんたはいつだって、そういう服が似合う
ミルドレッドは泣いていいのか笑っていいのかわからないような顔になって、「私にこんなの似合わないのにバカバカソーセージはレナードだ」とつぶやいた。
耳まで真っ赤だ。
似た者夫婦です、とマキカは思った。
60年の時差攻撃でのろけるとか、どこまでバツイチをえぐるつもりですか?
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(*1)唇を結んだ
Stiff upper lip 前述のイギリス人お家芸です。
(*2)世界にはいろんな奴がいなくちゃならない
It takes all sorts to make a world. 正確に訳すのであれば「世界を作り上げるにはすべて種類の人間が必要だ」ぐらいの感じ。
「みんなちがってみんないい」よりも、少しだけ、この「世界」をみんなが一緒に作っているという感覚が強いと思います。
(*3) バカバカソーセージ
Silly silly sausage 愛情を込めて誰かを「バカ」という時に使う。
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