その月曜日の午後は雪崩が起きたこと。
「ま、でも仕方ないですね」
無言でパクパクとサンドイッチを食べていたトリシャは、そのうち自分のバッグから大きなポテトチップスの袋を出すと、冷蔵庫からコーラを出してきた。
「そんなもの、うちにあったのかい?」
ミルドレッドが眉をあげる。
「朝、持ってきて入れときました」
しれっと、トリシャは答える。どうやら許可も取らなかったらしい。結構な傍若無人ぶりだが、ミルドレッドにはあまり驚く気配はなかった。
「そうなの。いいけど、これからは冷蔵庫に入れる前に言ってちょうだい」
淡々とそう言うと、「それで、仕方ないって、どういうこと?」と質問を続ける。
「だって、嫌なんでしょ。他人が来るの。その上お金もあまりない。それじゃ、もう仕方ないから、できるところから手を動かしましょうよ。もしもあたしが二階を動き回っていいんだったら、あたしが大体のものを階段下に運びます」
マキカは頷いた。本当は物の移動をする人を増やしたいのだが、こればかりはミルドレッドの同意とお金が必要だった。
「まずは廊下をキレイにしたいんでしょ? 誰かが上から下に持ってこれば居間でマキカとあんたで選別できるでしょう。判断のつかないものだけ地下室に持っていけばいい」
あ、それからラジオかけてもいいですか。音楽ないと落ち着かなくって。
トリシャはなぜだかイライラしたそぶりで、小さなラジオをバッグから取り出した。
「あたしの作業場所でしか音楽はかけませんからね……あと、失礼なことを言ってもいいかな」
根っからのヨークシャー娘の掃除人は、ぷくっとしたほっぺをさらに膨らませてミルドレッドに宣言した。マスカラがダマになってついている長いまつげが、やたら目立った。
「はっきり言わせてもらえば、あんたがやってることはとってもバカだと思う。この家がしっちゃかめっちゃかだ、なんてみんな知ってるんです。だって、そうじゃなかったらカウンシルが片付け命令なんか出すわけないでしょ。だれもミルドレッドのことを笑ったりしないのに、手助けを拒むのはソーセージぐらいバカだと思う。以上!」(※1)
ミルドレッドの返事を聞かずに、どたどたと足音を立てて、トリシャは台所を出て行った。ポテトチップスの袋はテーブルの上に置きっ放しだったが、気づいてもいないようだった。
大音量の音楽が、かすかに2階から流れてくる。
二階からプラスチックの箱に入れられて持ってこられたモノを居間の中央に敷いたビニールシートの上で選別の作業中、マキカとミルドレッドの二人は言葉少なだった。思わず、顔を見合わせると、ぎこちなくミルドレッドが笑った。少し安心したマキカは、対抗して私たちも音楽をかけましょうか、と尋ねる。ヴェラ・リンなんてどうかしら? (*2)
「バカソーセージなのかねえ……」
ミルドレッドは、マキカの質問には答えなかった。
「——他人に自分のスペースに入ってこられたくないのは自然なことだと思いますよ」
マキカは、答える。
「ただ、今のままでは人手が足りないのは事実です。それに、ミルドレッドを心配している人たちは頼ってもらえないのは寂しいって思うんじゃないかな」
手早く衣類を選り分けていく。廃棄の箱、保存の箱、寄付の箱、それに判断がつかないものの箱。嫌になる程、時間のかかるプロセスだが、先週よりもずっと寄付と廃棄に選り分けられる衣服が多いことにマキカは気づいて、嬉しくなる。
——やったね、ミルドレッド! なんて素晴らしい。
やらなければならないことが大きすぎるから、ミルドレッドができないことにばかり目が行くけれど、この人は遅くても着々と動いている。80年の人生で積み重なってきた、いろいろなものと向き合いながら、前に進もうとしているのだ。
「私、今までちゃんとお伝えしていなかったんだけれど、ミルドレッドを尊敬していますよ」
伝えていなかったな、と気づいて、口にすると、老女は目をむいた。
「……なんだいそれは」
「私たちが今やっていることはとても大変なことなんです。朝、あなたが言っていたようにいろいろ捨てなくちゃいけないでしょう。でも、自分にとって何が大切なのかがわかっていない時って、なかなかモノを捨てられないんですよ。いろいろ感情が動いちゃうので——あれだけ私と一緒に先週捨てて、土日、一人になった時に、反動がきませんでしたか」
「……」
ミルドレッドの沈黙は何よりもの肯定だった。
「とても勇気が必要なことだと思います。だから、私はあなたがここまで頑張ってきていることを、とても素晴らしいことだと思ってます」
マキカは、できるだけミルドレッドの目を見ないように、そっと言う。ミルドレッドはふん、と鼻を鳴らした。
「きゃあっぁあああああああ!」
大音量の音楽を突き抜けて、叫び声が聞こえたのはその時だった。それからガラガラど、何か大量にモノが落ちていく音。
「!」
マキカは階段へと駆け寄る。
「大丈夫?!」
「だ……大丈夫です。ごめんなさい、
小さな箱を両手に持ってトリシャが情けなさそうな顔をした。
階段に転げ落ちた箱をいくつか拾い上げながらマキカは2階を見上げる。トリシャが書斎のドアを開けたのだということはわかった。
大量の小さな箱が書斎のドアの周りに転がっていた。
マキカは手元の箱を見る。
開けた形跡もない、人形の箱だ。少し古びたデザインの服を着ている。80年代ぐらいのものだろうか。
「お人形?」
「なんかぁー、おもちゃがいっぱいあります」
トリシャが報告する。
マキカは目をぱちくりさせる。
「ああ、これが、グレイ先生の魔法の舞台裏だったのね」
後ろでサンディの声がした。いつの間にか家に入ってきていたのだ。考えてみれば確かに、ゴミを出しにきてくれるはずの時間だった。
「なんで先生はいつも面白いおもちゃを貸してくれるんだろう、一体どこから来るんだろうって思ってたら」
「しょうがないだろう。だって、あんたたち、遊ぶものも全然なかったから」
妙に拗ねたような声で、ミルドレッドが居間から怒鳴った。
「小さい子供なんてちゃんとした遊び方を教えてあげれば、なんでもすぐ覚えちまうのに、あの頃の学校は四角四面だったからね」
意外だ、とマキカは瞬きをした。ミルドレッドは、カチカチと規則で縛りつけるような先生だったのだろうと勝手に思っていたのだ。
「毎年、詩の暗唱コンテストがありましたよね。一番になると、おもちゃとか服の山から一個選べるの」
サンディが懐かしそうに目を細めた。
「……あの部屋の中はそういうのの賞品とかそんなもので一杯なはずだよ」
「ほんとーだー!」
覗き込んだトリシャが間延びした声で言った。
「子供の物ばっかり……随分古いのもありますねえ」
「父さんの使った教材も残っているからね。1920年代ぐらいのから、教材もあるはずだよ。おもちゃは最近のものが多いだろうけど」
「あ……あの」
マキカは思わず真剣な顔になってミルドレッドを見た。
「それ、手放せそうですか?」
「え?」
「その子供用のおもちゃとか、教材とか……ミルドレッド、捨てるんじゃなかったら、ちゃんとした場所に行くんだったら、手放せると思いますか?」
マキカの勢いに思わず押されるかのようにミルドレッドは頷いた。
「ちゃんとした場所っていうことは、使ってもらえる場所、ってことかい?」
「そうです! ものすごくちゃんと使ってもらえる場所です!」
マキカはこくこくと頷いた。首がもげるくらいだ。
「そりゃあ、人の役に立つんだったら……」
ミルドレッドの台詞を聴くなり、マキカは振り向き、サンディの腕をつかんだ。
「サンディ、教会のゾンビのトーマスくんのお母さんの連絡先、知ってますか? 相談したいことがあるんです」
「教会のゾンビ?」
ミルドレッドとサンディとトリシャの困惑の声が、綺麗にハモった。
=============
(*1)ソーセージぐらいバカ
You silly sausage. おばかさん、という意味で、やや愛情を含んだ表現。「シリーソーセージ」とサ行音が重なるのでなんかかわいい。
(*2) ヴェラ・リン
Dame Vera Lynn (デイム ヴェラ・リン)
「イギリス軍の恋人」と呼ばれ、第二次世界大戦中のイギリス国民を勇気づけ続けた歌手。代表的な歌に "We'll Meet Again" (「きっとまた会える」)など。
いつになるかはわからないが、きっとある晴れた日に私たちはまた会える、と歌ったこの曲は、出征する兵士と家族たちの心の支えとなった。
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