月曜日の午後に呪いを発見したこと。
バスルームの中から大量の紙類を廃棄すると、その後は、余計に難しい仕事が待っていた。様々な空容器が大量に発掘されたのだ。その多くは金属製で錆びていたり、プラスチックでも紙のレーベルが読めないほどカビていたりで、触るのもためらわれるような様子だったが、マキカはそれをすべて、プラスティックの箱に入れた。
最終的に判断はミルドレッドが下さなくてはならない。
他人から見ればゴミにしか見えないようなものであっても、持ち主にとっては特別な意味を持つことがあるからモノは難しいのだ。
誰かが描いた下手くそな落書きが、持ち主にとっては、もう二度と会えない家族との唯一の思い出なのかもしれない。普通だったら捨てたくなる古い切符の一枚にまで、思い入れを持ってしまう生き物が人間というものだということを、マキカはうんざりするほど知っている。大切なのは何を捨てて何を残すのか、自分なりの決断をするための線をミルドレッドが見つけることだった。
雑多にプラスチックの箱に詰めたものを全て地下室へ運ぶ。今日の仕事は何としてでも、ある程度のモノを捨てることだ。
「……捨てるのは怖いですか」とマキカは尋ねる。
「そりゃあ怖いだろうよ」と他人事のようにミルドレッドが答える。
「人間ができることはどんなモノを持っているかによって変わるんだよ。靴がなくっちゃ学校にもいけないだろう。学校に行けなくちゃ教育が受けられない」
マキカは口をつぐむ。靴がなくて学校に行けないような世界はマキカが知らない世界だ。ミルドレッドにとっては現実だったのかもしれないが。
戦後の日本で、高度経済成長後に生まれたマキカには全くわからないけれど、ミルドレッドにとっての現実は、常にモノが足りない時代のものなのだ、ということはよくわかる。だから、マキカは自然探るような口調になる。
「ご両親のソファが見つかったのは嬉しかったですか?」
緑色の小さなシャツを手に取り、よく見てみる。もう取れそうにないカビのシミがあり、穴も数カ所あいている。そっと汚損衣類の山にのせた。後で全て一緒に確認してもらう。
「そうだねえ」
老女の唇に微笑みが浮かぶ。
「嬉しかったねえ」
「もしも、今この家にあるモノで、絶対に捨てたくないものを3つだけ選べるとしたらどうしますか」
「……あたしのモノを捨てる気かい?」
「捨てませんよ」
あまりにもミルドレッドがモノを捨てられることに敏感なことに気づき、マキカは呆れて答える。
「何が一番大切なのか知りたいだけです」
「それじゃあ」
ミルドレッドはしばらく考え込むと、3つ、「大切なモノ」を挙げた。祖母から伝わるヴィクトリア朝のソファ。昔教えた子どもたちから貰ったマグカップ。レコードプレーヤーとレコード。「大切」と言うが、どれも今回の片付けの中で発掘されたものだ。なあんだ、今までなくても大丈夫だったモノばかりじゃないですか! マキカは思わず小さな笑い声をたてる。
「レコードプレーヤーとレコードって、レコードはいっぱいあるじゃないですか。3つどころじゃないでしょう」
「馬鹿だねえ、あんたは」
ミルドレッドはつくづく呆れたような顔をした。
「レコードなしのプレーヤーなんか、なんの役にも立たないじゃないか」
確かに、それはそうだった。
「これは、絶対に着ませんよね」
マキカは服を持ち上げる。華やかな赤のセーターで、随分小ぶりだ。小柄なミルドレッドにとっても小さすぎるくらいの。
「……まだ着れるかもしれないじゃないか」
ミルドレッドは小声で反論する。
このやり取りももう何回かやっている。
「でも、ミルドレッドは着ないでしょう? 誰が着ると思っているんですか?」
マキカは心がけて言葉を柔らかくする。
「誰か、小さな子供かしら?」
ミルドレッドは黙り込む。
「なんで再婚しなかったのか、ってしつこく聞かれたんだよ」
そんなことを老女がぽつりと話し始めたのは汚れた服の山を随分分けてからだった。
次から次へと出て来る服の多くが、実は子供服であることに気づいていたマキカは何も言わずに頷く。ミルドレッドの夫が死んだのは、彼女がまだとても若い頃だ。周囲の人間が再婚を促しただろうというのは簡単に想像がついた。
クリスマス前に結婚して翌年の6月には訃報が届いたと、ミルドレッドは言っていた。本当に数ヶ月の結婚生活だったのだと。あの人はお人よしだったからきっと誰かを助けようとしてバカなことをしたに違いない。そう付け加えたミルドレッドの表情は読み取れなかった。
本人にはいろいろな感情があるはずだけれど、それだけ短い結婚だったのであれば、新しい人をと周囲が望むのは当然といえば当然だ。大きなお世話だとマキカは思うが、家族や親しい友人は、時に心配するあまりに余計な世話を焼く。
「子供を産んで、家族を持って、孫が育つのを見て……そんな生き方を、することもできたはずだって」
「……誰がいいました? それ?」
聞き返すマキカの声は静かだったが、自分でも気になるくらい強く聞こえた。
「世間一般の人の話じゃないんです。それ、誰かミルドレッドの近くにいる人が言ったでしょう? それも何度も」
「え?」
ミルドレッドは、びっくりしたようにマキカの顔を見る。なんでわかったのか、とその顔が如実に言っている。酸いも甘いも噛み分けた80歳の老人の表情ではなかった。どちらかといえば思いがけないことを言われて、驚きを隠せなかった若い娘の表情だった。
「……母、かな?」
「呪われましたね、それ」
マキカはため息をついた。
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