日曜日、隠れたサクラメントの現場に行ったこと。

 


 西暦2000年現在のイギリスでは、毎週末、英国国教会に行くキリスト教徒の数は、毎週モスクに行くイスラム教徒の数に追いつかれそうになっている。母数の違いを考えると、なかなかすごいことだ。どれだけ多くのイギリス人が結婚式と葬式とクリスマスにしか教会に顔を出さないのかよくわかる。(*1) 当然、教義もへったくれもなく、「生まれた時に洗礼を受けたけど教会のことはなんかよくわかんない」という人口もかなり多い。というか、むしろそちらがスタンダードだ。

 極東の島国から来たマキカとしては、その「」が、地元の小さな神社を思い出させて居心地が良い。子供の頃両親に散々ひっぱりだされた、うらさびれた氏子会を思い出すではないか。祭りになると急に人口密度が上がるのも良い感じだ。そんな現在の国教会だからこそ、キリスト教徒ではないマキカが、その集団の端っこにいても誰一人として全然気にする様子がないのかもしれなかった。



 さて。

 教会は信仰の場であると同時に——というか、下手をしたらそれ以上に——ネットワーキングの場でもある。サンディが「小さな子供を抱えた親御さんたちにとっては、週に一回息をついて大人同士の話ができる場所なのよ」と言っていたのは誇張ではなかった。礼拝後の教会ホールにはほとんどの家族が残り、ティーカップを片手に大人たちの会話が始まった。

 多くの教会で礼拝後には紅茶、ないしはコーヒーが振舞われる。それ自体は珍しことではない。ただし、英国国教会の場合には、なぜか「もしかして、隠れた聖奠サクラメント?」と呼ばれるほどに、礼拝後の紅茶に情熱が注がれる。(*2) きっとイギリス人のお茶会に対する異常な偏愛が宗教まで進出したに違いないとマキカは思っている。

 昨年はヨークシャーで教派を超えた話し合いの機会が設けられ、この地域の聖職者たちが、お互いの教会を訪れあって、地域の課題や信仰について語り合うことになったのだが、マキカの教会の老神父は、その集まりからがっくりと肩を落として帰ってきた。

 ——メソディスト教会の紅茶が、非常にうちのより、美味しかった。

 マキカはその件についてはそれ以上知らないのだが、「地域の課題や信仰」の話よりも、メソディスト教会の茶菓子と紅茶の話がしばらくの間、老神父との話題にのぼったのは事実である。その後、マキカの教会の茶菓子がグレードアップするようなことは一切なかったので、老神父の意向はともかくとして、茶菓子を仕切っている年配の女性陣はにこやかに聞き流していたのだろう。今にして思えば、確実に。

 サンディはどうやら9時礼拝組をほぼ全員把握しているようで、ニコニコ笑いながらあちらこちらと挨拶をして回っていた。

 誰も知った顔のないマキカは、サンディに言われるままに、小さなテーブルへ連れてこられた。イエス・キリストをゾンビ扱いしたトーマスが、母親と一緒にちょこんと座っているテーブルである。

 「ねえ、ママ、ビスケットもう一個食べてもいい?」(*3)

 「うーん。もうやめようか。お外でみんなと遊んできたらどうかな?」

 メガネをかけた母親がおっとりと答えると、5歳児は素直に頷いて、ぴょん、と椅子を飛び降りた。母親の視線の先では幾人かの同年齢の子供が、中庭へのドアを開けるところだった。外ではすでに年齢の高い子供たちが駆け回っている。

「はじめまして、マキカです」

 紅茶を片手に座りながら軽く頭を下げる。

「はじめまして、ヴィッキーです」

 メガネの母親はにこっとした。

「トーマスくん、大活躍でしたね」

 何を言っていいのかわからずに、思いついたことを言うと、対話の相手は笑いながら赤面した。

「本当! なんでかわからないんだけど、ゾンビが大好きになっちゃって。まさかあんな場面で言ってくれるとは思わなかったけど!」

「可愛かった。いいですね、あのくらいの年頃は」

「まだまだ素直だけれど、前よりはずいぶん手がかからなくなって」

 出身を聞かれ、仕事を聞かれる。初めての人に会った時のいつものパターンだ。

「プロフェッショナル・オーガナイザー。あら、イギリスにもいるんですね。そのうちお願いしたいかもしれないわ」

 初めて自分からオーガナイザーを名乗ったマキカの緊張はともかく、ヴィッキーの反応はあっけないくらい良い。

「まだまだ副業ですけど、機会があればぜひ」

 マキカは営業スマイルを浮かべる。彼女から日本語翻訳の仕事をもらうよりは、オーガナイザーとしての仕事を依頼される方が可能性は高そうだった。とはいえ本業は通訳・翻訳です、というのも言い添えておく。お世話になっている翻訳会社の社長を通さずに仕事が請け負えるのであればそれに越したことはない。

「あなたのお仕事は?」

「博物館のマネージャーみたいなもの、って言えばいいかしら」

 メガネの女性は首をかしげる。

「アディントン・マナーハウスってご存知?」

「14世紀の領主邸ですね」

「ええ。そこが博物館になることになったんです。宝くじの補助金が当たったの。小さな、普通の人の生活ぶりがわかるような博物館になるはずなんだけれど、その仕事です」(*4)

「うわあ、すごい」

マキカは、本気で感心した。「大きなプロジェクトですね」

「うーん、博物館の規模としてはとっても小さいけれど、仕事の規模としては——私がほぼ一人でやっているので大きいですね」

 ヴィッキーは笑った。「何か日本語を使わなくちゃいけないことになったら、ぜひお願いしますね」

 ええ、ぜひ。とマキカは微笑む。

 しかし14世紀の領主邸で古くからのイギリスの生活ぶりを展示しているような博物館に日本語翻訳が必要な可能性というのはあまり思いつかなかった。日本人観光客もほとんど訪れることのない田舎町だし。けれど、確かに何かの理由で日本語が必要になるのだったら自分に話がくるといいなあ、と思う。アディントンに住んでいる日本人はマキカだけだ。近辺都市のリーズやブラッドフォードに行けばそれなりの人数がいるけれど。

 「いつもは9時の礼拝には見ないけれど……?」

 ヴィッキーが尋ねる。

「ああ、いつもは本礼拝に出ているんです。なんか、今日はサンディに頼まれて」

「あら、デイム・サンディに?」

 ヴィッキーの返事に、マキカは5回ぐらい瞬きをした。

「え。デイム?」

「あら、知らなかったの? 彼女はデイムよ」


 えええええ!

 マキカは思わず飲みかけの紅茶を吹き出しそうになる。機嫌の良いヴィクトリア女王もどきだと思っていたんですが——デイム?





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(*1)毎週英国国教会へ行くキリスト教徒

 2017年、すでにこの数値はひっくり返っています。最初に定期的に教会へ行くカソリック人口が定期的に教会へ行く英国国教会徒の人口を上回り、その後、イスラム教徒人口が上回りました。

 現在でも統計上は国民の7割近くが自分を「キリスト教徒」である、と位置付けていますが、デフォは「なんか多分自分はキリスト教徒だと思うけど教会には行かない」であり、その辺りは「なんとなく仏教徒のような気はするけど別に人生の指針を求めて寺に行ったりはしない」日本人に非常に近いと言えるでしょう。バイブルベルトを持つアメリカとは非常に違う信仰風土ではあります。



(*2)聖奠 

 せいてん、と読みます。神の恵みを受け取るためのしるしであり、保証でもあります。日本語だと教派によって呼び方が違います。ということでここではカタカナでサクラメント、を採用しました。教派によって何がサクラメントなのかも違います。

 ちなみにアメリカで出版された『エピスコパルチャーチハンドブック』には、礼拝後のコーヒーはサクラメントではありません、と明記してあります。だからきっとサクラメントではないのでしょう。多分。



(*3) ビスケット

 同じ食べ物をアメリカ人は「クッキー」と呼びます。



(*4)宝くじの補助金

 ナショナルロッタリーという国がバックについた宝くじがあり、その収益は文化やスポーツの振興に使われる。

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