日曜日、朝9時の人々に出会ったこと。
「明日なんだけど、朝8時半ぐらいに来てくれないかしら?」
と、サンディは土曜日に電話をかけてきた。「家族礼拝の手伝いをしてもらえると助かるわ」
表向きはお願いだったが、その実、マキカに拒否権はほとんどない。いずれにせよ、サンディがこの手の「お願い」をするときには大概何かたくらんでいるのだ。
困ったもんだ。
五月。すでにイングランドの朝は早い。
19世紀に建てられた荘厳な教会の東の窓からは色とりどりの光が差し込んでくる。パイプオルガンの金色は朝日を反射して輝き、内陣前の小さな聖母子像前には小さなろうそくが何本も捧げられていた。
教会には、離婚以来足を運ぶようになったが、手伝いに呼ばれたのは初めてだ。マキカは、まるで初めて来る場所を見るような気分で教会内を見て回る。いつもは美しい音楽を聴いて頭を空っぽにするために来るだけだが、こうして手伝いをする人間としてみると、いろいろと目につくものがあった。壁に埋め込まれた各種の飾りであるとか、プレートであるとか。
死者を悼むプレートが目に入る。
「
ラテン語はそこまでだが、生没年が名前の横に書いてある。享年24歳。19世紀に何かの戦いで亡くなった青年だった。手の込んだプレートだから、裕福な家の出だったのだろう。誰かが、あまりにも若くして死んだ彼を悼んで、教会にこのプレートを寄贈したのだ。そしてわざわざこの一節を選んだ。
マキカはその一節を最後までラテン語で知っている。
Dulce et decorum est pro patria mori.
祖国のために死ぬことは、甘美で光栄なことである。 (*1)
——本当に? それじゃあ、愛する人を祖国のために失うことは?
「子供の時から、教会に慣れ親しんで欲しいのよ。私たちの使命は、地域コミュニティをきちんと保持していくことよ!」
サンディはマキカの両手を握って宣言した。そこにあまり宗教的な響きがないことに、気づいてはいたけれど、とりあえずマキカは頷いた。そうか、地域コミュニティなのか。信仰の基礎とかいうところじゃないのか。
「家族礼拝は、たった30分。でも、小さな子供をもつ両親にとっては、子育ての経験者から話を聞いたり、礼拝の後のコーヒーでほんのしばらく子供から目を離して大人同士の会話ができたりする、とても重要な場所なの。とにかく子供が子供のままのびのびと参加することが大事。子供が叱られると親が恐縮するから、子供が自分のペースで教会に参加できるまでの練習だと思ってね」
サンディは説明する。
「やってくる子供は0歳から12歳ぐらいまで。お説教もなかなか思うようにはいかないし、とにかく想定外のことをするから、よろしくね。怒ったり焦ったりしちゃだめよ。子供ってそういう生き物だから」
——えーっと、子供がいないのでイマイチ想像がつかないんですが。
想定外のことって、どんなことですか? サンディ先生。
そういうわけで今マキカは「ドア係」を承っている。ドア係とは子供たちが、親の目を盗んで礼拝堂から走り去らないように出口を見張る係である。正面口の外は車通りもある。子供の安全を確保する重要な係なのだという。
礼拝堂に入ってくる人々に今日の礼拝次第のシートを渡し、挨拶をする。
非の打ち所のない茶のワンピースを着て、ミルドレッドが入ってきたのは、礼拝が始まる10分前だった。老女はマキカを目にするとびっくりしたように眉毛を上げたが、「おはよう」とぶっきらぼうに挨拶をし、礼拝次第のシートを受け取ると、礼拝堂の右前方へと歩いて行った。小さな子供たちがカーペットの上で遊べるようにおもちゃが置いてあるあたりの席だ。あまり居心地のいい場所ではない。ちょっと意外だった。
「さて、イースターの頃にしたお話をみなさん覚えているかな」
にこやかに神父が尋ねる。(*2)
「はーい!」「おぼえてるー!」「おれ、わすれてない!」
子供たちが口々に声をあげる。
マキカは微笑んだ。今まで一度も9時の礼拝に来たことはなかったけれど、なるほど、家族礼拝は、小さな子供たちが主役になれるようきちんと組み立ててあった。
子供たちの合唱団がテンポの良い聖歌を歌い、説教の時間になると、みんな前へ出てきて神父様の周囲に膝を抱えて座る。ふと目をやるとミルドレッドは、カーペットの上で遊ぶ子供たちを目を細めて見ていた。説教がわからないくらい小さな子供たちはカーペットで静かに遊びながらお話を聞くのだ。幼子を見守る老女の視線の優しさに、マキカはなぜか胸を突かれるような思いになる。
「そうか! みんなえらいなあ!」
最近教区に派遣されてきたばかりの若い神父は、自分の問いかけに子供たちが積極的に反応しているのを見て、満面の笑顔になった。後ろで老練の神父がにまにまっと笑っているが、それには気づいていないようだ。
「……それじゃあ、聞いてみようかな。十字架にかけられて死んじゃったけれど、三日後に生き返った人はだれだろう?」
「はーい」「おれ! おれが言う!」「あたし!」
子供たちがこぞって手をあげる。
おやおや、これは今日の説教はうまくいきそうではないですか。
マキカは少し意外に思う。サンディの口ぶりからだともっと苦戦しそうに思えたのだが。
マキカの思いは新米神父も共有していたらしい。
「そうか。みんなよくわかっていて嬉しいな。それじゃあ、うん……トーマス! 死んで三日目に生き返った人について説明してくれるかな?」
「はい!」
指名された5歳児は、思いっきり誇らしげに、ステンドグラス越しの光を浴びて胸を張った。
「それは、ゾンビです!」
……。
………。
ゾンビ。
確かに死んで生き返るものではあるな。
サンディ。おっしゃることがよくわかりました。
マキカはドアを押さえる手を震わせないよう、思う存分お腹に力を入れた。確かに想定外です。
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(*1)Dulce et decorum est pro patria mori.
ホラティウスの有名な一節。第一次大戦に従軍した反戦詩人ウィルフレッド・オーウェンの詩 "Dulce et Decorum est" で、現在では知られる。オーウェンの詩があまりにも悲惨な第一次大戦の現実を描いた上で、この一節を「古くからの嘘っぱち」と攻撃していることもあり、現在では素直に受け止めることの非常に難しい一節でもある。
(*2) 神父
通常、神父がいるのがカソリック教会で、牧師がいるのがプロテスタント教会。ですが、英国国教会はどちらもいます。ほぼカソリックの神学を信仰している人と、ほぼピューリタンの神学を信仰している人が同居しているからです。ごちゃごちゃです。神学的にはいろいろな意味があるのですが、とりあえず「しょうがないよね、あたしたちイギリス人だもの。意見の違いはまあ、しかたないのよね」といった風情で「論理より慣習と常識」を押し通す教区民が多いのが、国教会らしいといえばらしいと言えるでしょう。そういうわけで神父がほしい人が多い教区にはしばしば神父がいると覚えておくと良いかもしれません。何かと例外ばっかりなんです、国教会。
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