土曜日の午後にタージマハールについて考察したこと。
「んんー。よくわかんないや」
マキカはテーブルの上に積み重ねた雑誌を見てため息をついた。
色とりどりのインテリア雑誌を見ながら、一体ミルドレッドにとって良い環境とはどのようなものなのかを考えていたのだが、読めば読むほどよくわからなくなったのだ。
初めて複数冊手に取ったイギリスのインテリア雑誌や女性向け家事雑誌はどれもまったく非の打ち所のない写真で埋められているのが特徴だった。日本の雑誌の方がまだ現実味がある。収納のビフォー・アフターの写真も、もちろん載ってはおらず、そのかわりに改装前と改装後の写真が、一体その改装で家の価値がどのようにかわったかも含め載っていた。
「こんなに汚い古臭い家が、改装で3万ポンドも値段があがりました。改装費は1万6000ポンドです!」
読んでいる分には面白いけれど、生活をしていく上でのヒントにはあまりならない。日本の雑誌が大好きな「天然素材カゴ収納」などというものは全く存在のかけらも見せず、そのかわりに、重厚なヴィクトリア朝の家具が品の良い紫の壁に対比されていた。アンティーク家具が出てこないページでは通常弁護士として忙しい生活をしている3児の母キャサリンさん(42歳)が「ジョイナーを呼んで、オーダーメイドの棚を作ってもらいました。予算は5000ポンド。収納の問題が解決され、大満足です」といかにも高価そうなツイードのスーツで微笑んでいた。(*1)ピンとこないことこの上ない。
一冊は趣味の乗馬のあと、泥に汚れたブーツで入っていける裏口の存在を全力で推していた。「乗馬のあとのコーヒータイムが楽しみ。キッチンへ泥を入れないゆったりとしたポーチスペース!」と銘打たれたページには艶やかな毛並みのラブラドールが、乗馬ブーツの横にきちんとお座りをしている。床は高価そうな天然石のタイルだ。
もう一冊は「すべての新婚家庭にはタージマハール柄のコーヒーテーブルがマストアイテム」だと、主張していた。「現代を生きるアジア人女性に送る」と副題がつけられたその雑誌をマキカは何度か読み返し、「タージマハール柄のコーヒーテーブル」コメントが冗談なのかどうかを見極めようと数分頭をひねった。現代を生きるアジア人女性であるマキカにも全くわからなかったが、おそらく本気なのだろう、と最終的にマキカは結論付けた。つまるところ、住環境は極めて個人的なものだった。ある種の人々にとってはタージマハール柄のコーヒーテーブルには特別な意味合いがあるのだろう。(*2) 文化的な影響もあるのかもしれない。
たとえばマキカは信楽焼の狸には特に思い入れはないが、きっと日本のどこかには信楽焼の狸を自宅の庭に置きたいと恋い焦がれている人がいるに違いない。そしてそれは悪いことではない。信楽焼の狸がとてつもない幸福感を持ち主に与えるのであれば、そこには一切問題はなかった。タージマハールのコーヒーテーブルにだって問題はない。
家が清潔で安全で落ち着ける場所であるのなら、たとえミルドレッドがひょっとこのお面を客間の暖炉の上に飾ろうと、信楽焼の狸を庭のバラの前に据え置こうと、それはそれで良いのだ。そういう意味ではインテリア雑誌はあまり手助けにはなりそうになかった。
「ここはあたしの家なんだよ」と、ミルドレッドは言う。
しかしミルドレッドの家は、現在、近隣の住人の迷惑になっている。そして、何よりも現在の家は本人にとって危険だし、幸福な住居となってはいない。今のミルドレッドに任せておいては、家は決してあの老女が生活していくのにふさわしい場所にはならない。
マキカには理由がわからなかったが、家と自分の所有物に関しては、ミルドレッドは時々、予想を超えて自分に厳しいし思い込みも激しい。昨日あれだけ眠り続けたのも、おそらくここ数日眠りを削って家を片付けようとしていたからだと、マキカはうすうす感づいていた。相当な負担だったのだろう。同じ厳しさで、ミルドレッドは自分にとって使いにくい棚でも、一度思い込んでしまったらそのまま使い続け、必要のない物をそのまま保管し続けてしまいそうな気がする。80歳という年齢の彼女にとって、それがすでに相当な負担を強いるものになってしまっていても。
安全。健康。友人を呼べるスペース。お湯や電気といった生活上のインフラがきちんと使えること。そして、何よりも生活が楽であること。それらをクリアした上で、ミルドレッドの住環境が美しくなるといいな、とマキカは思う。そこに入っているものがどれだけヘンテコでもいい。ミルドレッドらしい家になっているといい。そうすればきっと何か統一された美しさが出るはずだ。
でも、それはマキカが依頼された職務範囲からは少しずれるのかもしれない。……だけど私の職務範囲ってなんだろう?
「プロフェッショナル・オーガナイザーのマキカさんが」と、サンディはミルドレッドの隣人に紹介した。しかし、実はこの時点で、マキカは一度も自分をプロフェッショナル・オーガナイザーだと思ったことはなかった。何度か頼まれて片付けを手伝い、報酬を得ているうちに、ぽつぽつと仕事が入ってきてはいたけれど、それが本業になるとはまだ思えなかったのだ。
もちろんそういった職業がアメリカには80年代からあることは知っていた。西暦2000年。アメリカでは全国プロフェッショナル・オーガナイザー協会ができて20年に近い時が経とうとしていたが、イギリスにおけるプロフェッショナル・オーガナイザーはまだまだ誰でも名乗ることができる、ある意味「うさんくさい」職業だ。(*3) 当然職業団体もないし、きちんとカリキュラムの整ったトレーニングを受けようと思ったらアメリカの団体を探さなければならない。そもそも収納や家事情報はアメリカの方がイギリスよりもずっと大きなビジネスマーケットだ。
イギリスで、プロフェッショナル・オーガナイザーなんて、成立するのかしら? そもそも私になれるのかしら?
首をかしげながらマキカはノートに思いつくことを書き連ねていく。考え事をするときの癖だった。ただ、心の中では静かな確信が育ちつつあった。
通常のカウンセラーは現時点ではミルドレッドを助けられない。現実に目の前にあるゴミの山を一緒に片付ける人が必要だからだ。
クリーナーでもだめだ。そもそも、片付けや収納のシステムの提案は彼らの職分ではない。
ソーシャルワーカーに何かできていたのだったら、そもそも強制片付け命令など出なかっただろう。
明らかにここには「プロフェッショナル・オーガナイザー」しか埋めることのできない空白があった。絶対に必要としている人のいる職業だ。
片付けが好きで、片付けの手順を考えることが出来て、クリーナーやその他必要な他の職業との連携を(サンディ経由ではあるけれど)取ることが出来て、なおかつ人の話をゆっくり聴くことがそれほど苦にならない。そう考えるとマキカは、もしかしたら、その小さな空白部分にすっぽり当てはまることができるのかもしれなかった。
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(*1) 「ジョイナー」
作り付け家具専門の家具職人。
「5000ポンド」
約63万から100万円前後。
(*2) 「アジア人女性」
マキカはイギリス的にいえば「アジア人女性」ではない。「アジア人」とは、イギリスにおいてもっぱらインドパキスタン系を指す言葉であり、マキカは大概アンケートの「その他アジア」に丸をつけるべき日本人である。ちなみに中国人にはきちんと独立した項目がある。
(*3)「アメリカでは全国プロフェッショナル・オーガナイザー協会ができて20年に近い時が経とうとしていた」
National Association of Professional Organizers 1983年設立。
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