金曜日の夢は人には言えないこと。

「は、なんの冗談なの? それ」

 思わず、そう返すと、「ひっでぇ」と、相手は心底情けなさそうな顔をした。

 1940年11月。晩秋の短い陽のなごりが、目にはいり、思わず瞬きをした。

「冗談じゃないよ。——結婚してくれ」

 少し拗ねたような困った顔をして、目前に立っている青年に、困ったのはこっちだ、とミルドレッドは思った。

 なんだこれは。

 弟と同じ年の少年だと思っていたらいつの間にか青年になっていて、それだけだってここしばらく落ち着かなかったのに、気づいたら自分よりずっと背が高くて、しかも結婚してくれだとか、肩幅ががっしり頼もしそうだとか、上腕筋が彫刻のように美しいのがシャツ越しに見えるとか、この私が思わず数秒見とれてしまったとか、一体なんの冗談だ。というかいつの間に6フィート4インチまで育ったんだ。このご時世にこの身長だとか、一体何を考えているんだ、このトウモロコシ頭。いや、ご時世は関係ないけど。 (*1)

「……とにかく冗談はいい加減にして。こんな時期だもの、私もそれどころじゃないし、あんただって忙しいでしょ」

 戦争は日増しに厳しくなっている。ミルドレッドも近隣の大都市リーズで薬剤師の手伝いを始めたばかりだった。男たちがいなくなって、どこも人手が足りなかったのだ。

「うん、まあ、でも」

 レナードは、ちょっと肩をすくめた。

「大事なことってあるよね。忙しいとかそういうことだけじゃなくてさ」

 俺、もう18歳だしさ。十分大人じゃん。

「大人はそう簡単に勝ち目のない挑戦はしないものよ」

 そういう「大人」な体験がしたいんだったら、もう少し可愛くてしおらしい女の子に声をかければいいじゃない。パン屋のベティとか、ずいぶん前からずっとあなたに色目を使っていたわよ。

「うん。まあ、でも、俺、こう、好きなんだよね。何ものをもよせつけない孤高の山脈とか、前人未到の地とか」

 ——なんですか、それは。私はエベレストですか。

「ていうか、これ、卑怯だから言いたくないと思ってたんだけど」

 そこまで言うと、レナードは靴のつま先に目を落とした。その顔は、いつになく真剣だ。

「召集令状が来た。クリスマス明けぐらいには立つことになるんだけど、そう思ったらどうしてもミルドレッドを」

 ここまで言って、突然青年は耳の裏まで真っ赤になった。何か言葉の選び方を間違えたらしい。「ミルドレッド」どうしたいと思ったのかは、すこぶる気になるところだったが、さすがに話が話だ。ミルドレッドも真剣な顔で続きを促す。

「ミルドレッド、結婚したいと思って」


 よくできました。


 今の自分だったら、半分笑いながら、そう言ってしまいそうだ。80年も生きていればそうなる。

 けれど、1940年11月、20歳のミルドレッドは、もう自分でもどうしていいのかわからないくらい頭のてっぺんからつま先まで真っ赤になってしまって、金魚のように口をぱくぱくさせながら、首が痛くなるくらい背の高い男のトウモロコシのふさふさのような頭を見つめるしかなかった。

「ほ、本気だったの」

「だから、最初から本気だって言ってる」

 レナードは、こわごわ左手をミルドレッドの頰に当てた。

「大好きだ、ミルドレッド。こんなに面白い女には他に会ったことがない」

 ずっと好きだった。君が待っていてくれるんだったら、きっと生きて帰ってこれる。

 なんだかとても口説き文句とは思えないようなセリフが混じっていたような気がしないでもないけれど、レナードの手が当てられた右頰が熱い、と思っているうちに、身動きが取れないほどぎゅうぎゅう抱きしめられて、頭のてっぺんにたくさんキスを落とされて、ミルドレッドは、喉の奥がきゅうとしまるような気持ちになる。

「……絶対に死なないで帰ってくるって、約束する?」

「最善を尽くす」

「……じゃあ、いい」

 ミルドレッドはレナードに目を合わせて笑った。私の20代を、あなたにあげる。あなたを待つことに使ってあげるから、死んでも帰ってこい。

「……死んだら帰ってこれない」

 かすれた声で、レナードが呟く。だから、生きて帰ってくるよ。そして、20代だけじゃない。君の残りの一生を、もらうよ。一緒に、生きよう。

「うん……」

 レナードはそっと、ミルドレッドの指に口付けて、それから、言った。


「ぶ」



 は?


 ぶ?





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(*1) 「6フィート4インチ」

      約193cm 

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