ある水曜日に住居内地層という概念が発見されたこと。
「キングスロードを左折して、エイコーンプレースに入ったら3軒目。そばまで行けばすぐに分かるわ」と、サンディは言った。
そして、サンディは正しかった。
ミルドレッドの家は19世紀にたてられたセミディタッチトハウスで──中央の壁を二軒の家が共有している形のあれだ──その庭には青いビニールシートをかけられた何かが積みあがっていた。マキカの腰あたりまでありそうな山が3個。なんとなく異臭がする気がするのは、気のせいだろうか。窓は埃だらけで洗われた形跡がない。
ドアベルを押すと、二階から音がして、程なくゆっくりと扉が開いた。昨日と同様、非の付け所もないほどかっちりとした服を着て、ミルドレッドが立っていた。
「おはよう。お入り」
ミルドレッドはぶっきらぼうにマキカを招き入れる。
お入りって……どこに?
思わず尋ねたくなる口を、マキカはつぐんだ。
ミルドレッドの家はまさに人工の洞窟のようだった。
ドアを開けてすぐはホールウェイだ(*1)。これ自体はよくある間取りで、まっすぐ先に階段がある……はずだ。
しかし、ホールウェイはほとんど物で埋められていた。何が入っているのか分からないビニール袋、新聞紙、雑誌。服の山、山、山。
ミルドレッドは電気をつけたが、部屋は薄暗い。
あまりにも物が多くて電気が部屋中に届かないのだ。窓も物で埋められているので、自然光もほとんど入って来ない。
マキカは気づかれないように息を飲むと、足を踏み入れた。今日は家全体を見て回る。そういう約束だった。
「お茶を入れたいんだけど、あいにく今、台所がふさがっていてね」
ミルドレッドはこともなげにそう言う。
入ってすぐ右手にある居間はビニール袋の山に占拠されていて、その中に一つ、色あせた緑の安楽椅子が──洋服が何枚もかけられてはあったけれど──かろうじて、人間が座れるスペースとして残されていた。埃っぽい匂いと、黴臭い匂い。おそらく年単位で換気をしていないのだろうということは想像に難くなかった。
マキカは無表情なまま軽くミルドレッドに頷いて見せ、キッチンへと移動する。
途中でミルドレッドが顎をしゃくった。
「あそこにはトイレとユーティリティールームがあったんだけれど」
なるほど、言われればドアがあるのかもしれないが、それはマキカには見えなかった。
「最後に使ったのはいつですか?」
質問をしたのは、本気で知りたかったからではない。何か話し続けなければ、という奇妙な焦燥感に追われたからだった。
「さあ、1993年ぐらいかな」
ミルドレッドの答えは、想像を遙かに越えていた。
キッチン、寝室、2階のメインバスルーム、客用寝室、そして一階のユーティリティルーム同様、物が前に積みあがっているためドアの開かない書斎。
すべてを一通り見て回った時には、マキカはすでにどれほど大きい仕事を自分が請け負ってしまったのか気づいていた。
ミルドレッドはトランクに詰めた服を着て暮らしていた。あの非の打ち所のない外見はただ一つのトランクに詰められたごくわずかな衣類で、保たれていたのだ。そのトランクの中身だけは老婦人は非常な執着をもって、皺一つない状態に保っていた。
ベッドはすでに半分以上ビニール袋に占拠されていて、夜はその狭いスペースに身を屈めて眠っている。バスタブは使えない。他の場所同様、物がぎっしりとつまっているからだ。キッチンの床に落ちていた新聞紙には、明らかに1987年9月の日付があった。つまり、これはすでに10年を越える「貯めこみ」の結果なのだ。
積み上がったものの多くは明らかに下に行くほど古く、黄ばんでいたり、色褪せたりした。住居内にも地層は形成され得るということを、マキカは学んだ。このように日々学びが続くのだから人生は素晴らしい。
シャワーはどうしているんですか、と尋ねると、週に二回、友人の家で入っている、という答えが返ってきた。その一人はサンディかもしれない。どちらにせよ、ボイラーは使えないからお湯は出ないと言う。地下にあるボイラーまでの経路がビニール袋でふさがれてしまったため、スイッチが入れられないのだ。
とりあえず全てをみた後、マキカは何本か電話をかけた。
それから寝室のベッドの上に、ミルドレッドと腰掛けた。
この家に大人が二人並んで座れる場所は、他にない。
とにかくひどいものだった。
ボイラーが使えなくなったのも昨日今日のことではない。
過去数年間この老女は、ヨークシャーの冬を暖房なしですごしたのだ。よくぞ凍死しなかったものだ。
台所の流しも、物が積みあがっていて、水が出せる状態ではなく、唯一の水の供給源は2階のトイレのシンクだった。
80歳という彼女の年齢を考えると、この家はあまりにも危険だった。今まで転倒して大けがをしなかったのが奇跡のようなものだ。そもそもこの埃の量では電化製品からの発火のリスクも馬鹿にならないだろう。
とにかくこのままでは日々の生活が良くて地層観察、悪くてトンネル探検だ。80歳の老女が続けて行くにはあまりにもハードすぎる。
しかし、一体どこから手を着ければ良いのか。そして、まずは何からミルドレッドに話せばよいのか。
マキカはミルドレッドの手をとった。そして、ゆっくり話し始めた。
「親愛なるミルドレッド。私がお仕事をする6日間で、捨てなくてはならない物が、あまりにもたくさんあります」(*2)
ギロリ。
右手をマキカの手から振り払って、ロシア民話の魔女はマキカの顔を睨みつけた。
「あたしの許可なしに捨てようとか思っているんじゃあないだろうね」
「そんなこと、しませんよ」
やや憮然としてマキカは答える。
やれやれ。
実際にどうやって片付けるかどうかを話し合う段階にも、実はミルドレッドは至っていないのかもしれない。
家の物すべてを、カウンシルに捨てられるかもしれないという恐怖からサンディの提案に首を縦にふったものの、実際のところミルドレッドにはマキカと片づけをする気など寸分もないようだった。
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(*1) 「ホールウェイ」
19世紀的に言うのであれば玄関を入ってすぐに部屋なのではなく、
(*2) 「親愛なるミルドレッド」
"Mildred, my dear" 日本語にするとスカしていますが、この場面で英語で言うと、なんか「これから丸め込むぜ」という意図がミエミエです。
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