ある日曜礼拝の後、「大きな」サンディに捕まったこと。




「色々考えたのだけれど、他の人にはお願いできないのよね。もしかしたら、マキカだったら、なんとかできるのじゃないかと思って」



 礼拝の後、教会のホールでコーヒーを飲んでいるマキカをつかまえてサンディは、屈託のない笑顔でそう言った。サンディは人当たりが良い60がらみの女性だが、その人あたりの良さが、彼女の全てではない。


 彼女を「人当たりの良い中年女性」のカテゴリーに押し込めるのは、たまたま近所に迷い込んだライオンの子供を「大きめの野良猫」カテゴリーに押し込めるくらいには危険なことだし、残念ながら、そう言った事故も過去にはおきている、という話だった。


 もちろん子ライオンがヨークシャーをさまよう、といった類の事故ではなく、あまりローカルな事情に詳しくない新参者がサンディをただのおばさん扱いする、という事故である。


 しばしば声をひそめて語られるその種の「事故」が、具体的に何を指すのかは定かではない。さしずめ、にこやかな田舎のおばあちゃんだと思って相手にしていたら、たまたま機嫌の良いビクトリア女王だった、というような話なのだろう。


 そう考えるとマキカはそのかわいそうな新参者に同情したくなる。だって、機嫌の良いビクトリア女王なんて、イギリス人だったら誰だって想像ができない。あの人はでっぷり太って、黒い喪服にジェットを身につけてぶつくさ「面白うない」と言っているべきなのだ。(*1)



 ともあれ、サンディは──見た目は陽気なビクトリア女王だったが──教会の各種事務を笑顔でこなすだけではなく、アディントン一帯に知らない人間はいないくらいの顔の広さだった。


 そういうわけでイングランド北部の片田舎で一人で生きている東洋人のマキカが何をおいても味方に付けておきたい人がいるとしたら、サンディは、その筆頭にあがる。お世話になっている翻訳会社の社長を除けば(*2)。



 サンディは、何もかもがちょっとばかり大きい。ジェスチャーも、体格も、声も、そして、色々な人を受け入れる心も。


 時折彼女の親切心は、ほんの少し押しつけがましさに近づき、マキカが困ってしまうこともある。しかし総じてマキカはサンディが好きだ。この国の中流階級の人間はおしなべて他人との距離に注意深い。物腰柔らかで、なかなか心を開かない人々に囲まれて生活していると、サンディのまっすぐな暖かさは、なかなかに希有なものだとわかる。




「一体、どういう仕事なのですか」

 マキカは警戒しつつ尋ねる。


 去年、離婚したばかりのサンディの一人娘の家の片づけの手伝いをして以来、サンディはことあればマキカに片付け業の話を持ってくる。


 「プロフェッショナル・オーガナイザー」として独立開業すべきだというのがサンディの持論なのだが、そんなアメリカの大富豪が雇うような職業が、ヨークシャーの片田舎で成立するとも思えない。先月も一度断ったばかりだ。


「もちろん、今やっている翻訳の仕事が忙しいんだったらしょうがないんだけど……」


 サンディはゆっくりとマキカを見る。マキカがここ数ヶ月仕事の減りに頭を悩ませていたことなど百も承知の上で、だ。


「実は、教区に一人、困っている人がいてね。ただ、詳しいことはここでは話せないから……どうかしら、火曜日に一度話し合いを持つというのは? お金も払えるわ。一日100ポンドぐらいだけれど」


 100ポンドか、とマキカは少し考えを改める。(*3)


 とてつもなく良い金額ではないけれど、生活していくのに十分助かる金額ではある。少なくとも次に翻訳の仕事が入るまでのつなぎとしては悪くない。


「まあ、駄目だったら断ってくれていいからね」

 サンディはにこやかに念を押した。


 幾ばくかの疑念を残しつつ、マキカは頷いた。









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(*1) 「面白うない」 

   We are not amused. ヴィクトリア女王のせりふとして有名だが、実は実際に言ったという記録はないらしい。


(*2) 「お世話になっている翻訳会社の社長を除けば」− 日本語訳(いつもあしもとみやがってこのやろう)


(*3) 「100ポンドか」

 日給1万2500円から2万2500円程度。ただし、税ひき前なので手取りはもっと少ない。揺れ幅は円ポンド相場による。お願いだ、もう少し安定した関係を築いてくれないかね、君たちは。

  ちなみに2017年現在、プロフェッショナル・オーガナイザーのの相場が50ポンド。駆け出しであったことその他の条件を差し引いても、これは破格。

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