第9話 岐路

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 ワタシの名前はイリヤ・アイリスフィールド。17歳になったばかりであり。ワタシの両親はちょうど3年前に死んだ。今はブリヤート共和国を離れて、日本で叔父のマキシムと二人暮らしをしている。38歳でワタシという子どもを授かり、52歳で死ぬまでの間、ワタシの母は多くの汚職を暴き出した政治ジャーナリストとして、ロシアでは名を馳せていたようだった。

 父と母は、酷く凍える冬の夜にワタシの眼前で殺された。両親は台所の床に上から押さえつけられ、めった刺しにされた。切り刻まれた人形のように横たわる父と母の顔が、萎れかけのナスみたいに生気がなくなっていったのを今でもよく覚えている。

 その後、助けに来てくれたマキシムも成す術なく、軍服の男たちに拘束されるのを目の当たりにして、ワタシは自分自身の最期の瞬間を受け入れる準備を整えた。

 だが、当時マキシムの所属していたMNLF(モンゴル民族解放戦線)が、メルゲンとワタシたちの身柄の交換に応じてくれたせいで、モンゴルのウランバートルに、マキシムとワタシは生きて降り立った。不幸にもワタシたちは生き延びてしまったのである。

 一方で、リーダーのメルゲンを失ったMNLFからの風当たりは強かったらしく、マキシムはワタシを連れて、逃げるように日本へと渡った。四方を海に囲まれた地にやってくる潮風は、毎日ワタシの肌を強く刺した。

 強硬派のブリヤート解放戦線が行う日本での作戦にマキシムが参加すると言った際はやるせなかったが、この土地で独り生きていくという道は、初めから選択肢に存在しなかった。そして、それこそが今ワタシがここにいる理由に他ならないのだった。

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 「グレゴリー、音響室で先に準備しといてくれる?ワタシはスヤスヤと眠っている勇敢なる戦士を起こしてくるわ。」

 グレゴリーの奴は意地悪そうな笑みを浮かべている。

 「仰せのままに、プリンセス。眠った王子様の最後の目覚めはプリンセスでないとね。」

 わざと畏まった口調でワタシを小馬鹿にすると、奴は両手のパイプ椅子を持ち上げて、音響室へと向けて歩き出す。

 「最後かどうかはまだわからない。可能性があってこその楽しみだもの。それにプリセンスは、………」

 ワタシはグレゴリーには届かないように、小さな言葉で呟いた。






 休憩室に入ると、我々が置いたベッドの上で少年は身を起こしていた。もう一人の少年と気を失っていた少女には外傷がなかったため、すでに彼らは体育館に戻されており、その少年だけが部屋にポツンと置かれている。彼は恐れなき瞳でワタシを捉えると、目を一時的に閉じて開き、もう一度ワタシを見据える。彼の目の色はワタシの好きな茶色だった。

 「名前は?」

 「キソウ ホタカ。」

 「貧相な名前ね。」

 「しょせん記号だよ。あんたの名前は?」

 「イリヤ。 イリヤ・アイリスフィールドよ。」

 「名前負けしちゃいそうな大層な名前だね。」

 「名前なんて記号にすぎないんでしょ?」

 「………、考え方は人それぞれさ。」

 彼は少しほころんで、自分の発した言葉の意味を再び確かめている。


 「それでまた、なにか用でも?」

 「そうね。君は人の命を奪ってでも自分は生きたい?」

 二人の間に厳かな沈黙が流れる。

 「…。生きたいんだと思う。だって、まだ死にたくはない。」

 彼は以前より凛々しい声でワタシの質問に答える。

 「イイ回答ね。シンプルでとてもいいわ。」

 彼の持つ未知への可能性に、ワタシは不安と期待を感じずにはいられない。


 「選択肢を三つあげる。三つとも全て君が生き残ることが出来る良い選択肢を。」

 「本当か?あんたの選択肢の中に、Easy Modeな人生はなさそうだけどね。」

 彼は俯きながらも、呼吸は落ち着いている。

 「一つ目は、さっき君が守った二人の命を頂く代わりに君を生かすという道。」

 ワタシも彼も表情を変えない。

 「二つ目は、さっきの二人を見逃してあげる代わりに、君があるゲームに参加するというもの。ちなみに、とっても面白いゲームよ。

  そして最後は、君が生徒の中から一人を選んで処刑を行うという選択肢。この中から好きなのを一つ選んでいいわ。そして、決まったら言って。」

 ワタシは彼の前に小銃を置くが、彼は真剣な顔でワタシを正視している。

 「二つ目以外、選びようがない。」

 「そう?ためらいは不確実性を高めるだけよ。1と3なら君は確実に生き残ることができる。」

 「ああ。けど不確実性に懸けたいんだ。例え二番目にも希望がないとしても。」

 「希望…ね。君にとっての希望って何?」

 「そうだね……。」

 彼は部屋にある鏡を覗き込む。ワタシも鏡に映り込んだ彼を見つめる。


 「テニス部のマネージャーで飛香って、やつがいるんだ。そいつの誕生日が明日だから、皆で明日を迎えて、それをテニス部の全員で祝ってやることかな。」

 「おかしな希望ね。誕生日なんて一年の内のただの一日すぎなのに。」

 ワタシは彼の言葉の何かにとてもイラつき、彼の持つ日常を心底、見下した。

 「変な希望ならば、もう一つあるよ。あんたと和解し…いや、あんたたち皆と握手して、誰一人欠ける事なく、この体育館を後にすること。それが僕のもう一つの希望だ。」

 「サンタを待つ幼児レベルの願いね。そして、あんたは未だにイエスを信じるキリスト教徒レベルの馬鹿ね。」

 「キリスト教徒を馬鹿呼ばわりするのは、いただけないね。」

 彼はそう言い返すと、ワタシに向かって右腕を差し出す。だが、ワタシは彼の右腕を撥ね退け、左腕の傷ついた部分を力強く殴った。彼は痛そうな表情を見せ、少し声を漏らしたが、彼は自らの左腕を優しそうに見つめるだけである。



 「これがワタシの答えよ。」

 「なるほど。僕らの間には、まだ見えない大きな壁があるようだね。」

 彼はそう言うと、置いてあったペットボトルの水をワタシに返し、立ち上がった。


 「それで、ゲームはどこでやるの?移動するのかい?」

 「ええ、部屋を変えるわ。気が早いのね。」

 「嫌なことは早めに終わらせたい性分なんでね。」

 「悪くない心掛けね。その気概を失わず、最後まで楽しんでくれたら最高だわ。」

 「ご忠告ありがとう。それは無理だけど、何となく気持ちの整理はできたよ。」

 「そう。じゃあ行きましょう。」

 そう言って、ワタシはグレゴリーたちが待つ音響室へと彼を誘導した。きっとワタシも彼も気持ちの整理は出来ていなかったに違いなかった。





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箱舟なき未来 サハラ・サーブラ @toaskyhawk

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