第8話 背水

 言いようのない不安が、我が全ての感覚器を支配していく。こいつは一体なんなのだというのか。酷く報われない物語のようだったが、紛れもない真実を示している。

 血も涙もない悪魔の前に我々の仲間は次々と倒れていくのを私は目の当たりにしていた。


 「ま、待ってくれ。」  、、、------イっ--、、、


  うおおああああああああxzsdlkgjs lkje jlsjgp:s@k: mspoiifj snjms:oijs ]lkfsj

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 体育館奥の音響室で仮眠をとっていた私は、自らの絶叫で悪夢から目を覚ました。大量の汗をかいていたが、自然と体育館へと向かおうとする身体をこころで感じ、起きてすぐに音響室を後にした。


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 我が名は、マキシム・トルストヴァ。ロシアのブリヤート地方出身で地元の大学で美術史を教える教員であった。両親は共に高校教師だったが、私が小学生の頃に火事で命を落としてしまった為に、それから成人までは伯母の元で日々を暮らしていた。

 私が21歳となった年に、伯母は38歳で再婚し、私にとって従妹となるイリヤを授かった。両親不在の孤独を感じる時もあったが、伯母との生活は非常に幸せなものであった。

 だが、私が30歳を過ぎた時に起こったウラン・ウデ空港の事故で妻を亡くした事と、その事故を機に出会ったメルゲンなる男が、我が人生を大きく変えるきっかけとなる。メルゲンは若き国際弁護士であり、かつ、南モンゴルをまとめる熱き革命家のホープでもあった。彼と仲良くなったのは、妻の死亡事故の裁判を弁護して貰ったのが縁であり、彼も若くして妻を亡くしていたこともあり、親近感を覚えずにはいられなかった。

 また、彼は中国共産党に対する自身の憤りと、ロシア航空保安局に対する私の憤りとを重ね合わせてくれており、そんな彼に私も共感するのは、ある意味、必然であったと言えた。

 そして、そのような経緯を経て、徐々に私も、彼の指揮するモンゴル民族解放戦線に参加していくようになっていった。メルゲンたちは、南モンゴル・ブリヤートの独立とモンゴル民族の統一を第一目標にしており、私も目指す目標が出来たことで初めて自らの欲求を認知し、意志を持って戦うことを決意したのであった。

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 体育館に戻って最初に飛び込んできた光景に私は言葉を失った。少年が血を流して倒れている状況にも驚きはあったが、それは私が感じた真の衝撃に比べれば、ほんの一部でしかなかった。

 誰かが誰かを拳銃で撃ったという事実よりも、意識を失いながら躍動感を保つ少年と、迸る鮮血のコントラストが美しく相俟って、完成された一つの絵画に見えたことの方が、私のこころを烈しく揺さぶった。

 そう、それは、まるで西洋絵画の『ヒュアキントスの死』を再現したかのような光景であり、血を流して倒れる少年を懐き抱えんとする友の姿は、さながらヒュアキントスを擁くアポロンを想起させた。

 私は、その少年の無垢な姿を覆う鮮血の赤に魅入られて、2~3秒程フリーズしてしていたが、我に返ったところで事の面倒さに気づくこととなった。一旦、近くにいたアルサランとイリヤのもとへ行くと同時に、二人を現場から離した。そして、「出血している少年」と「その友」と「二人の傍らで気を失っている少女」を奥で治療するように別の仲間へ指示を出した。


 その後、アルサランとイリヤから詳しい事情を聴こうとすると、イリヤが、

 「ワタシが撃ったの。アルサランは見てただけよ。」

 と言い、周りの仲間たちもそれに対して異論がないようだったので、アルサランや他の仲間たちには先に自らの持ち場に戻っていいと伝え、イリヤと二人きりで体育館の隅に残ることにした。

 イリヤは私と二人きりになると、気持ちを吐き出すように、

 「腕を狙ったのは、無闇に殺しても逆に面白くないから。ちょっとした退屈しのぎでやったの。」

 とだけ言い、私からの返答を待つように、こちらをじっと見つめてくる。

 私は頷き、彼女を咎めることはしなかった。

 私にとってイリヤが若さ故に幾ばくかの規律を乱す事は、仕方のない事であった。

 むしろ今後、殺すかもしれない子供たちに対して治療を施している自分自身の矛盾の方が、重症であるように感じられた。

 ――― このような手段によって自らの目的を成すことが最善と言えるのか?

と、疑問を感じていた私は、その不安な目を隠さず、イリヤへと向ける。

 「どうしたのマキシム?なんでさっきから黙っているの?」

 イリヤの目は私の目より色素が薄く、その声もまた薄く淡く私を包み込む。

 私は、自己矛盾という泡によって膨れ上がった焦りを無理やり掻き消し、汗の滲んだ手でイリヤの肩を掴んだ。

 「この件に関しては特に問題視することはない。とにかく一人ひとりがやるべきことに集中しなければならない。」

 「イリヤ…とりあえず最初に殺す1人を決定したか?決めたのならば色々と準備をする必要があるから、決まり次第すぐに私へ教えてほしい。」

 と伝えると、イリヤにも鋭い感情が戻り、血色が良くなっていく。

 「うん大丈夫。そのことについてなら、マキシムは心配しないで。さっきの少年が目覚めたら、計画を始めるから。」

 と答え、彼女は笑顔を見せる。恐ろしく屈託がなく、病的な笑顔であったが、問い正すことはせず、その歪んだ、、歪ませてしまった少女の笑顔を目に焼き付ける。

 「だから、もう少しだけ待って。」

 元気を取り戻したイリヤは私に背を向けて、奥で突っ立っているグレゴリーの方へと歩いていく。舞台側からは体育教官室で待機していたオルゲルトが走ってくる。

 「貴方は政府との交渉に集中するためにも部屋に戻ってください。いつ電話が掛かってくるか分からないのですよ。」

 と彼に諭されるも、私はイリヤの背中を最後まで見送った。イリヤを完全に見送ったあと、私はようやく体育教官室へと足を向けた。そして凪の海を歩くような歩調と口調で、オルゲルトに話しかけた。

 「正直この先、我々に何が待ち受けているのかを予測することは私にも不可能だ。だがね、あの日以上に最悪の日が訪れることはないという自信が悲しくも私の精神を安定させてくれる。」

 オルゲルトはゆっくりと私の言葉に頷く。彼は「行きましょう。」とだけ答え、私の顔を見ようとはしなかった。私は最後になるかもしれない彼の横顔を海馬にそっと閉まい、過去と現実を噛みしめた。



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