ウェブ作家は読者をおもてなしするサービス業?

 先日、小説家になろうに掲載されているある作品が読者からの批判を受け、内容の変更を余儀なくされました。

 作者の方のツイッターを読んだら、ストーリー展開について批判を浴びたので、内容を一部修正しましたと書かれていました。

 私がその作品を読んだのは内容が変更されたあとだったのですが、感想欄のコメントを見るに、どうやらNTR展開があり、それが一部の読者には不評だったようです。


 私もNTR展開などは好きではありませんが、それが作者の書きたいことなのであればそれを変えろと要求することはありません。

 感想欄を見ていても、批判した人達も内容を変えろと言ったわけではありません。

 にもかかわらず、この作者の方が批判を受けて内容を修正したということは、自分の書きたいことを貫くよりも読者が好むようなストーリーを書くべきなのだ、と判断したということだと思います。


 これはカクヨムではなくなろうの話ではありますが、ウェブ小説の有り様を示す一つの象徴的な出来事ではないかと思います。

 つまりウェブ小説の主人公とは読者の感情移入の対象であり、主人公が失敗したり苦労したりするということはまるで自分が苦労を味あわせられているように感じる読者がいる、ということです。

 逆にいえば、ウェブのファンタジーにおいてチート能力で無双するストーリーというのは、この自分自身が異世界で活躍することでカタルシスを得るための道具立てであるということでしょう。


 自分自身が異世界で活躍している感覚を得るためには、自分自身に近い人物が物語の中に必要となります。

 そのために、現代日本から異世界に転生、あるいは転移していく主人公が必要だということです。

 現代人が全く登場しないハイファンタジーだと登場人物が自分から遠くなり、感情移入の対象としてはふさわしくないので、あまりそういったものが流行らないのかもしれません。


 もちろん、一般書籍だって読者は主人公に感情移入しますし、カタルシスは求めます。読んで何かしらいい気分になれないのなら、わざわざお金を出して小説を買う意味がありません。

 ですが、一般書籍ではウェブの作品ほどには強力な能力が求められているわけではなく、読者もある程度は主人公の失敗や苦労に対して耐性があるように思えます。


 これは一つには、ウェブの作者はプロ作家ほどには信頼がない、ということが原因かもしれません。

 一介の素人が読者を惹きつけて離さないためには一般書籍よりも強力な餌が必要で、そのためにチート能力やハーレムと言ったフルコースを用意する必要が出てきたのではないかと思います。

 また、ウェブ小説は紙の書籍とは違い、動画などウェブ上の他のコンテンツもライバルとなります。文字しか存在せず、五感に訴える力の乏しい小説というメディアでは、その分読者へのご褒美を多めに盛らなければいけないのかもしれません。


 読者の要望に応じてストーリーを変えるというやり方も、それくらいしなければ読者を自作に繋ぎ止めておくことは難しい、という判断ではないかと思います。

 小説というのは漫画や動画に比べて見てもらうことが難しいものです。

 その分だけより強く読者にサービスする必要がある、少なくともそう考えている作者が存在する、ということは確かなようです。

 

 この方向性が正しいのかどうかはわかりません。ただ、そうした読者サービスの少ない作品は質が高くても評価は得にくく埋もれてしまう、ということになります。

 この方向性を突き詰めると作者は自分の作家性ではなく、どれだけ読者を作品でおもてなしできるのか、という点で勝負するということになります。

 それは作家というよりは、文章を用いた一種のサービス業に近いのかもしれません。

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