文学的な文章が高評価を受けるわけではない

 突然ですが、中島敦の『山月記』が匿名でウェブにアップされていたなら、高評価を受けられるでしょうか?

 ジャンルとしては「歴史・時代・伝奇」という過疎ジャンルとなり、しかも文章は漢文調の美文。

 文章も内容もこれ以上ないくらいにクオリティが高いことは自明ですが、それは私達が中島敦という人物のことを知っているからそう思うのであって、もし中島敦という人物を誰も知らない世界でこの作品が投稿サイトにアップされたら?


 おそらく高評価は受けられないだろう、と私は思います。

 難しい言葉がたくさん使われていて、こういうものが好きな私から見ても読みやすいとは言えない。

 内容についてどうこういう以前に、この文章で挫折してしまう人も多いことでしょう。

 

 そもそも歴史は過疎ジャンルだから、ということは置いておきます。

 もし異世界ファンタジーをこの調子の文章で書いていたとしても、読者がついてくるのは厳しいでしょう。

 いくら文章力が高くても、普通の人が読みにくい文章なら読まれません。

 増してや、ウェブは小説が好きな人だけが読んでいるわけではないのですから。


 現代日本では、さすがに中島敦ほどの硬い文章を書く人はいません。

 ですが、私が「埋もれている」と感じる作品には、こうした格調高い、文学の香気を感じる文章を書く方が少なくないのです。

 小説には文章しか存在しないので、私は小説には「文章が美しい」ということも求めています。自分が文学的な文章を書けないこともあり、なおさらそういう文章を書ける方には憧れがあります。


 ですが、そうした文章が、必ずしもウェブでは評判が良くないようです。

 先日、書籍化もされたある有名なファンタジー作品の中で、こういう文章がありました。


「町並みは中世ヨーロッパ風だ。これ以上の説明はいらないだろう」


 いや、まさにそこを描写して欲しいんですが……と思いましたが、そこを詳しく描写してもテンポを削ぐだけだ、と作者の方は判断したのでしょう。

 きちんと描写したほうがウケが良いなら、そうしているでしょうから。

 ある種の読者には詳しい描写などむしろ邪魔にしかならない、そんなものは切り捨てる、という考えがここにはあります。

 

 実際書籍化もされた作品なので、この判断は正しいのかもしれません。

 個人的にはこう言い切られてしまうのはなんとも寂しいものがありますが、華麗な表現で文章を飾ってもあまり小説を読み慣れていない読者には読みにくいだけ、ということになっている可能性もあります。

 「埋もれている」作品の文学的表現も、これが紙の本なら十分受け入れられるだろう、というレベルのものがほとんどです。

 ですが以前も述べた通り、紙の本とウェブ小説では、そもそも読者の前提が異なります。紙の本は小説が好きな人しか読みませんが、ウェブ小説はそうではありません。

 

 実際、プロ作家の方でも「ウェブでは中途半端に描写をするくらいなら、何も書かないほうがいい」と言ったことを主張する方もいます。

 これが常に正しいとは思いませんが、時にそういう選択をする必要がある場面もあるのかもしれません。

 ですがその一方、文学的な描写ができる方はそれこそが作品の重要な構成要素だと思っているので、読みやすくするためにそこを削った方がいいなんてとても言う気にはなれないことも事実です。


 なお、カクヨムにも『おにぎりスタッバー』のように「石版」と言われるほど文字の洪水が襲い掛かってくる作品でも人気作品で書籍化されたものもあることは付け加えておきます。ただ、この芸風で行くにはよほどの筆力がないと厳しいかもしれません。特にウェブで戦う場合には。

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