腹ペコ・ファスナー・一時停止 (2017年04月29日)

矢口晃

第1話

腹ペコ・ファスナー・一時停止



 と言うか、まあ、僕に言わせればそれはごく当たり前のことだったりする。

 どれくらい当たり前かと言うと、たとえて言うなら、動物園にペンギンがいるくらいあたり前なことだ。公園に噴水があって、子供が大勢来ていて、そのそばで親たちが固まって談笑していたりする。アニメに出てくるアヒルが全速力で走るとき、高速回転した脚が輪ゴムの束みたいに黄色いわっかになる。それくらい当たり前なことなのだ。

 でもそれが、僕以外の人――例えば、道端で缶コーヒーを飲んでいる、昼間のさぼった会社員や、パーマの途中にうとうと眠ってしまう美容室のお客さんや、事件のない町の交番でぼけっとしている警察官など――まあ、つまるところ誰でもいいんだけれど、とにかく僕以外の人にとっては、それが当り前じゃないんだというんだ。

 それは大変奇妙なことだ。同じ月を見て、ある人は満月だと言う。ある人は、いや新月だと言う。それくらい奇妙なことのように僕には思えるのだ。

 例えばお腹が空いてどうしようもない時には、どうしよう。朝から何も食べていなくて、お昼を回って二時くらいになって、もう腹ペコでどうしようもない時。そこに、偶然一個の菓子パンがあったとしたら、どうしよう。僕の感覚では、それを食べたらいいと思う。それが、僕にとっては当たり前なことだからだ。だってそうだろう。お腹が空いていたら、仕事だってはかどらないし、ひそかに想いを寄せているよしこさんの前でもいいところが見せられない。でも、それも僕以外の人からすると、それが当り前じゃない可能性だってあるんだ。もしかしたらその人は、ちょうどダイエット中で、体重を落とせるからありがたいと思っているかもしれない。また別の人は、目の前の菓子パンが、どうしても好きじゃないかもしれない。

 家で映画を見ている時、僕は好きなシーンで必ず一時停止ボタンを押す。そして少し巻き戻して、もう一度同じ場面を観る。それを繰り返し何回も行う。好きなシーンは飽きるまで何回も観る。それが僕にとっての当たり前だからだ。

 でも他の人から言わせると、それはナンセンスだということもある。映画は流れが大切で、途中で一時停止なんてして流れを止めるべきではないのだという。

 僕の当たり前と、他の誰かの当たり前が、ぶつかりあう。

 行き場を失った二つの当たり前は、仕方がないから、同じ場所にお互い肩をすぼめながら共存することになる。ちょうど、満員電車の中のサラリーマンみたいに。

 それはとても窮屈な当たり前だ。窮屈な当たり前? それって、当たり前というのだろうか。

 当たり前と言うのは、自然にそうあること、必然にそうあること、疑うべくもなくそうあること、という意味のはずだ。なのに、なぜその当たり前が、肩身の狭い思いをするのだろうか。

 それはもはや、当たり前なんかじゃないのではないだろうか。

 世界に戦争がない方がいいのは、当たり前だ。なのに、実際に戦争はある。

 世界に犯罪がない方がいいのは、当たり前だ。なのに、実際に犯罪はある。

 世界に泣く人がいない方がいいのは、当たり前だ。なのに、実際に泣く人はいる。

 世界の誰もが幸福であるべきなのは、当たり前だ。なのに、実際にはそうでない人々もいる。

 当たり前が、おしくらまんじゅうして、ぎゅうぎゅう言ってる。痛いよ、痛いよ、僕の居場所はここじゃないよと、涙目で訴えている。でも、僕のひ弱な力では、どうしてあげることもできない。せめて僕はこう言って慰めてあげることくらいしかできない。

「ごめんね。僕は君を当たり前だと思っているけれど、世間では君は、必ずしも当たり前じゃないみたいなんだ」

 僕の中に、当たり前は一体いくつくらいあるだろうか。恐らく数えきれないくらいたくさんだ。

 同じように、道を歩いている人、本を読んでいる人、空を見上げている人、お祈りをしている人。みんなにみんな、同じくらいたくさんの当たり前が存在している。この地球の上には、人の数の何百倍もの当たり前がひしめき合っている。もうとっくに定員オーバーだ。

 誰かが自分の当たり前を押し通そうとすると、誰かが自分の当たり前を引っ込めなくてはならない。誰かはそれで満足かもしれない。けれども、もう一方の誰かはとても不満足だ。

 誰かの当たり前が威張りすぎていると、周りの当たり前が遠慮して小さくならざるを得ない。威張っている当たり前はそれが当り前だと思う。委縮した当たり前は、それが当り前だと思うかもしれない。

 今日、どこかの国で核爆弾の実験が行われるというニュースを聞いた。一度にたくさんの人の命を奪うかもしれない爆弾の実験だ。それに対して、敵対している国が武力的な圧力で抗議の意思を示している。世情に疎い僕にさえ、事態が緊迫していることはよくわかった。

 当たり前って、一体なんだろう。僕にとっては、それはまあ、当たり前のことなんだ。とにかく、人が人を殺すなんてよくない。まして、国家が国民に人殺しを命令するなんて、もっとよくない、なんてことは。

 でも、実際にはそれが行われようとしている。もう、何が当り前何だかわからなくなってくる。

 とまあ、珍しく僕にとっては難しいことを考えている内に、お腹の虫がきゅるるとなった。

 あちゃあ、と思ってお腹の方に目を移すと、ズボンのファスナーが全開だったのに気が付いた。

 当たり前って、難しいな。

 そんなことをつぶやきながら、僕は開いたチャックをこっそりと閉めた。

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腹ペコ・ファスナー・一時停止 (2017年04月29日) 矢口晃 @yaguti

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