第175話

 歩人が元の世界に戻って2か月が経過していた。


 その日、歩人の高校は1学期の終業式を終え、学校を後にした歩人は、友人である兼久と伸太と共に秋葉原にいた。


「あちい、これ今何度あんだよ」


 既に一通り見て回り、夕方のファストフード店で涼をとっている中、伸太はテーブルにだらしなく突っ伏している。


「夏だから暑いのは当たり前だろ。むしろそんな恰好見せられている事が暑苦しいわ」


 そんな憎まれ口をたたく兼久だが、伸太はいきなり身体を起こすと、兼久とその隣にいる女子に向かって指をさす。


「うるせえよ! こんな時にでもイチャついてるお前らの方が暑苦しいだろが!」


「誰もイチャついてないわよ。この馬鹿!」


 その少女、岡谷詩織はそう言いながら伸太の頭を思いっきり叩いた。


「なんで、お前がいるんだよぉ。これは男同士の友情と親睦を深める為の」


「なに、それ差別?」


「い、いや、そういう訳じゃ」


 詩織の剣幕に、伸太は情けない声を上げると、隣にいる歩人の肩を掴む。


「歩人も、なんか言ってやってくれ」


「え? 僕は別に」


 それを聞いた伸太は力なく崩れ落ちるが、その様子に他の3人は笑みを浮かべる。


 実際には歩人がいない間に、詩織は土曜日に2人と秋葉原に来るようになっていたらしいが、今日見る限りでも、詩織は歩人と伸太に気を使って3人の一歩後ろを歩いている様な状態で、伸太が言う様な事はないだろうと歩人も確信していた。

 

「そう言えば歩人、今日も何も買わなかったな」


「ま、まあ、ちょっと習い事始めたから、なかなかね」


「乗馬となんだっけ?」


「格闘術」


 詩織の問いに歩人は即答すると、他の3人は意外そうな表情で歩人を見る。


「なんか意外だな」


 兼久の言葉に、歩人は照れ笑いを浮かべる。


「ちょっと、僕には必要かなって、馬にも乗れるようになりたいし、いざという時に魔じゅ、いや、ちゃんと戦えるようになりたいから」


 こちらに戻った歩人は、母である杏奈との約束で魔術の使用を制限されており、魔術の事自体も兼久たちには秘密にしていた。


 その時、何者かが近付いてくると歩人の隣で立ち止まる。


「歩人、見っけ」


 その少女は学校の制服を見に付けているものの、その整った顔立ちといい、三つ編みにした銀髪といい、明らかに目立つ存在であった。


「ヴィオラ、どうして?」


「匂いを辿った」


 比較的高位の魔術師は自分と異なる魔力を察知する事が出来るが、歩人は経験のなさからそれは出来ないでいる。


 ただ、その事をヴィオラが匂いと称している事に気付いたのは最近になってからであった。


 既にこちらの世界で生活すると決めたヴィオラは、心臓の病を克服した芝原豊子の養子として暮らし、今では中学にも通っているが、歩人のいない間に杏奈ともすっかり仲良くなり、気が付けば家に遊びに来ている為、自然と歩人とも親しくなっている。


「その子、たまに近所で見かけるけど、歩人の知り合いだったの?」


「僕というより、元々は母さんの知り合いかな」


 詩織の問いかけに答えていると、ヴィオラは歩人の袖を引く。


「歩人、折角だから、何かご馳走して」


「仕方ないな。でも僕もあまりお金持ってないからね」


 そう言いつつも歩人は立ち上がり、ヴィオラと共にカウンターへ向かった。


「それにしても、歩人変わったね」


「それは、詩織もだと思うが」


 兼久の言葉に詩織の顔は微かに赤くなる。


「そ、そうじゃなくて、ここだけの話、女子の人気も上がっているし」


「そうなのか?」


「まあ、元から可愛いとか言われてはいたけど、最近の歩人は全然違う感じよね」


 その会話を聞いていた伸太が、凄まじく険しい表情を見せている事に兼久は気付き詩織を制止する。


「なんつー顔しているんだ」


「知らなかった。歩人がそんな立場だったとは」


「まあ、歩人の場合は彼女の影響だろうけど」


「彼女?」


 訳が分からず呆然とする伸太の様子に、兼久は余計な事を口にしたと表情を強張らせると、同時に詩織からも軽く抗議の肘打ちを受けてしまう。


 そのタイミングで戻ってきた歩人は、微妙な空気になっているその場に気付き不思議そうに3人を見た。


「歩人!」


 突然、伸太に抱き付かれた歩人は、反射的に伸太の右肘関節を極めようとするが、途中で気付いて事なきを得る。


「そ、それで、どうしたの伸太?」


「俺達、友達だよな」


「もちろん」


「歩人!」


 伸太は人目をはばからず歩人に抱き付くと、歩人は困惑した表情を浮かべ、兼久と詩織は呆れたような表情を見せていたが、ヴィオラだけは関心がないらしく美味しそうにハンバーガーにかぶりついていた。


 その夜、歩人はリビングのソファーでくつろぎながら、飾られている写真を眺めていた。


 歩人が向こうの世界で撮影した画像は、全て写真プリントされ、リビングに飾られていた。


 その中にレスティナが映っているものがあり、そこに写る彼女は笑顔であったが、不意に別れ際の泣いている姿が思い出され、胸が締め付けられるような思いがする。


「そんなに気になるんなら、会いに行けばいいのに」


 その声に驚くと、いつの間にかヴィオラが向かいのソファーに座っており、彼女はじっと歩人を見ている。


「会いに行くって、そんな簡単には」


「何故だ、方法も分かっているのに」


「それは、そうだけど」


 レスティナは戦いにはならないとは言っていたものの、向こうの世界の状況が分からない以上、迂闊に行ってしまうと彼女に迷惑をかけるかも知れないと歩人は考えていた。


「良いんじゃないかしら」


 キッチンでの作業を終えた杏奈がリビングに入って来るなり、そう言うとヴィオラも頷いてみせる。


「母さん」


「と言っても、私は父やルミエラに会いに行きたいからだけどね」


 そう言われれば、健康に不安があるヨーゼフと杏奈を早い内に引き合わせたいとは、歩人常々も考えている事である。


「明日から夏休みだから、いい機会ではあるわよね」


「ちなみに、ヴィオラは?」


 歩人の問いかけにヴィオラは首を横に振る。


「歩人の話を聞く限り、もう向こうの世界には知っている者はいないから」


 その言葉に歩人も杏奈も黙ってしまうと、ヴィオラは思わず立ち上がる。


「私は豊子や杏奈のいるこっちの世界が良いだけだ。そもそも私の事はどうでもいい」


 その言葉に歩人も杏奈も笑みを浮かべると、途端にヴィオラの頬は赤くなり、近くにあるクッションを拾い上げると、歩人の顔面にヒットさせた。


「それで歩人は、レスティナに会いたくないの?」


「そんな事ないよ!」


 そう言いながら、歩人は手にしたクッションを勢い余って押しつぶす。


「でしょうね。そうでなければ乗馬や格闘技なんて習いたいとは思わないでしょうし」


 その杏奈の言葉に、ヴィオラは首をかしげる。


「そんな事、大して必要だとは思えないけど」


「確かに、そうかも知れないけど」


 歩人はそう言うと、気持ちを落ち着かせるかのように大きく息を吐く。


「結局、たった一日役に立っただけで英雄なんて言われるようになったから、その名に恥じないように。って言うのかな、とにかくもっと僕は強くなりたいんだ」


「もしかして、強くなってから会いたいとか思ってる?」


 ヴィオラの指摘に、歩人は頬を赤らめる。


「なるほど、レスティナに相応しい人間になりたいのね」


 追い打ちをかける杏奈の言葉に歩人の顔は更に真っ赤になり、杏奈とヴィオラは顔を合わせて笑いあうが、2人は急にその動きを止める。


「どうしたの?」


 2人の様子に不安を覚える歩人だが、2人の表情は優しい物へと変わる。


「どうやら、向こうも気持ちは同じだったみたいね」


「しかも、歩人に比べ行動が早い」


「ちょっと、いったい何が?」


 戸惑う歩人に、杏奈は優しく微笑みかける。


「今の歩人なら、感じ取れるはずよ」


「え?」


「集中しろ歩人」


 歩人は訳が分からないまま、目を閉じて呼吸を落ち着かせてみると、この場ではないどこかで何者かの気配を感じる。


「これは?」


「もっと感じ取ってごらんなさい」


 その言葉に従い更に集中すると、その気配は自分が知っている者だと感じ取れた。


「こ、これって、もしかして」


「行って来い歩人」


「あまり、女の子を待たせるものじゃないわ」


 2人の言葉を受け、歩人はいても立ってもいられず駆け出そうとするが、杏奈に止められる。


「持っていきなさい」


 そう言って差し出された一万円札を、歩人は手に取るなり家を飛び出した。


 途中でタクシーを拾った歩人は、タクシーのナビを使って気配のしている場所をドライバーに示すと、はやる気持ちを抑えながら後部座席で目的地に到着するのを待つ。


 そして20分が過ぎた頃目的地に到着すると、お釣りを受け取るのを忘れそうになる程慌てていたが無事降車し、近くにある気配を探ると、遠くから川沿いの道を歩いている2つの影を見つけ、歩人は全速力で近付いていった。


 近付くにつれ、それが間違いなくレスティナとクロエだと確信した歩人は、息を切らせつつも声をあげる。


「レスティナ! クロエさん!」


 その声に気付いた2人だが、同時にクロエはレスティナの背をそっと押すと、レスティナは歩人に向かって走り出した。


「歩人!」


 その声に、歩人は思わず涙ぐむが、涙を拭うと再び駆け出し、触れ合える距離に達すると、どちらからともともなく抱きしめあい、互いの存在を確認する。


 そして息を切らせているが、歩人は次に会ったら必ず伝えようと思っていた言葉をレスティナに告げた。


「僕は、レスティナが好きだ」

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1/6サイズの皇女 酔梟遊士 @suikyo-yushi

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