第174話
翌朝、ユークリッド城からヒンデルグへ向けて兵士達が次々と出発する中、その隊列に混ざって歩人を乗せた馬車が発車すると、見送りのノーランやジュリアは笑顔で手を振っていたが、その光景はしだいに小さくなっていき、やがて見えなくなる。
どこか寂しさを感じながら、歩人は遠ざかっていくユークリッド城を撮影して気を紛らわすが、それを終えると、そこから見える景色をただ眺めていた。
「どうですか歩人殿、良かったら隣に来ませんか?」
馬車を運転するオルハンに応じ、歩人は彼の隣へと移動する。
「まあ、ワシの暇つぶしにも付き合って頂ければありがたいですし」
「僕でよかったら」
レスティナとクロエは自分の馬で移動している為、馬車には歩人とオルハンだけが乗っている状況であった。
「そう言えば、昨夜オルハンさんを見かけなかったですが」
「実は、第二騎士団の団長を若い奴に任せたので、ワシはもう一介の兵士に過ぎませぬ」
「え?」
歩人が思わず声を上げると、オルハンは豪快な笑い声をあげる。
「流石に潮時ですからな。この出征が終わったら、今後は若い者の為に教官として働くつもりですが、戦場に出る事はないでしょう」
「そうですか」
「今まで何人もの敵を殺して、何人もの味方を死なせて来ましたから、大人しく隠居する事も考えたのですが、それでは無責任とも思いまして」
「無責任?」
「せめて、これからの若い者達が、戦場に出ても生き延びるようにしてやらないと」
歩人は感心しつつも、それに続く言葉が見つからず、しばらく2人の間には言葉はなかった。
「えっと、どれくらいで到着しそうですか?」
「何事もなければ、明日の昼過ぎには湖に着きましょうぞ」
歩人は馬車から見える景色を見ながら、この辺りに戦争の影響が出る事はもうないのであろうと思っていた。
「歩人殿のおかげで、ようやくこの辺りの者達も安心して暮らす事が出来ますな」
「そんな、僕一人じゃあ何も」
「いえ、歩人殿がいなければ我々は勝てませんでしたよ。そこは胸を張ってくだされ」
思わず照れ笑いを浮かべる歩人だが、対するオルハンの表情は固くなっており、不思議に思った歩人は黙って彼を見る。
「実は、歩人殿に謝らなければならない事がありまして」
「僕に?」
「正直に言いますと、最初に会った時から、何と頼りない
神妙な表情で告げるオルハンに、歩人は思わず吹き出してしまう。
「歩人殿?」
「い、いえ、それは間違ってませんよ」
意図せず出てきた涙を拭いながら、歩人は呼吸を整える。
「僕はたまたま力を得て、それで戦いに勝つ事が出来ただけですが」
「それは」
オルハンは歩人の言い様に戸惑うが、意外にも歩人は自分を卑下している様子はなかった。
「でも、それが皆の役に立ったことは、誇っても良いんだと、今は思えるようになりました」
歩人の言葉に、オルハンは深く頷いた。
しばらくすると分かれ道があり、馬車はもう一台の馬車と少数の騎馬兵と共に隊列を離れていく。
恐らく隊列はそのままヒンデルグへ向かうのだろうと理解していた歩人だが、隊列が動きを止めている事に気付き思わず首をかしげる。
「我らが英雄、須田歩人様に敬礼!」
どこからともなく聞こえてきた声を合図に、兵士達は一斉に剣を抜き、歩人に向けて剣を捧げた。
街道に広がる数百、もしくは数千の兵士達が、自分に向けて剣を捧げている光景は壮観で歩人も胸が熱くなる。
「皆さんに、ご武運を!」
自然と出た言葉が適切であったかどうかは歩人には分らなかったが、その敬礼を見えなくなるまで歩人は手を上げて応えていた。
その後しばらく2台の馬車は縦列で進んでいたが、日が西に傾きだした頃、更なる分かれ道に差し掛かり馬車は停車する。
「歩人」
後方の馬車の窓から顔を覗かせたのはルミエラであり、それで歩人はこの分かれ道は、湖に向かう道とネグレスへ向かう道に分かれている事に気付いた。
「ルミエラ、大丈夫?」
明らかに顔色が優れないルミエラを見て、歩人は彼女が乗り物に弱い事を再確認するが、ルミエラは歩人に心配されたのが不満なのか、
「私の事はどうでもいい。それよりすまないな」
「え?」
「私も見送りたいところだが、流石にネグレスに戻らねばならぬのでな」
「ああ、そうか、じゃあここでお別れだね」
歩人の言葉に、ルミエラの表情は途端に固くなる。
「ルミエラ?」
「また来い」
「え?」
「待ってるからな」
そう言うとルミエラは窓を閉め、それ以降顔を出す事はなかった。
「分かったよ」
歩人はそう言うと、大きな声を出す為に息を吸う。
「ルミエラ、ヨーゼフ公、お祖父ちゃんにも、いつまでも元気でと伝えておいて。あとフューゲルさんとか、カーティスさんとかにもよろしく言っておいて」
それに対するルミエラの返事はなかったが、しばらくするとルミエラの乗せた馬車はゆっくりと移動を開始した。
「さて我等も、もう少し走らせますか」
オルハンの合図でこちらの馬車も動き出すと、レスティナとクロエも黙って後に続く。
「ネグレスとの関係も、これからさらに良くなるでしょうな」
オルハンがポツリと言った言葉に、歩人も同意しかなかった。
その夜は適当な場所に馬車を止め野営する事となったが、夕食時には4人で出会ってから今までの思い出話で盛り上がり、気が付けば夜も深い時間へと差し掛かっていた。
流石に歩人は馬車をレスティナとクロエに譲って、自分はオルハンと共に外で寝る事にしたが、見上げた夜空には満天の星空が広がっており、その光景をただ眺めているだけで、すぐには寝れそうになかった。
「歩人」
レスティナの声に歩人は身体を起こすと、彼女は灯りも持たずにこちらに近付いてくる。
「どうしたの?」
「いや、思い出した事があってな」
「思い出した事?」
「ああ、歩人は幼い頃からの夢も叶えてくれたんだが、その礼はまだだったなと思って」
「え?」
「ドラゴンの背に乗る事だ。実際には私は歩人の肩に乗っていたのだが、そこから見えた景色は一生忘れる事はないだろう」
歩人はレスティナと出会った頃に、そんな話を聞いた事があるのを思い出していた。
「それだけだ」
そう言うなりレスティナは馬車に戻ろうと踵を返す。
「えっ」
「明日も早いだろうから、歩人も早く寝ろ」
「送ろうか?」
「いらん!」
レスティナは足早に馬車の中に入ると、残された歩人も素直に寝床に着いた。
予定通りラシーニャ湖には翌日の昼過ぎに到着するが、相変わらず誰も踏み入る事がないためか鬱蒼としているものの、太陽に照らされ輝く水面や、そよ風に揺れる草木など、今まで見た中では一番まともな光景である。
「いずれここも手入れを施して、管理しなければいけませんね」
「そうだな、とは言えネグレスとの国境が関係している以上、ネグレスと協議せねばならぬが」
クロエとレスティナがそんな事を話ていると、歩人が馬車から降りてくるが、その服装はこちらの世界にやって来た時の服装、つまりは向こうの世界での私服であった。
「その恰好も久しぶりに見るな」
「むしろ、歩人様はこちらの服装が似合っているかも知れませんね」
「違いない」
2人の言い様に歩人も苦笑いするしかなかったが、次の瞬間、不意に沈黙が3人を包み込むと途端にその空気は重くなる。
「さて、どうされますかな?」
その様子を傍から見ていたオルハンが声をかけると、3人は一様に身体を強張らせる。
「歩人、まだ何か言い残した事とかあるか?」
レスティナの問いに、歩人はその心に何かが引っ掛かっているものがあるような感触を覚えるが、それはハッキリしたものではなく、言葉に出来るようなものではなかった。
「歩人?」
「い、いや、大丈夫だよ」
そう言って歩人が笑顔を見せると、レスティナも安心したような表情を見せる。
「それでは歩人様、湖へ」
クロエの言葉に歩人は首を横に振ると、クロエも驚きを隠せずにいたが、歩人はクロエに対しても笑顔を向けた。
「魔力を使うだけなら、僕にやらせてください」
その言葉にクロエはレスティナを見ると、レスティナは静かに頷いた。
「じゃあ」
歩人はそこで息を吐くと、改まって3人を見る。
「本当に出会って色々あったけど、会えて良かったし、きっと皆の事は忘れない」
その言葉に、オルハンとクロエは思わず目頭を押さえるが、レスティナだけは真っすぐ歩人を見ている。
「それは我等も同じだ」
そう言ってレスティナは右手を差し出すと、歩人はそれをしっかりと握った。
「さらばだ、我が友」
歩人は頷いてその手を放すと、次にクロエと握手を交わす。
「本当に、ありがとうございます」
「こちらこそ」
そう言って歩人が笑うと、クロエも少し目を赤くしながら笑顔を見せた。
「どうか、杏奈様共々お元気で」
「僕もオルハンさんを見習って、少しでも強くなりますよ」
その言葉に、オルハンは思わず笑みをこぼす。
「じゃあ、行くね」
「歩人」
その場を離れようとする歩人を、レスティナが呼び止める。
「そのまま、振り返らずに行け」
「え?」
「歩人の事だから、振り返ったら別れが辛くなって、泣き出すんじゃないかと思ってな」
不敵な笑みを浮かべながらそう告げるレスティナに、歩人も思わず苦笑して見せる。
「もう挨拶も済んだんだ。そのまま帰る事だけを考えろ」
「分かったよ」
半ば呆れつつも歩人は3人に向けて右手を振ると、静かに湖の中へ入っていった。
伸ばされた手は、すでにその背に届くことはなく。
見える景色はおぼろげになっていく。
ただ、胸の痛みばかりが増していった。
歩人は言われた通り、レスティナ達に背を向けたまま力を発動すると、湖面は眩いばかりの光を帯び、歩人はその光に包み込まれていく。
それはこちらの世界に来る時に見た光と同じだが、眩しさのあまり歩人は思わず光の中で顔をしかめた。
そして、レスティナに振り返るなと言われたものの、最後に改めて3人に挨拶しようと振り返るが、すぐに歩人はその行動を後悔する事になる。
「レ、レスティナ」
この世界で最後に見た光景は、子供の様に泣きじゃくるレスティナの姿で、次の瞬間、歩人は灰色の空の下、川の中で雨に打たれていた。
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