第173話

 パレードから出征式までは、多少の時間的な余裕があるおかげで、歩人は控室にあてがわれたソファーで横になっていた。


「あの雰囲気に当てられたのは分かりますが、歩人様も随分とはしゃいでおりましたね」


 クロエは歩人の隣のソファーに座りつつ、頬杖ついて歩人を眺めている。


「そ、そうかな」


 そう指摘されても歩人には漠然とした記憶しかなく、自分がクロエの言うような行動を取ったのかさえ思い出せないでいる。


「サービス精神旺盛と言いましょうか、八方美人と言いましょうか、手を振るだけでもあの場にいる一人一人に丁寧に行うくらいですから、途中から皆の声援に返事しだして喉も枯れているではありませんか」


「はは、言われてみると」


 確かに歩人は自身の喉に違和感を覚えており、そのせいか先程から水分だけはしきりに取っていた。


「でも、こういう事も、もうじき終わるね」


 それを聞いたクロエは、静かに視線を天井に向ける。


「帰ったら、こういう事は二度と起こらないだろうし」


 そう言いながら歩人は笑みを漏らすと、クロエも笑みを浮かべ立ち上がる。


「では、その前に出征式の準備にかかりましょうか」


 クロエの言葉に、ゆっくりと体を起こす歩人だが、今頃になって湧いてきた疑問が口から出る。


「どうして、クロエさんがここにいるの?」

 

「出征式の間、わたくしが歩人様の補佐を担当いたしますので」


 歩人が次に聴こうとした言葉よりも早く、彼女の口からそのその答えが出る。


「これは姫様のご意向ですから」


 そう言われてしまえば、歩人も納得するしかなかった。


 出征式自体は二度目という事で、歩人も幾分勝手が分かっているものの、前回と異なるのは、メインテーブルの真ん中に皇帝ノーランが座っている事は変わりないが、その隣に自分がおり、その反対側にルミエラがいる事であった。


 そのルミエラの横にはレスティナの姿もあり、彼女は前回同様ドレスを装っているが、身体のサイズが変わった事で歩人の眼には新鮮に映り、思わず彼女を眺めていると、それに気付いたレスティナは一瞬歩人を見るものの、すぐに頬を赤らめ顔を背ける。


「気持ちは分からないでもないが、少しは自重したらどうだ。救世主様」


 気が付けば、隣にいるルミエラが歩人に冷ややかな視線を送っており、歩人は慌てて姿勢を正した。


 その後、出征式は何の問題もなく終わり、皆思い思いに過ごすものの、歩人の前には彼に接しようとする者達が多く集まり、一際大きな人だかりが出来ている。


 多くの者が、歩人に対し挨拶と労いの言葉をかけるだけで終わるのに対し、中には自分を売り込もうとする者や、果ては自分の娘を歩人の結婚相手にとアプローチする者もいたが、クロエがその場を上手く仕切ってくれたことで、歩人のストレスも最低限のものに収まったのであった。


「本当にレスティナのそばにいなくていいの?」


 人だかりが解消し身軽になった歩人は、傍に控えているクロエと飲み物を手に一息ついていた。


「大丈夫ですよ。元の身体に戻った姫様は自分で何でも出来てしまいますし、侍女だって、わたくし一人ではありませんから」


「ふーん」


 納得する歩人を見ながら、クロエは優し気な微笑みを浮かべる。


「それに、姫様はわたくしに気を使ってくれたのですよ」


「え?」


 しかしクロエはそれ以上の事は語ろうとはせず、歩人もその事を追求するのも気が引けてモヤモヤした気持ちになってきた為、話題を替えようと脳を働かせるとある事を思い付く。


「そうだ」


 歩人はスマホを取り出すと、クロエに向ける。


「記念に撮ってもいいかな?」


「記念?」


「うん、こっちで知り合った人を、母さんに見せる為に出来る限り撮ってるんだ」


「でも、わたくしの事は杏奈様もご存知ですよね」


 その言葉に、歩人は首を横に振る。


「それだけじゃなくて、単純に僕も撮っておきたいんだ」


 歩人の言葉を受けて、クロエは珍しく頬を赤らめる。


「歩人様は」


 そう言いかけてクロエは口ごもるが、その事すら彼女にとっては珍しい事に思えた。


「え?」


「何でもありません。あ、どうせならツーショットで写りましょう」


「でも、頼める人が」


「困りごとかな?」


 その声で2人はこちらに接近してくる人物に気が付くと、それが皇帝ノーランであり、2人は改まって礼をする。


「2人とも楽にしてくれ」


 その言葉に2人は頭を上げると、ノーランは満面の笑みを浮かべていた。


「歩人君」


「はい」


「本来ならば、正式に受勲じゅくん式を開いてその功を労わねばならないのだが、見ての通りバタバタしているのと、レスティナにも止められてな」


 その言葉に歩人は要領を得ず、気の抜けた返事をするにとどまると、クロエが簡単な説明を耳打ちし、ノーランが歩人の功績を称えようとしている事を教えられる。 


「せめて、君には褒美を受け取ってもらわなければならないが、望みはあるかね?」


 皇帝という地位にありながら、相変わらず歩人に対しては柔らかい物腰で接するノーランに、歩人も恐縮しつうも笑顔を保つ事が出来ていたが、褒美という言葉が出てくると、歩人の表情は途端に硬いものに変わった。


「望むものがあれば聞かせてほしい。無論、私に出来る限りの範囲でだがな」


 歩人は真剣に考えこむが、お金を持って帰った所で、向こうの世界では使用できるとは思えず、宝石や貴金属に関しても歩人には知識も興味がなかった。


 そもそも、その手の物を貰ったとしても自分はもちろん、母である杏奈も喜ぶとも思えない為、早々に選択しから除外される。


「あ、あの」


「随分と真剣に考えてくれたようだが、決まったかね」


「いえ、何も思い浮かばなかったので、また今度にして欲しいのですが」


 歩人の言葉に、ノーランは呆気にとられた表情を見せるものの、すぐに笑顔に変わる。


「随分と、慎み深い救世主様だが、また次があるというなら、それは喜ばしい限りだ」


 そう言うと、ノーランは歩人の両肩をしっかり掴んだ。


「また、いつでも来てくれたまえ。このユークリッドは君にとっても家だと思ってくれて構わないから」


「ありがとうございます」


 歩人が頭を下げると、ノーランはその場から去ろうとするが、何かに気付き向き直る。


「そう言えば、何か困っていた事があったのでは?」


 その言葉に、クロエとのツーショット写真を撮る事を思い出すものの、流石に一国の皇帝にシャッターを押してもらう訳にいかないと躊躇していたが、クロエは歩人からスマホを受け取ると、2人と距離をとりだした。


「ノーラン公、歩人様と並んで立っていただけませんか?」


 ノーランは言われるがまま歩人の隣に立つと、クロエは2人に笑顔になる事を要求しシャッターボタンを押した。


 そして撮影された画像をノーラン言見せると、ノーランは大そう感心していたが、自分も歩人とクロエを撮りたいと言い出して、多少手間取ったものの、上手く撮影できたことに満足してその場を去っていった。


「これで目的は達成されましたね」


「皇帝が撮ってくれた写真か」


 歩人が撮られた画像を見ながら感心していると、クロエが悪戯っぽく笑う。


「ノーラン公は、新しい物や珍しい物に興味を持つお方ですから」


 クロエの行動が確信的であった事にも、歩人は更に感心していた。


「それにしても、よろしかったのですか?」


「なにが?」


「もし、歩人様がレスティナ様を望めば、許されたでしょうに」


 それを聞いた歩人の笑顔は引きつり、同時に顔は真っ赤になる。


「さ、流石に、そんなこと思い付かなかった」


「まあ、姫様もわたくしも、そしてオルハンにしても、あなたがそういう人物だからこそ、向こうの世界から一緒に行動してきたのですよ」


 その時、クロエは何かに気付き、ホールの様子を見に行くと、すでに散会の時間らしく人々が次々とホールを後にしていた。


「もうそんな時間ですか」


 そう呟くと、クロエは歩人に向き直る。


「少し用を済ませてきますので、歩人様はここで待っていてくれませんか」


 言われるがまま歩人はその場に立ち尽くしていると、こちらに向かってくる足音が耳に入り、それが当然クロエのものであると思っていたら、現れたのはレスティナであった。


「レ」


 名前を呼ぼうとしたが、何故かレスティナは自分の唇に人差し指を当てた為、歩人も慌てて口を閉じる。


「来い、歩人」


 小声でそう言うと、レスティナは歩人の袖を引くが、クロエを待たなければならない歩人が躊躇すると、それを察したレスティナは笑みをこぼす。


「クロエなら心配ない。元々こういう手筈であったからな」


「そうなん、うわっ!」


 悠長にしている歩人にしびれを切らしたレスティナは、その腕を強くひいて駆け出した為、歩人はバランスを崩しそうになるのをこらえて一緒に走り出す。


「流石に、誰かに見つかると厄介な事になるから、黙って私に付いて来い」


 レスティナに手を引かれながら、誰もいない城の廊下を走り、誰もいない階段を駆け上るが、それだけでも歩人にはこの時間は心地よいもので、息が切れてくるのもさえ楽しく感じられた。


 やがて一つの部屋の前に辿り着くと、2人は呼吸を整えながら笑顔を向けあう。


「ここは?」


「まあ、入れば分かる」


 その部屋は広い部屋だが、置かれている調度品は質素なものばかりで、落ち着いた内装となっていた。


 しかし不思議と誰かが使っている様子はなく、歩人も部屋の中を見回していたが、部屋に飾られている大きな肖像画を見て思わず立ち止まる。


 その人物はアプリコットの髪の色といい、身に着けた鎧や剣から、一瞬レスティナだと思ったが、すぐに歩人は肖像画のモデルであり、この部屋の主がレスティナの母親であるレオスティアだと理解した。


「どうしても、母上に歩人を紹介したくてな」


「そうだったんだ」


 肖像画のレオスティアは、その無骨な戦装束にもかかわらずその表情は優し気で、歩人も思わず引き込まれそうになる。


「キレイな人、それに優しい人だったんだね」


 歩人の言葉に、レスティナも嬉しそうな笑顔を見せた。


「強くて美しくそして慈愛に溢れていた母上は、今でも、これからも私の目標だ」


 歩人は誇らしげに語るレスティナを見て微笑むと、一歩前に出る。


「はじめまして、須田歩人です」


 そう言うと歩人はレオスティアに向かって静かに頭を下げた。

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