第172話
その夜、すでにヒンデルグ出兵に向けた出征式を兼ねた宴が開かれる運びとなっていたが、歩人が目覚めた事で彼を一目見たいという声に応えるべく、レスティナの父である皇帝ノーランは、歩人に凱旋パレードの実施と出征式への参加を打診するべく、自らが歩人のもとに出向いてその旨を伝えると、歩人は流石に断る訳にもいかず承諾するしかなかった。
ただ、その件についてはレスティナは不満で、パレードの支度をしている歩人の横でも、その表情は固いものである。
「全く、父上にも呆れるものだ。皇帝自らが頭を下げに来れば、断る事が出来る人間がどこにいようか」
その言葉に、歩人は思わず愛想笑いを浮かべるしかなかった。
「歩人は役割を十分果たしたのだから、そっとしておいてくれればいいものを」
「そう言って、歩人様を独り占めするのは、いかがなものかしら?」
その声の主である、姉ジュリアの登場にレスティナの表情は固くなる。
「ひ、独り占めなど」
「あら、歩人の面倒は私一人で十分だと言って、誰もあの部屋に入れなかったのは誰かしら?」
その言葉にレスティナの顔は一瞬にして真っ赤になるが、それは歩人にとっても驚きの事であり、思わずレスティナを見る。
「い、いや、クロエには手伝ってもらったし、医者にも見て貰ったから、妙な言いがかりはやめてください姉上」
「しかも最初は、自分の部屋に連れ込もうとしたのを、皆に止められたのよね」
「そ、それは、私も気が動転していて」
その事に関しては自分が口を挟むべきではないと思い、歩人はそっぽを向いて準備を進める事にした。
「そ、そもそも、姉上は何をしに来たのですか?」
「歩人様と話をする為です」
ジュリアはレスティナに背を向けると、それ以降はあからさまにレスティナを放置する。
流石にレスティナは不満気な表情を見せるが、口では姉であるジュリアに勝てない事は彼女自身が理解していた為、大人しく2人を見守る事にした。
「お身体はいかがですか?」
「はい、寝すぎて頭がうまく働かないところはありますけど、他は問題ありません」
優しい笑みを浮かべるジュリアに対して、歩人もつられて笑みを浮かべる。
「助けて貰った上に、色々面倒な事を押し付けて申し訳ありません。でも私からも今回の件はよろしくお願いします」
ジュリアが深々と頭を下げると、その胸元が空いた服装の影響もあって、歩人の視線はどうしても胸元にいってしまうが、途端にジュリアの後方から殺気感じ、慌てて視線を外した。
「皆、今回の戦いで傷付き、多くの方々が家族や友人を亡くしています。だから歩人様には勝利の象徴として堂々と振舞って欲しいのです。少しの間だけでも皆の気が紛れるように、そして、これから先の希望としても」
「これから先の希望?」
歩人の問いに、ジュリアはそれまでとは異なる悪戯っぽい笑みを浮かべると、姉妹とは言えレスティナにはない色気も相まって、歩人は思わずドキリとする。
「ふふっ、歩人様の事はこれから先、一つの物語として語り継がれるでしょう。もしかしたら実際の貴方とは、かけ離れた描かれ方をするかもしれないけど」
それを聞いた歩人は困惑した表情を浮かべながら、無意識に頬を掻く。
「でも、困難な状況に陥った者が、その物語を思い出す事で立ち向かう勇気を与えられるような、
「僕は、そんな大そうな」
「歩人様の心中や意向を無視しているのは、本当に申し訳ありませんが」
自らの言葉を遮るように告げるジュリアに対し、むしろ自らの覚悟のなさを自覚した歩人は、その表情を引き締める。
「分かってくれたようですね」
「はい」
「そうそう、もし不満や弱音を吐きたい時は、妹に存分に甘えると良いですよ」
「え?」
不意に歩人とレスティナの声がシンクロする。
「あら、それとも私がよろしいですか?」
「いや、それは、いえ違うんです。嫌とかじゃなくて」
ジュリアは慌てる歩人を見ながらクスリと笑う。
「他の者があなたの本質を見誤ろうとも、レスティナだけはあなた自身を見続けてくれるハズよ」
「当然です」
2人の会話を割り込むレスティナの言葉と、その表情には力強さに溢れていた。
昼過ぎのユークリッド城下町では、歩人の凱旋パレードが行われるとの知らせが人々の間を駆け巡ると、その順路には既に民衆が押し寄せている。
その為、城側も急遽沿道警備の人員を増やすなど、その規模はユークリッドの歴史上でも過去最大の様相を呈していた。
「流石、英雄の帰還という所か」
レスティナの何気ない言葉に、歩人は緊張で固くなる一方であった。
馬に乗れない事もあり歩人は屋根なしの馬車での移動となるが、その馬車の警護をレスティナ率いる第一騎士団が担当する事で、レスティナ自身も馬車の近くにいる。
レスティナは身体が戻った事もあり、久々に愛馬の背でその感触を確かめるかのように歩かせているが、よほど楽しいのか、歩人がその生き生きとした表情を眺めている事に気付く様子はなかった。
「邪魔する」
その声に振り返ると、ルミエラが馬車に乗ってくるところであった。
パレード直前になって歩人は初めて知った事があり、ネグレス王女ルミエラも休養を兼ねてはいるが、国賓としてユークリッドに逗留している事で、急遽パレードに参加する事になったのである。
ちなみにユークリッドにネグレスの国賓が来訪するのは、両国の戦争前に遡り30年ぶりだという事であった。
「身体は大丈夫なの?」
「それはお互い様だろ」
歩人の問いにルミエラは不敵な笑みで返すと、歩人はルミエラが自分よりも年下の14歳だという事を疑ってしまいそうになる。
「そう言えば、あの時隕石を2つに割ったのはルミエラなんだってね」
「ああ、結果として隕石の速度を上げてしまったのは失念であったが」
「でもすごいよ」
その言葉にルミエラは、呆れたような表情を見せる。
「ど、どうかした?」
「その後で、あれだけの力を見せつけられた身としては、素直にその言葉を受け取れないだけだ」
そう言いつつも彼女は笑みを浮かべており、その言葉は不満を表明しているものではなかった。
「そう言えばあの時、不意に強い力を分けて貰ったんだが、あれは一体何だったんだろう」
その言葉に歩人は、向こうの世界にいる杏奈達から送られたものだと説明すると、ルミエラは満面の笑みを浮かべる。
「そうだったのか」
ルミエラの笑顔を目にした歩人は、思い付いた様にスマホを取り出し起動させると、まずはバッテリー残量を確認した。
「これなら大丈夫か」
「前に見せて貰ったスマホとかいう物だったか、それがどうしたんだ?」
要領を得ないルミエラにスマホを向けると、歩人はカメラで彼女を撮影する。
シャッター音が鳴ると、流石にルミエラも驚き身構えるが、歩人が撮影した画像を見せると思わずその眉を顰める。
「これは、私じゃないか」
「えっと、原理とか知らないけど、これで前に見せたように絵として取り込めるんだ」
「私の絵をどうするんだ?」
「母さんに見せようと思って」
「な、なに?」
ルミエラにしては珍しく、緊張した表情で再び身構えた。
「嫌なの?」
「い、嫌ではないが」
「母さんも喜ぶよ」
「そ、そうか、喜んでくれるか」
満面の駅を浮かべるルミエラに歩人も表情を緩ませていると、待機していた隊列に動きがあり、歩人達の乗っている馬車も進み始める。
「さあ、出発だ」
レスティナの声に、歩人も緊張しつつ頷いた。
馬車はゆっくりと進むが、やがて城門に近付くにつれ外からの歓声が耳に届き始めると、胸が高鳴り気分が高揚していく。
それから先は不思議な光景で、
時折花束が馬車に向け差し出されると、レスティナや周囲の騎士達が受け取り、それを歩人に渡す為、馬車の中は色とりどりの花で一杯になっていった。
その夢の中のような光景の中、特に歩人の印象に残ったのは子供達が一様に瞳を輝かせ自身を見ている事で、改めて先程のジュリアからの言葉を深く理解する。
そして、これから先この世界を担っていく彼ら彼女らの為にも、自分は英雄であらねばならないと歩人は心に刻んだ。
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