第171話

 次々と人が死んでいく。


 たくさんの人が死んでいく。


 知っている人が死んでいく。


 そんな中、歩人は何も出来ずにいた。


 力を手にしたはずなのに、手をかざしても雷撃は発動しない。


 そうしている内に、また人が死んでいく。


 その光景が夢であると気付いたのは、戦場にいるはずの自分がいつの間にか知らない部屋にいるからであった。


「お、ようやく目を覚ましたか」


 部屋の中にいたレスティナが、身体を起こした歩人に近付くと、歩人の額に手をやる。


「すごい汗だな。随分とうなされていたし」


 彼女は近くのテーブルに置かれている水桶に布を入れると、それを絞って歩人の汗を拭った。


「ここは?」


「ユークリッド城の一室だ」


「帰って来てたんだ」


 濡れた布が自身の余計な熱を下げてくれている心地よさを感じつつ、歩人は改めて傍にいるレスティナを見る。


 レスティナの服装は戦場の時と異なり、白いシャツにベージュのズボンという服装で、歩人が元々いた世界でも乗馬している人間が着ている様なスタイルであった。


 そして戦いの最中、レスティナが自ら切って短くなった髪もキレイに整えられ、向こうの世界でいうところのショートボブというスタイルになっており、髪型だけ見ればクロエとお揃いになった感じがしていた。


「嫌な夢でも見たか」


「僕のせいで、みんな死んでいった」


 歩人の言葉に、レスティナは息を呑むが、そのまま彼の身体を拭き続ける。


「僕がもっとしっかりしていれば、みんな死なずに済んだのに」


「そんな事はない」


「でも!」


 その時、レスティナは歩人の頭を抱え込むと、そのまま力強く抱きしめる。


 歩人は自分の顔がレスティナの胸にうずまっている事に気付くと、途端にその顔は真っ赤になるが、それは歩人から見えなくなったレスティナも同じであった。


「な、何をしてるの?」


「こうすれば、男は喜ぶと姉上がな」


「そ、それは」


「嬉しくないのか? やはり姉上ほどの大きさが必要なのか」


 レスティナの声から彼女が消沈している様に聞こえた歩人は、彼女がここまでしてくれているのに曖昧な態度をとるのは失礼に思えてくる。


「いや、嬉しくないわけじゃないから」


 歩人は自らの高鳴る鼓動を意識しないように呼吸を整える。


「あ、ありがとう」


 実際、歩人はレスティナの柔らかさを感じていたが、それ以上にその体温と匂い、何よりも彼女から聞こえる鼓動に安らぎを感じていた。


「で、でも、どうしてこんなことを?」


 歩人が顔を上げると、レスティナは顔を赤らめつつも平静を装う。

 

「歩人は優しいからな、恐らくこの先も同じように苦しい思いもするだろうけど、そんな時に私がこうしたことも思い出してくれれば、多少は苦しさが紛れると思ってな」


 そう言って照れ臭そうに笑うレスティナを見て、歩人もようやく落ち着きを取り戻した。 


 その後、歩人は自分が寝ている間に何が起きたか気になり、レスティナから事態の経過を聞く事にする。


「4日も」


 レスティナから4日間寝ていた事を聞かせられ、歩人は自分の事ながら驚いてしまう。


 ディーを倒した後、彼の力によってが出現していた異形の者達は消滅するが、それは戦場においてだけではなく、ネグレスが放った斥候からの情報によれば、ヒンデルグが支配している地域においても確認出来たという。


 その状況において併呑へいどんし、ヒンデルグ軍に取り込まれたレオル兵達の反乱が発生すると、それは瞬く間に拡大しヒンデルグ軍はすでにその戦力を維持する事が出来ずにいた。


 その結果、ヒンデルグ軍は残存兵力を帝都に集中させ、皇帝は籠城しているものの、そのヒンデルグ軍内部においても、先の隕石に対する為に魔術兵達が離反したのをきっかけに、兵士達の戦闘放棄や同盟軍への寝返りが頻発しているらしい。


「元々、恐怖で支配していたが、その中心であったディー、ここではヨシュアというべきか、とにかく奴の存在がない以上、今の皇帝などただの飾りに過ぎないからな」


 加えてネグレス王女のルミエラが、祖父であるヨーゼフ王に働きかけ、武装放棄を条件にヒンデルグ軍兵士の保護を約束したことから、更に離反する者が続出しているという。


「本当にしたたかな王女だ。もし我がユークリッドや、エレイブがそんな事を行っても、ヒンデルグとは激しく敵対していたから信用されないだろうな。最後に同盟に加わったという、負い目にもなりかねない状況を上手く利用している」


 レスティナの説明は歩人にもわかりやすく、歩人も感心しきりといった様子で彼女の話を聞き入っていた。


「そして何よりも法王庁の勅令だ。これもルミエラ王女のおかげだが、おかげでこの世界においてヒンデルグ軍にくみする者はいなくなった」


 そう言うと、レスティナはゆっくり息を吐き、歩人に向き直る。


「実は、明日ヒンデルグ討伐の為に出兵する事が決まったから、今日の内に歩人が起きてくれて良かった」


「そ、そうだったんだ」


「これで用事も済ませられそうだ」


「用事?」


「ああ、ヒンデルグに向かう前にラシーニャ湖に向かう」


 その言葉の意味を理解した歩人は、思わずレスティナの肩を掴んだ。


「待って、僕もヒンデルグに行くよ」


 歩人の言葉にレスティナは不思議と笑顔を見せるが、その首は横に振られている。


「必要ない」


「え?」


「何故なら、戦いにはならないだろうからな」


 その言葉に、歩人は驚きを隠しきれないままレスティナを見る。


「なんで、戦いにならないの?」


「さっきも言ったように魔物の類は出現せず、支配していたレオルの兵は反乱し、自軍の兵すら離反する者が増え続けている。ましては既にヨシュアのいないヒンデルグに戦力はないに等しい」


 そこまで聞かされれば、歩人も流石に納得するしかなかった。


「皇帝とやらが賢ければ、我が身可愛さに亡命を条件として降伏してくるだろうし、馬鹿なら味方にその首をとられるだろうな」


「そ、そういう状況なんだ」


「だから、私が出向くのも形式的なものなんだ」


「そっか」


「お別れだ、歩人」


 その言葉に、歩人は思わず言葉を失う。


「そんな顔をするな。歩人を杏奈の元に帰すのは私に課せられた使命なんだぞ。それも命に代えてもやり遂げなければならない程のな」


 そう言って屈託のない笑顔を見せるレスティナに、歩人もつられて笑顔を見せる。


 このまま笑顔で別れられるなら、それが良いのかも知れないと、その時の歩人は思っていた。

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