第170話
「歩人?」
自分と同じく立ち止まった歩人の様子に、レスティナは不審に思うも、そのタイミングで自らの背後から現れた気配が、自分の頭上を飛び越えて歩人に向かっていく。
「なんだと」
それは死んだと思っていたディーが浮遊しながら歩人に向けて突進しており、その右手には短剣が握られていた。
「歩人!」
レスティナが身振り手振りを交えて何度も叫ぶも、歩人は落ち着いたままであり、レスティナは歩人が耳だけではなく、目も見えなくなっているのではないかと疑ってしまう。
そしてレスティナ自身も走る速度を上げるが、すでにディーは歩人に向かって短剣を構えており、その絶望的とも思える光景に胸が締め付けられる。
「歩人、逃げてくれ!」
その声が歩人の耳に届いた訳ではなかったが、唐突に緩んだ歩人の口元にレスティナはおろか、ディーさえも驚きの表情を見せた。
「本当に、ありがとうございます。ミューゼルさん」
そう呟くと、歩人はディーの短剣を紙一重のところでかわし、同時にディーの右手首を掴んで関節を極める。
それはミューゼルとの稽古で何回何十回と繰り返してきた動作であり、そのミューゼルに比べれば緩慢にすら思えるディーの動きに、決して歩人が後れを取る事はなかった。
歩人はディーの動きを封じ込めたまま、更にその手を放すことなく残りの魔力全て使った雷撃をディーに向けて放つ。
「クホォ、やるじゃ、カッフ、ないくァッ」
気道が斬られている事から満足に声を出せないにもかかわらず、ディーはそう告げると、最期に見せた表情は意外にも笑顔であった。
それが彼の意地なのかどうかは歩人にも理解出来なかったが、ディーの身体は黒く変色したかと思えば、やがて灰となり崩れ落ちると風に吹かれ散っていく。
その光景を眺めていた歩人とレスティナだが、2人はディーがいた場所に何かが落ちているのに気が付く。
「これは本?」
レスティナの言葉通り、そこには分厚い書物が落ちており、歩人はそれに手を伸ばす。
「触れるな」
その声と同時に歩人の腕をつかんで制止したのは、人の姿をしたソラであった。
「ソラ?」
「大丈夫なのか、その身体?」
ソラの背中は隕石に接触した影響か、その背面は焼かれて痛々しい状態で、それに気付いたレスティナが心配そうな表情を向ける。
「大丈夫と言いたいところだが、修復にはまだ時間がかかるから、迎えを呼んだ」
その時ソラは、明らかに自分の言葉に反応していない歩人を見て、彼の耳の異常に気付いたのか、その両耳を自らの両手で覆う。
「あれ?」
「どうした歩人」
「やっぱり耳が聞こえてなかったんだ」
その言葉にレスティナも安堵しつつも、呆れたような表情を歩人に向けた。
「あの爆発の影響で鼓膜をやられたのであろう」
歩人は何となく自分の耳に指を入れてみて、聞こえ具合を確認しては笑みを浮かべると、レスティナもソラもつられて笑みを見せる。
「それにしても見事だったぞ歩人。あれほどの力を使えるとは、契約主の我とて予想出来なかった」
「いや、みんなが助けてくれたからだよ。特に隕石を半分にして貰えたし」
「あれはルミエラ王女の力だ」
「そうだったんだ」
歩人は後でルミエラに礼を言おうと思いつつ、レスティナがしきりに彼女自身の身体を気にしている事が気になった。
「レスティナ、どうかした?」
「いや、大丈夫だ」
そう言うと、レスティナは姿勢を正すが、その表情は何かを我慢している様にも見える。
「そ、それはそうと、その本はなんだ?」
心配そうな表情で口を開こうとしていた歩人を見て、レスティナは慌てて話題を変えた。
「これは魔導書だ。我が責任をもって処分する」
それを聞いた歩人は、前にヴィオラからヨシュアが古代魔術の書を手に入れた時の話を思い出していた。
「これが、ヨシュアって人に力を与えた」
「そして結果としてヨシュアを堕落させ、最終的に取り込んだ諸悪の根源」
ソラはそう口にすると魔導書を手にしながら、深いため息を吐く。
「これは人の世にあってはならぬもの」
その言葉に、歩人とレスティナが思わず身を固くしていると、上空から一頭のドラゴンが現れるが、その大きさは竜の姿をした時のソラと同様の大きさで、その身体はまるで青い水晶で出来ているかのように美しく輝いている。
「あ、あれは?」
「ああ、仲間だ。五大元素の水を司る竜だが」
地面に降り立ったその竜は、歩人やレスティナに興味がないのか、無言であらぬ方向を向いている。
「まあ彼女くらいだろう、こんな頼みを聞いてくれるのは、他の奴等は融通が利かなくて困る」
そう言いながらソラは、2人に背を向ける。
「じゃあな2人とも、我は天界に戻る」
「ありがとうソラ、助かったよ」
「いや、礼を言うのは我の方だ」
ソラはそう言うと右手を上げ歩き出し、迎えに来た青い竜の背に乗るとそのまま上空へと飛び去っていった。
「行っちゃったね」
歩人が視線をレスティナに向けると、彼女は身体を抑えうずくまっていた。
「レスティナ、大丈夫?」
「くっ、ダメだ」
「えっ」
状況が分からず思わずオロオロする歩人だが、レスティナから布地が裂ける音や、金属が壊れるような音がするのを聞いて、ようやく何が起きているのか理解した。
「レスティナ、身体が」
見れば彼女の身体も先程より大きくなっており、身に着けている装備や服が窮屈になっていく様子が見て取れた。
「手伝おうか」
歩人の言葉に、レスティナは険しい表情で歩人を睨みつける。
「歩人、あっち向いてろ!」
「え?」
なぜそんな厳しく言われるのか理解できない歩人は思わず聞き直すが、レスティナの困惑するばかりであった。
「た、頼むから、見ないでくれ」
そう言いながら赤面するレスティナの様子に、ようやく歩人は彼女が何を言わんとしているのか理解し、慌ててレスティナに背を向けた。
それを確認したレスティナは、手早く鎧や装備品を外すと、身体へのダメージを軽減させる為に、服の継ぎ目を剣で切っていく。
次々と布地が引き裂かれる音がしたかと思えば、そのたびに漏れるレスティナの息遣いに歩人の顔は真っ赤になるが、急いで自分が付けているマントと上着を脱いで自分の背後に放った。
「も、もういいぞ」
着替え終わったレスティナの言葉に振り返ると、そこには自分と同じくらいの身長のレスティナが、歩人のマントを身体に巻き付け足まで隠し、その上から歩人の上着を着ていた。
「助かったぞ、歩人」
そう言うものの、レスティナの顔はまだ少しばかり赤く、歩人と視線を合わせようとはしなかった。
「う、うん、良かった」
それは歩人も同じで、頬を赤らめたままなかなか彼女を見る事が出来ないでいる。
「な、何か、変な感じだな」
「初対面みたいだね」
歩人の言葉にレスティナは思わず笑うと、歩人もつられて笑いだした。
落ち着かせる為に大きく息を吐いたレスティナは、歩人に触れる手前まで近付くと、優しい眼差しで自分の視線より僅かに高い位置にある歩人の瞳を覗き込む。
「私の方が、背が高いと思っていたんだがな」
何も言い返せないでいる歩人だが、その鼓動は早くなる一方であった。
「あは、改めてこうなると、何か恥ずかしいな」
「そ、そうだね」
しばらく2人の間に会話はなかったが、レスティナは先程まで自分の居場所であった歩人の肩に自らの額をそっと置くと、歩人も自然とレスティナの背中に手を回す。
しかしその直後、歩人の手がレスティナの背中から離れたと思えば、歩人はそのままレスティナによりかかる。
「歩人?」
何とか歩人を受け止めたレスティナだが、完全に力が抜けている歩人を支えるのは流石に困難で、慎重に歩人をその場に寝かせると、自らの膝に歩人の頭を乗せた。
「限界だったんだな」
レスティナはそう言いながら、笑みを浮かべ歩人の髪を優し撫でる。
「ありがとう歩人。本当によくやってくれた」
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