6-6 ファクター・オブ・マンカインド





 コックピットの壁越しに、崩壊の音が響いている。

 灰色に染まった全天モニターは何も映さず、ただ外界と僕を隔てているだけで。


 ヘルメットを脱ぐ。汗に湿った顔に当たる外気が心地良い。

 最早、身を守るためのものなんて必要なかった。

 触れる空気の味と臭いは、まだ清い。水の侵入も見当たらない。

 コックピットの気密と空気循環系はしぶとく生きているようだ。けど、それも。


「時間の問題、かな」


 気密が破れて溺れ死ぬか。あるいは崩落に巻き込まれて潰れ死ぬか。

 どちらかはわからないけれど、穏やかな死に方でないのは確かだろう。

 やがて来るその時に怯えながら、その結末を恐れながら、でも。


 これでよかったのだろうか、なんて欠片も思わなかった。


 死ぬことは確かに怖いけれど、僕はそれ以上に怖いものを今日、知った。


 繭型ケージの中枢半機械存在を手に掛けたとき。

 僕の頭の中に明確な形で浮かんだのは、当然の帰結ともいえる未来予想図。


 ――――僕はいずれ、ドクターをコロさなければいけない。


 人間の、人類の楽園を取り戻すためにイキモノを滅ぼすのがメトシェラ計画なら。

 その完遂に至る道の終着には必ず、中枢半機械存在の破壊がある。

 その者の死によってもたらされるメトシェラ。この計画の名称が指し示す通りに。


 新人類の繁殖が進めば。分離毒素リムーバー発生機構の安定製造が可能となれば。

 ――――起こるのは、人為的なノアの洪水。

 分離毒素リムーバーを撒き散らす兵器群はさながら赤き津波のように大地を覆い、イキモノたちを残らずコロし尽すに違いない。

 その中には、ドクターたち中枢半機械存在も当たり前に含まれていて。

 



 それが僕には、認められなかった。

 ドクターがシぬのは、嫌だ。

 ドクターをコロすのは、もっと嫌なんだ。




 ホントのことを言えば、メトシェラ計画なんて関係ない。

 僕やエンプティが生み出されて理由なんてものも知ったことじゃない。

 確かに自分自身の出自には驚いたし、ショックも受けた。けど、けど。


 だからって僕は、ドクターを裏切ることなんて出来ない。

 今更計画のことを知ったところで、心変わりなんてするわけがない。

 実際、僕の中のドクターへの敬意と情は、ちっとも揺らいでなんてくれなかった。


 イキモノをコロせとドクターに言われれば、迷いながらもコロすと思う。

 計画のための道具になれと命じられれば、悩んで苦しみながらも従うと思う。

 そうするに値するくらいのものを、僕はドクターから貰ってるから。


 正しいとか間違ってるとか、そんなレベルの話では揺らがない。

 善悪や倫理なんて、この感情の前ではなんの意味もなさないんだ。


 ドクターに喜んでほしい。ドクターの役に立ちたい。

 僕を生かしていた原動力、その感情はきっとそれで。


 けれど、ドクターの役に立てば立つほど、ドクターのシが近くなるなら。


 ドクターがシぬのを見たくない。ドクターをコロしたくない。

 芽生えたその感情は、僕を殺す原動力となって。


「……自分勝手だなぁ、本当に」


 震える声で、自分をあざける。バカなんじゃないかと己に唾を吐きかける。

 結局自分のことしか考えていない。自分のしたくないことから逃げているだけ。

 ドクターがシぬのを見たくないから、自分が先に死んでしまえ、なんて。


「でも」


 そもそも、僕が死んだところでなにも変わらない。

 確かに『浮き島』での計画は遅れるかもしれないけれど、ほかのケージでだって計画は進んでる。

 それに、ドクターはこの程度のことじゃ計画を諦めないだろう。

 そういう風に創られたから、今まで百年単位の時間を計画に費やせてきたんだ。


 だったらいずれ、計画は成るだろう。

 そしてドクターは課された任務の達成に満足しながらシんでいく。

 僕が生きていようが死んでいようが、その結末はきっと揺らがなくて。


 なら、なら。生き死にに然したる違いがないのなら。




「――――――死なせてくれたって、いいよね」




 この選択がとても利己的で自分本位なものだってことは分かってる。

 本当に唾棄すべき行動で、酷く罵倒されなければならない言動だってことは。


 それでも僕は、耐えられない。

 ドクターがシぬのを見たくない。考えたくない。想像すらしたくない。

 結局はそれだけ。あまりに身勝手で自分勝手な、醜いエゴだけ。

 けれど。分かっていても、それを選ばずにはいられないんだ。


 ――――僕たちは、人間エゴからは逃げられないのだから。


 その時、ひときわ大きな振動。大きな崩壊でも起き始めたのだろうか。

 なら、なのかな。思って、静かに覚悟をした時だった。


 音声通信――――――――聞き覚えのある声が届く。

 それは僕の独り言に対する答えで――――












『いいえ、マスター。その行動は許可できません』









 ◇




 一瞬、なにが起きたのか分からなかった。

 揺れるコックピット。何かに持ち上げられて動くような感覚。

 戸惑いを隠せずあたふたとする僕へ向けて、通信機越しに声が掛かる。


『脱出を図ります。衝撃に備えてください』


「エン、プティ?」


 彼女の声を聞き間違えるはずがなかった。

 コックピットに響いたそれは間違いなく、僕のたったひとりの相棒の声で。

 だからこそそのことが信じられなかった。信じたくなかった。


 墜落までの時間を鑑みて、僕がコックピットごと彼女の元から離れたタイミングは本当にぎりぎりだったんだ。

 ここで戻れば確実に墜落と崩壊に巻き込まれる。だから僕はその機を選んだ。

 合理的に考えて僕を追ってはこないだろう。崩落に巻き込まれて自壊するリスクを彼女は負わないだろう。そう考えた末の判断だった。

 ……だというのに。


「なん、で」


『メトシェラ計画におけるマスターの存在は非常に重要度が高く、その喪失は即ち計画遂行に多大な支障をきたすと見られます。そのため、マスターの救出を最優先としました。

 加え、識別名エリゼの助力によって救出確率が上昇、リスクマネジメントの観点から見ても救出行動を行うことは合理的であると判断し、本行動に移りました』


「待って、エリゼ? あの子が来てるの?」


 問うた瞬間に、別の通信が割り込んできて。『はい、来てますよ』と聞こえてきたのは確かにエリゼの声だった。

 ……けれど、その声には何か少し違和感があって。


『ご無事みたいですね、シェラさん』


「エリ、ゼ? ……なんでここに」


『理由はいろいろあります。けど、悠長に喋ってる時間も余裕もありません。エンプティと一緒にすぐ脱出を』


「脱出って、ちょっと待ってよ! 君は!? 君は何をしてるの!?」


『今、艦橋ブリッジ施設内の端末からケージの操舵システムに対してクラッキングを掛けています。

 接続が生きているGIPジェネレータについて、予備や緊急時用のものも含めてすべて強引に動かしました。墜落までの時間はこれでなんとか稼げるでしょう』


「君はどうするんだよ! 今艦橋ブリッジにいるって、どう考えたって間に合わないじゃないか!」


『心配いりませんよ、このカラダは遠隔操作ユニットアンドロイドですから。

 崩落に巻き込まれて壊れたとしても、わたしの本体には何の影響もありません。

 乗ってきたS-4を巻き添えにしてしまうのが心残りですけど……こればっかりは仕方ありませんね。サージェントさんにあとで謝っておきます』


「そうじゃない! そう、じゃなくて……!」


 なにかが違う。なにかがおかしい。

 彼女の言っていることは正しい。その判断に間違いはない。

 けれど何かが引っかかる。致命的ななにかを見落としている。

 そしてそれをそのままにしておけば、取り返しのつかない事態になるような気がして。 


 気付け、見つけろ、思い出せ。必死に頭を巡らせる。

 本能が鳴らす警鐘に逸らされながら、見落としているなにかを懸命に探す。

 僕はなにを失念している。なにを見逃している。

 エンプティなら、優秀な彼女のAIならばこんな見落としはしないだろうに。

 と、そう考えたその時だった。

 ――――――――閃く、見つける、気付く。その陥穽に。


「……エンプティ」


『はい』


広域強制分離殲滅兵装アニヒレート・リムーバーの効力は、まだ残ってる?」


『はい。兵装自体は停止していますが、水中に残留した分離毒素リムーバーの効力に大きな減衰は見られません』


「そう……なんだ」


 エンプティの言葉で確信を得る。「ありがとう」と彼女にお礼を言って。

 改めて、自らをエリゼと名乗ったアンドロイドへと言葉を投げる。







「ねえ。……君、誰?」







 返答はない。聞こえなかったわけでも気付かなかったわけでもないだろう。

 息の音が聞こえた。ほんのすこしの、何かをこらえるような息遣いが。


分離毒素リムーバーはまだ生きてる。その効力は残ってる。

 繭型ケージの中はイキモノをコロす毒で満ちてるんだよ。

 普通のイキモノはまともにイきていられない。分解されてシんでしまう。それは、遠隔操作ユニットに関しても例外じゃないはずなんだ。

 純粋な機械部分に影響がなくても、には必ず分離毒素リムーバーの効力が及ぶ。だから、つまりはさ。


 ――――ことになる」


『…………あはは』


 そんな彼女の乾いた笑いが、鼓膜を細く震わせた。

 それは、僕の予想が当たっていることの、何よりも明確な答えで。


「もう一度聞くよ。――――――君は、誰?」


 その僕の問いに、彼女は答えを返すことは無くて。


『すごいですね、シェラさんは。

 こんな土壇場で、普通じゃない精神状態だったのに、しっかり気付くんですから』


「なら、やっぱり君は――――」


『ええ。わたしはエリゼではありません。今はです。

 ――――けれど、それが何だって言うんですか?』


 通信越しに聞こえたその声は、どこまでもまっすぐに響いて。

 その言葉になんだか聞き覚えがあるような気がしたけれど、僕は努めてそのことを意識から外して。


『シェラさんにとってその事実は然したる意味を持たないはずです。

 貴方の大切な存在はみんな守られる。そして貴方自身も救われる。

 貴方を大切に思う存在もまた胸をなでおろし、結果として誰も悲しまない。

 誰にとっても、何ら問題のない結末ではありませんか』


「けど君は! 君の存在はどうなるんだよ!」


『わたしは元より単なる遠隔操作ユニット。『浮き島』の仲間ではありませんから。エリゼとは違います。

 ただのパーツですよ。しかも、無くても別段困らない部類のものです。

 無くなってしまったな。けれどまあいいか、と。エリゼもその程度の感慨しか抱かないと思います』


「そんなわけないじゃないか! エリゼだって悲しむに決まってる!

 それに、あの子の人格は君が元になったんだろ!? ならエンプティを褒めてくれたのは君もだってことだ! だったら、だったら……!

 ――――今僕は、君を失うことになんて耐えられないっ!!」


 懸命に叫ぶ。ここで彼女を失いたくない。心の底からそう思う。

 僕のたったひとりの相棒を、エンプティのことをただ一人「すごい」と言ってくれた。褒めて、受け入れてくれた。

 彼女はそのことの、その事実の重大さを何一つわかっていない。


 他人に価値を与えてもらうこと。その喜びを何より僕は知っていて。

 だからこそ、誰からも怖がられていたエンプティを素直に褒めてくれる、そんなエリゼのことが大好きになって。会って日も浅いのに、大事にしなくちゃって思って。


 だから、耐えられない。君がいなくなることに、僕はきっと耐えられない。

 スミスを失ってただでさえ傷付いた心に、君がいなくなるなんていう事実を刻まれれば。僕の心はきっと、赤い赤い血に塗れながらぼろぼろと崩れ落ちてしまう。


 だから、だから、やめてくれ。そんな思いを込めた叫びは、けれど。


『ありがとう、ございます』


 寂しげな声色のお礼の言葉に、僕の心が、思いが届き切らなかったことを自覚して。


『嬉しい言葉を掛けてくれて。そして、をここまで導いてくれて』


 一人称が変わった。恐らくは本来の彼女のものへと。

 そんな彼女の言葉は、優しくはあっても決して弱くはなく。

 たおやかでありながらも、硬い鋼のような芯を感じさせる声音で、彼女は語る。


『ここに来て、わたしが私になって。いろいろな事を思い出しました。

 褪せていた記憶が一斉に色付いて、今にもあふれてきそうなくらいです。

 懐かしい。本当に、懐かしくて…………だから』


 彼女は急に声を詰まらせた。声よりも先に感情が、口から溢れ出していた。

 それは嗚咽。どうしようもなく人間らしい、悲しみの感情の発露。


『だから、今のこの景色が。……私には、どうしても、受け入れられ、ない』


 そうしてようやく、僕は気付く。点と点が繋がり、悲しい絵図が浮かび上がる。

 ああ、そうか。エリゼの行動が結果としてこの場所に帰結していたのは、ある意味必然だったのかもしれない。




 ――――ここは、の故郷、だったんだ。




『何もかも、失われて、しまっていて。今更になって、気が、付いて。

 何も、かも、全部が……ぜんぶ、が、遅く、て』


「いいんだ、もう喋らなくていいよ」


 聞きたくない。反射的にそう感じた。

 それは彼女への同情でも何でもない、酷く個人的な事情から生れた感情だった。


『でも、私は、捨てきれ、なくて。

 みんなのこと、思い出だって、割り切れ、なくて』


「いいって言ってる、もうやめろ」


 耳を塞ぐ。俯く。瞳を閉じる。その感情を己の中に入れたくなかった。

 だって、だって、彼女の言おうとしていることが、僕にはありありと分かってしまったから。

 拒む、拒む。その言葉を聞くわけにはいかなかった。聞いてしまったら元には戻れないような気がした。けれど、けれど――――


『私は、エリゼじゃない、から。私は、私、だから……私の家、ここ、だから。

 だから、だから――――――――』


「やめろって言ってるだろ! やめろ、やめろ!!」


 僕の感情は、彼女のエゴを止められなかった。











『――――――――ここで、死なせて、ください』











 耳鳴りがした。目が眩んだ。感情の衝撃が五感を直に震わせて。

 なにも言えない。言えるはずがない。僕が彼女に、言葉を掛けられる訳がない。


 ――――だって、今の彼女は、さっきの僕だ。


 なんて罪深い。なんて度し難い。自分勝手に自分のイノチを捨てるなんて。

 残された者の思いはどうなる。悲しみのやり場はどうなる。

 僕は君をこんなに大切に思っているのに。失いたくないって思っているのに。

 なんで簡単にイノチを捨てられるんだ。許さない、絶対に許さない。

 それはエゴ。単なるエゴ。とてもとても自己中心的な行動だって。


 ――――――そんな思いは、全部僕自身に返ってくるもので。


 痛い、痛い。苦しい、つらい。息をしているのもやっとだった。

 止めたいのに、助けたいのに、心も体も動かなくて、どうしようもなくて。


 そんな時だった。エンプティが、彼女へ向けて通信を開いたのは。


『識別名不詳のため代名詞を使用します。――――――名も知らぬ貴女』


 返答はなく、嗚咽のみが通信を介して響く。

 そんな中エンプティが言葉を紡ぐ。無機質に、無感動に――――――否。




『貴女の英断と行動に感謝の意を表します。

 貴女のおかげで、当機はマスターの生命を守ることが出来ました』




 その言葉には間違いなく、なにか熱いものが籠っていた。

 事務的でなく、無機的でなく、有機的な熱と脈動。計画という言葉を用いなかったエンプティの思いが、そこにあるような気がして。

 熱が、思いが……エゴが。わずかにでも。確かにその言葉の中に感じられて。


 ――――ノイズが響く。音声通信の乱れ。最後の警告。

 彼女との距離が開いているのだろう。それは、エンプティがケージを完全に離脱しつつあるということを意味していて。


 引き止めたい衝動。助けたい衝動。手を伸ばして、強引にでも引き寄せたくて。

 けれど、叶わない。言葉が出なかった。手を伸ばせなかった。

 彼女の行動を糾弾する資格が、僕にはなくて。

 彼女と真正面から相対する資格も、僕にはなくて。


 どうしようもない感情に、拳をアームレストに叩きつける。

 がん、と無機質な音。手を苛む痛み。それでもアームレストには傷一つなく。


 何もできない。どうしようもない。その苦痛に、胸が張り裂けそうになる。

 無力な自分を責め立てるように、両手で頭を抱えて、乱暴にかきむしって。

 

 苦しんで、苦しんで、苦しみ切ったその最後に。

 ――――どこまでも優しい、けれど自己満足に満ちた声が、届いた。







『――――――――ありがとうございました。シェラさん、エンプティ』








 ぷつり。無慈悲に通信の回線が切れる音を耳にして、僕は。





 ――――生まれてはじめて、喉が壊れるくらいに、泣き叫んだ。







 ◇







『マスター』


「……なに、エンプティ」


『提示されていた課題について、回答の用意が出来ました』


「…………そう。答えが出たんだね」


『はい。マスターのご意向に沿う回答であるかの保証は出来ませんが――――』


「おもねりはいいよ。言ってみて」


『はい』

























『――――――私は、悲しい』









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