6-4 ファクター・オブ・マンカインド
『敵性ケージ型イキモノ、活動を停止しました』
エンプティの無機質なその報告に、息を吐く。
これで任務は終わり。制御系を失ったケージは最早巨大な鉄の塊に過ぎない。
GIPの加護をも失った鉄塊の繭は、程なく地上へと墜ちて瓦礫となるだろう。
そして――――
『ケージ型イキモノの高度低下を確認。早急な脱出を推奨します』
「いや……無駄、だろうね」
思わずそうつぶやいた、その直後に。
『警告。敵性イキモノを多数確認しました』
レーダーに映る敵影の数は、最早数えきれなかった。
さっきの時から追ってきていたイキモノ。新たに現れたイキモノ。
それらが僕たちを囲うように、そして退路を塞ぐように大量に集まってきている。
それは決死の特攻。時間稼ぎ。命を懸けての敵との心中。
傍から見れば愚かな行動。それを断行しようとする彼らの心の内は、どのようなものなのだろうか。
出口へと進路を取りながら、レーダーに表示されていく数多の光点群を見て。
「シなばもろとも……違うか。守ろうとしてるのかな、残った家族を」
『戦況予測。ケージ型イキモノの墜落までに包囲網を突破することは困難と見られます』
「だろうね。抜けるには時間が足りない。このまま諦める?」
『いいえ。非常手段としての脱出方法は存在しています。
提案です。――――
E-01の最大出力を以て
当機が持ち得る全リソースを
脱出の成功確率は、八〇パーセント程度と見られます』
淡々と、しかし常よりも早い口調での説明を余さず聞き取って、束の間の一考。
言葉の意味を噛み砕く。その間にも球体イキモノがエンプティへと迫って来る様子がレーダーを介して伺えて。
「それは、さ」
そう口を開いた次の瞬間、モニター越しに視界に入った。
懸命に水を掻いてこちらに襲い来る。球体イキモノの群れが。
なりふりなど構わず一心不乱に僕らのもとへ迫るイキモノたち。
その必死さと懸命さが、その覚悟が、嫌でも心のうちに伝わってくる。響いてくる。だから僕は、彼女に問う。
「それは、あの子たちを一匹残らずコロして脱出するってことだよね」
『はい』
「しかも、万一僕たちが脱出に失敗すると、あの子たちのシは無駄になる」
『いいえ。仮にマスターが
「ってことは、なに。どの道あの子たちはシぬから、今コロしてしまっても構わないって?」
『はい』
「…………そう」
倫理を問いたいわけじゃなかった。道徳を説きたいわけじゃなかった。
言うなればこれは確認だ。僕の行動によって引き起こされる事態の、確認。
僕たちは僕たちの都合だけでこのケージを壊し、中枢半機械存在を破壊した。
そして今、生き残った幼いイキモノたちを残らず殲滅しようとしている。
そこには正当な理由なんてどこにもない。身と命を守るため、では筋は通らない。
だって、そもそも彼らを起こしてしまったのは僕たちなんだから。
これはエゴ。ただのエゴ。僕たちは僕たちの都合だけで何もかもをコロす。
それは何も今に始まったことじゃなく、これからもきっとずっと続いていくこと。
知ってしまった事実とか、託されていた使命とか、そんなことすらも関係ない。
僕たちは僕たちのためだけに生きる。生き続ける。
そのことをしっかりと心に刻み付けて、ひとつの覚悟をする。
「エンプティ」
静かに告げる。迷いはなかった。これが僕の答えだから。
守りたいものを守るために、つまりは自分のためだけに。
全部を消す。全部を壊す。全部をコロす。
「――――
――――――――どくん。ひときわ大きく、心臓が鼓動した。
◇
赤、赤、赤。全てが赤い世界。水の青すらも赤で塗り潰されていた。
赤の暴虐。赤の猛威。赤の浸食。恵みの青海は蝕みの血界へ。
毒が巡る。毒が散る。毒が蠢く。それは肉体を這う血管のように、赤い破壊の樹形図が、全てを広くくまなく犯していく。
人工海を染める赤の根源は、水中を悠々進む銀灰の巨人。
無機質の単眼は、その惨状の全てを淡々と見渡している。無感動に、無感情に。
辺りには、シが満ちていた。
大量の残骸漂う水の中、赤い毒血に犯されもがきながらも迫る一体のイキモノ。
その球体のカラダごとエンプティへと突進をかけるも、その攻撃に勢いは無く。
当然だった。前へ進めば進むだけ、カラダが瓦解するのだから。
シの毒を浴び、外殻やヒレをぼろぼろと剥がれさせながらもそのイキモノは必死にエンプティへ迫る。
そして、球体のカラダの一部がエンプティに触れた瞬間――――それは完全に瓦解した。
全てが崩れてバラバラとなり、漂うのは残骸。そして体液と機械油のもや。
『脱出ルートのクリアリング、問題なく進行中です』
機械の砕ける悲鳴が聞こえた気がして。血管の破断音が響いた気がして。
一秒ごとに新たなシが生れている。息を吸う間に次々とイノチが失われていく。
これが、
これが――――人類が遺した殺戮兵器。イキモノをコロし尽す劇毒。
海の中に揺らめく怨嗟と悲鳴は、決して気のせいなんかじゃない。
劇毒は、僕なんかでは想像も付かないような苦痛を生んでいるんだろう。
イきたままに体を千切られ、捥がれ、抉られ、分解されて。
叫びを上げようと口を開けば、喉の奥まで破壊の毒に侵され、爛れ、崩れていく。
その苦しみ、その痛み、その絶望は、計り知れないものなんだろう。
「……そんなに、許せなかったのかな」
赤いシの海を視界いっぱいに見ながら、思わず呟く。
ここまで徹底してコロし尽そうと思うほどに、人類は怒っていたのだろうか。
ここまで完全に分解しなければと思うほどに、イキモノを嫌っていたのだろうか。
――――元はと言えば、身から出た錆に過ぎないというのに。
ああ、でも。
「許せなかったんだろうな」
共感してしまう。きっと心から憤り恨んでいたのだろうと、分かってしまう。
全ては自分たちの愚挙から始まった。過去の行いに恥じ入るべきところがあった。
――――だから何だというのか。
反省や後悔をするべき点があったら、じゃあ仕方ないって納得できるのか。
――――バカバカしい。そんなことできるわけないじゃないか。
許せるわけが無いんだ。
家族や友達を奪った敵対者のことなんて。
自分たちの居場所を奪った侵略者のことなんて。
理屈や道理で呑み込めるものを、普通エゴなんて呼ばないから。
そのことを、人類が抱いたエゴを、僕は心から理解してしまう。
何一つ違和感を抱くことなく、心のうちに落とし込めてしまう。
かつての人類と同じような状況で『浮き島』の皆が犠牲になってしまったら。
僕はきっと、正しさや道徳なんてかなぐり捨てて仇を討とうとするだろう。
つまりは、そういうことなんだ。
――――僕は、僕たちは、
それが僕の答え。僕の結論。辿り着いた解答。
だから、僕は――――
『まもなく外壁部へと到着します』
機械仕掛けの壁が見える。繭の内壁、ケージの外殻。
かつては人類を守護していたその防壁は、人類の怨念が生み出した劇毒に侵され、赤く崩壊していく。
みるみる剥がれ、崩れていくその内壁をじっと見つめながら。
「はぁ、疲れた。やっと終わったね……ねえ、エンプティ」
僕は問いかける。少しだけわざとらしいため息を吐き、笑みを浮かべて。
確認をする。分かり切った事実を。偽悪的に振る舞いながら。
「流石にもう安全でしょ? こないだのオートモードみたいなやつで帰還できないの?」
『可能です。自律戦闘モードを作動しますか?』
「じゃあお願い。今はちょっと手を抜きたい気分なんだ」
『了解しました。――――神経接続カット。自律戦闘モード開始』
かしゅ、という軽い音と共に拘束されていた腕と足が解放される。
フットレスト・アームレスト部の神経接続ユニットが外れ、手足が自由となった。
同時にエンプティとの同調が切れ、彼女のカラダを感じられなくなって。
――――ああ、少し寂しいな。なんて、柄にもなく思ってしまう。
胸が締め付けられる。後ろ髪が引かれる。……迷って、迷って、逡巡して。
けれどもやっぱり僕は、自分の答えを譲れなくて。
無理して精いっぱい、笑ってみたけれど。
うまく笑えている自信は、ぜんぜんなかった。
「エンプティ。―――――コックピット部、強制パージ」
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