6-3 ファクター・オブ・マンカインド
僕は何から逃げているんだろう。
あの人は何から目を逸らしたんだろう。
◇
エンプティを介して、青に沈む廃墟を見下ろす。
ケージ内に満たされた水はどこまでも澄んでいた。とても、あの汚染が進んだロークァットに沈んでいたとは思えないくらいだ。
水質改善用のナノマシンがまだ正常に働いているのだろうか。
だとすれば、なぜ。そう考えを巡らせようとした矢先。
『警告。敵性イキモノの反応を多数確認しました』
「ッ――――」
反射的に周囲に視線を巡らせる。水底の廃墟の影から無数の何かが一斉にこちらへと向かってくる様子が見えて。それらの姿は――――
「なに、あれ」
球体。そうとしか言えなかった。
後部のヒレのようなパーツを揺らめかせ、こちらに迫り来る球状のイキモノ。大きさは一体で五メートルほどだろうか。
およそ両手では数えきれないほどの数のそれらが、水を掻き分けて一斉に僕たち目掛け泳いでくる。
何の工夫もない突撃。だからこそ数の、質量の暴力が単純に物を言う。
このまま避けなければ、たちまちあの球体イキモノの波に押し出されてしまう。
しかし――――
「エンプティ。戦況予想」
『こちらに優位があると見られます。レーダーにより感知した敵性イキモノは全て、我々の脅威足り得ません。
相手にならない。あの程度の大きさで、火器を使う様子もないイキモノなんて。
迫り来るイキモノの群れを前に僕の心は、氷のように冷たくなっていて。
「目的の建物は?」
『
「そう。……じゃあ、行くよ」
球状のイキモノたちが一斉に襲い来る。その先頭を泳ぐイキモノに向かって加速。
GIPジェネレータの斥力場は水の中であっても効力を発揮する。機体から発せられる熱が泡の跡となり、水中を駆けるエンプティの体から曳かれていく。
青に染まる景色の中、銀灰の
右手を振りかぶり、一匹のイキモノへと突撃し、そして。
『――――エンゲージ』
エンプティの声と共に、球体のイキモノを殴り付ける。直後、打ち付けた拳がそのイキモノのカラダへと減り込んだ。
崩壊、爆散。大量の泡と瓦礫を撒き散らして一体のイキモノがシんでいって。
――――そこから先は、よく分からなかった。
前後も左右もあったものじゃない。全方向から迫る質量の塊を殴っては破壊し、蹴っては崩壊させ。
水中をもがくように泳ぎ回りながら、一発一発と毒血を込めた打撃を、球状のイキモノに打ち込んでいく。
倒しても倒しても、壊しても壊しても、コロしてもコロしても。どんどんと次が湧いて出てきて。
一心不乱に腕を振るう。脚を振るう。
そうしていればその間は、何も考えずに済んだから。
決意も何も後回し。決死の時なんだからそれに集中するべきだって。
そうやって自分をだます。偽る。そんなことをしても無意味だということに気付きながら。
がむしゃらに振り回した脚が一匹のイキモノのヒレに当たった。メインの推進パーツを失ったそのイキモノは、苦しむように水中で暴れ、もがく。
その脳天に向けて拳を叩き付ければ、ぎぎぃという何かの軋む音が断末魔代わりに響いて、イキモノは無残に爆ぜ散った。
球体のような体。後ろに伸びるヒレ。そして、ロークァットに居たイキモノの姿。
それらを照らし合わせれば、このケージ内を泳ぐイキモノの正体なんて自明。
あえて考察なんてしなくても、そんなことはわかり切っていて。
だからこそ考えない。何も考えない。
一心不乱に敵を壊す。イキモノをコロす。自分が何をしているのかなんて、今はどうでもいい。
守るべきものを守るため。与えられた命令を守るため。
僕は今だけは思考を捨てる。被造物である新人類としてE-01を駆る。
それは僕にとって苦痛である事実だったはずなのに。
今は危急の事態だから――――いや、今更そんなお為ごかしなんて意味がない。
逃げたい、と。
出さなければいけない結論から逃れたいという一心で僕は、与えられたその役割を受け入れていた。
自分たちのイノチを守ろうとしているだけのイキモノたちを、手に掛けていた。
――――なんて、なんて汚くて、醜いんだろう。
瞬間、開ける視界。水の青の先に、巨大なビルの廃墟が見えて。
『進路が開きました。突破を推奨します』
「抜けるッ――――――!」
GIPジェネレータフル稼働。全速前進。泡の軌跡を曳きながらエンプティと僕は青い世界を一直線に駆け抜ける。
その後方に残ったのは、懸命に僕たちに追い縋ろうとするイき残りのイキモノと。
重力に引かれて水底に落ちていく、さっきまではイキモノだった瓦礫の数々。
――――僕たちは、彼らからいくつのものを奪ったのだろう。
そんな考えがよぎりそうになって、頭を振る。努めて思考を振り払う。
目的の場所に辿り着くまでは。……何も、考えたくは無かった。
◇
そして、結末に辿り着く。
沈んだ廃墟の市街の中でも一等大きな建造物。それはどこか『浮き島』の
速力を保ったままに目標へと進む。目的である中枢半機械存在の位置は、既にエンプティが割り出していた。
巨大ビルの、頂上付近。そこにこのケージ型イキモノの
とにかくその中核を抑えてこのケージ型イキモノの動きを止めなければならない。
迷いやためらいを抱いている余裕は無かった。目標地点へと最短距離で駆け抜ける。
『目標地点まで残り五秒。四、三――――――』
ビルの壁面、窓ガラスに映る銀灰の単眼。
脈動する赤に彩られたその巨体はとても無機質で、だからこそ恐ろしくて。
『二、一――――――目標地点に到達しました』
そんな感情を振り払うように、拳を振り上げてビルの壁面に打ち付ける。
ガラスに映ったエンプティの姿が砕け散る。同時に、周囲の外壁も破砕される。
このビルもどうやらイキモノ化していたようで、たった一発の打撃で抉れるように破壊されてしまった。
抉れ去った外壁。大きく空いた破砕の穴から、それは姿を現していた。
直径三メートル程度。銀色の球体。
木の根のような機構を放射状に伸ばし、ビルの内壁へと繋がるその姿はどこか有機的でもあり。
ああ、間違いない。慣れ親しんだ彼女の姿と、目の前のコアの姿が一致する。
これが、中枢半機械存在。ケージの中核。
なぜ目の前の彼女がこのような姿となっているのか。
なぜケージと同化したのか。なぜ僕たちのイノチを狙うのか。なぜロークァットのイキモノたちを守ろうとしていたのか。瞬時に湧き上がる疑問の数々に蓋をする。
これを壊さなければ、倒さなければ、コロさなければ。
義務感と使命感で理性を塗りつぶす。心の温度を下げていく。
破壊する。破壊する。破壊する。破壊する。破壊する。
心の中で繰り返す。フラッシュバックする彼女の姿から目を逸らしながら。
破壊する。破壊する。破壊する。破壊する。破壊する――――
「――――――
『了解しました。――――
赤々と右腕が輝き、激しく明滅する。シの色の毒血が目まぐるしく循環する。
水の青が血の赤へと染められていく。掌の向く先には、銀に輝く真球の姿。
何かの記憶が重なる――――それを使命で掻き消した。
何かの思い出が湧き上がる――――それを義務にて打ち砕いた。
それでもまだ、まだ。湧き上がる、重なる、浮上する。
それを何度も、何度も。掻き消す、打ち砕く、消去する。
やめろ、思い出すな。過去を振り返るな。今はその時じゃない。
目の前の敵を壊すのが先決だ。これをコロさなければ僕たちの未来が危うい。
やるべきことをやらないと。与えられたことをやらないと。
明日は来ない、未来は来ない。だからそうならないために僕は、僕は――――
――――僕は。
――――明日が来さえすれば、それでいいのだろうか。
『――――
「……………っ、ぁ」
そして、引き金が僕の手に渡る。
撃鉄は起きた。指を引かなければ。撃たなければ。討たなければ。早く、早く。
義務が僕を逸らせる。使命が僕を追い立てる。撃て、討て、コロせと。
でも僕は……ああ、そうか。そうだったのか。
気付いた。見つけた。拾い上げた。僕の答えはこんなところにあった。
追い立てる声からは、逸らせる声からは逃げられない。
耳を苛むその痛みからは決して目を背けることは出来ないけれど。
だからと言って、我慢をする必要は無いんだ、って。
気付いたから。僕は引き金に指を掛ける。
目の前のコアは僕にとって大切な存在と同じ姿をしていて。それに対して僕は、エンプティは、無機質な砲口を向けていて。
葛藤と苦痛を抱きながら。嫌悪と苦悩に苛まれながら。けれど。
答えを出した僕は、何の躊躇もせずに――――――
「
――――破壊の毒を、シの光を、銀色の球体へと放ち浴びせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます