6-1 ファクター・オブ・マンカインド


 


 僕は何をすべきなんだろう。


 あの人は何を望んでいるんだろう。




 ◇




 無機質な白の回廊を歩く。淡々と、一歩一歩。

 真実を知ったからと言って、ショックを受けたからと言って、現実は立ち止まってなどくれない。僕の都合など知ったことかと、時は秒を刻み続ける。


 ならばそう、歩くしかない。

 これは任務であり義務であり使命だ。僕はその為にイきて――――いや、生きているのだから。

 廊下に足音が響いていた。一歩一歩、淡々としたものと、もう一つ。

 追いすがるような、焦燥を感じさせる靴音。僕の後ろから、聞こえてくる。

 エレベーターの扉が目の前に見えた、その時だった。


「待って、待ってください! シェラさん!」


 絞り出すように、僕を呼び止める声。足を止めて振り返る。

 表情が崩れ、肩までの金髪を乱し、すがるような緑眼をしたアンドロイドの姿。

 痛ましかった。可哀そうに感じた。慰められるものならそうしたかった。


 けれど僕は、彼女に、エリゼにかけるべき言葉を持ち合わせていない。

 だって、そうだろう?


 僕と目が合っただけで、罪悪感に押しつぶされそうになっている彼女に。

 今にも泣きだしそうな顔をして、言葉を詰まらせている彼女に。

 いったい、どんな言葉をかけられるというのか。

 

「ぅ、あ……シェラ、さん」


「何?」と短く返す。冷たさも温かさも感じさせないように、短く。


「わ、わたし……わたしの、せいで」


「いいよ、それはもう」


 気付いたら、そう口にしていた。語気が少しだけ強くなってしまう。

 確かに、事の発端はエリゼだった。それは事実だ。

 エンプティの秘密を暴くきっかけを見つけたのも、廃棄された『心臓』を見つけ出したのも彼女だった。

 けれど、僕は理解してしまう。自覚してしまう。

 彼女のせいで、彼女が居さえしなければ、と。――――その仮定の虚しさを。


「僕は何も言わない。言いたくないし、言えない」


「で、でも、わたしがいたから、師匠は――――」


「そんなこと言ったってさ、キリがないんだよ。今更何を言っても駄目なんだ。

 誰がどう後悔したところで何も変わらない、意味無いんだよ。

 だって、だって、もう――――っ」


 それ以上は駄目だ、言うな――――強引に口を閉じ、彼女から目を背ける。かろうじて理性のブレーキがかかってくれた。

 けれど、今の僕では何を言ってもエリゼの心を抉ってしまう。感情の歯止めは、もうほとんど利かなくなっていた。

 心の激発を、いつまで留めていられるか。外れかけたタガのがたつく音を聞きながら、僕は僕自身におびえていた。


 だからもう、話しかけないで。僕にすがらないで。

 僕は最後まで、エリゼが思うシェラでありたい。そう強く思っているから。

 だから、やめて。そんな目で僕を見ないでくれ。

 これ以上は――――君を傷つけてしまう。




 なのに、なんで。


「なんで、ですか」


 なんで君は、僕を頼ろうとしてしまうんだ――――


「なんで、わたしを守ってしまうんですか……!?」




 問われて、言葉を失う。

 ……ああ、そうか。そうだったのか。

 エリゼは、分かっていなかったのか。

 なぜ僕が、君のことを大事に思っているのか。


「わたしは全部の原因なんですよ!? エンプティがなったのだって、シェラさんが傷付いてしまったのだって……!

 それに、それに! し、師匠がシんて――――」


「いいんだ。わざわざ言わなくてもいい」


「だから、なんでですか!? なんで!? わたしにはわからないっ……!

 全部、全部わたしのせいなのに! わたしさえ居なければ『浮き島』は平和だったのにっ!! 

 なのに、なんで気遣うんですか!? 優しくしようとするんですか!?

 ――――なんで、わたしなんかのために心を削っちゃうんですか!?」


 ああ、確かに。彼女の立場からすれば、恨まれて当然だと思うんだろう。

 出会ってから日が浅く付き合いも短い自分が、直接ではないとはいえ僕の仲間のイノチを奪ってしまった。そのことを殊更に重く受け止めてしまうんだろう。


 けど、違う。それは事実なんだけど、違うんだ。

 君は、君だけは、付き合いの長さなんか関係なしに、大事にしなきゃって思ったんだ。守らないといけないって感じたんだ。


 後ろに向き直り、エレベーターのボタンを押す。真白の扉は直ぐに開いた。

 おそらく統括室ブレインフロアで止まったままだったのだろう。口を開けたエレベーターに乗り込む。淡々と、一歩一歩を踏み締めて。


「答えてください! シェラさん、シェラさんっ! 答えてよぉ!!」


 絞り出すように叫ぶエリゼ。

 彼女が気付いていないのなら、言うべき時は今しかない。

 きっとこれが、最後になるだろうから。

 振り返る。開いた扉越しに、今にも泣き崩れそうな緑色の瞳を見て。


「あの時がだったんだ」


「……え? あの、時?」


「だから内心、結構ビックリしててさ。

 ……けど、それ以上に誇らしかった。胸を張りたい気分だった。君はたぶん、なんにも気づいてなかっただろうけど。

 ――――実はあの時、僕すごい感動してたんだよ」


「なんの、話……ですか?」




 ぽかんとした表情を浮かべるエリゼに、僕は笑みを返した。

 無理やりな作り笑顔になっていたかもしれないけど。

 あの時の気持ちを出来るだけ思い出して。

 今僕に出来る精いっぱいの笑みで。

 僕は言う。感謝を込めて。

 伝う涙を拭って。




「――――誰かに相棒ともだちを褒められるのって、こんなに嬉しいことなんだなって」




 エレベーターの扉が閉まる。行くべき場所は、ひとつだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る