5-4 メトシェラ・プラン
膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。最早声や涙すら漏れなかった。
何かが失われた感覚。信じていたものが消えてしまった実感。
その喪失に、心の色が薄れていく。五感から意志が抜けていく。
不意に思い出す、かつてのドクターの一言。
――――生きていてくれて、よかった。
あれはつまり、そういうことだったのか?
計画の肝である僕が、死なずにいてよかったと。
これで予定通り、人間たちの希望を叶えられるのだと。
――――僕の価値は、イキモノをコロすことにしかないのだと。
「盗み聞きは感心しないな、エリゼ」
ドクターの言葉に、弾かれた様に後ろを振り返る。
先の一件で汚れたのだろうツナギを着たまま、その緑色の瞳で僕と、ドクターを見る彼女――――エリゼ。
「……あ、ああ」
「本来ならば軽くしかりつけるところだが、今は許そう。何せ君は、今回の一件における最大の功労者なのだから」
「ちが、わたし、わたしは……」
震える声で彼女は言い、後ずさろうとして、叶わない。
力なくぺたりと尻餅を付いて、かたかたと歯を鳴らす。何かにおびえるように。
どういうことだ。エリゼが功労者? 話が見えない、分からない、分からない。
……いや、違う。僕はもう分かっているはずだ。気付いているはずだ。
彼女がエンプティに『心臓』を取り付けなければ。
彼女がエンプティの『心臓』を見つけなければ。
彼女がエンプティの異常に気が付かなければ。
彼女がエンプティの整備をしていなければ。
彼女が浮き島のハンガーに来なければ。
――――彼女が、ここに来なければ。
全ては変わらなかった。動かなかった。
ドクターが言葉を吐きだす。常と同じように、落ち着いた声色で。
「君は、別ケージに配備されていたアンドロイドなんだろう?」
エリゼと共に、僕も息を呑んだ。でも、驚きと同時に、やはりかと事態を冷静に飲み込む落ち着いた自分も存在していて。
ああそうか、
「私の予想しているシナリオはこうだ。居住していたケージが奪取あるいは破壊され、外に弾き出された君は、放浪の末にクモ型のイキモノに同化された」
「いや、いや」――――彼女は頭を抱えて目をぎゅっと閉じる。
「だが、ケージに配備されたアンドロイドには、万が一敵対イキモノに同化された場合の対策として、ヒュブリダウィルスに反応してイキモノの思考回路へ干渉するオート・クラッキング機能が備わっている」
「いやだ、しらない」――――彼女は抱えた頭を振り乱す。
「君はその機能を用いてクモ型イキモノの脳にクラッキングを仕掛け、自分の記憶と自我のデータをクモ型イキモノの深層心理へ植え付けることに成功した」
「ああ、あああぁ」――――彼女は苦悶の表情で呻きを上げる。
「つまり、今クモ型イキモノに宿っているエリゼという自我は、大部分が君の影響を受けているということだ。
だからこそ、礼を言おう。ありがとうエリゼ。よくぞ役に立ってくれた。
メトシェラ計画に召し上げられたアンドロイドは、皆優秀だ」
――――――瞬間に、エリゼの絶叫が響いた。
悲鳴、慟哭、嗚咽。それらを全て含んだ、気が狂う一歩手前の悲嘆。
ドクターの言葉は端的で、だからこそエリゼの心を深々と貫き、綺麗に抉った。
つまりはそう、全てはお前の責任なのだと。
事ここに至った全ての原因はお前なのだ、と。
ドクターの言葉は暗にそのような響きを含んでいて。
――――感情が沸騰する。止められない激情が湧き上がって。
「――――ッ、言葉を選べよ!! そんな言い方したらエリゼが傷付くことくらい分かるだろッ!!?」
「その意味がない。必要性がない。
エリゼは聡い、君と同じくな。私がどれほど迂遠に、歪曲に物事を伝えたとしても、彼女は必ず気付くさ。……だからこそ、言葉を選ぶことに意味などない」
「あるよ! 傷付けないよう思い遣ることに意味がないなんて言わせないッ!」
「誤魔化しが通用しないとはっきり分かっている相手に対してわざわざぼかした真実を伝えるのが『思い遣り』か?
だとすればシェラ、私と君との間には埋め難い意識の差があるようだ」
「ッ――――そんな言い方!」
「言い方、表現。それらにこだわる意味は何だ?
真実を知る相手に対して上辺を取り繕うことに何の意味がある?
むしろ敢えて遠回しな言葉を選ぶ方こそ不義理ではないのか?
私は――――――――」
ドクターの言葉を遮るように響いたのは、高い電子音。音声通話の受信を告げる音。灰色のホログラフ・ウィンドウが開き、『Sound Only』の文字と共に通信先の情報が表示される。
相手は――――観測班班長、クランク。
『ど、ドクター! 大変、大変なのね!! 湖が、ロークァットがぁ!!』
「クランク落ち着け、呼吸を整えろ。何があった」
『ご、ごめんなのね、でも落ち着いてられないのね! 一大事なのね!
――――ロークァット湖の真中から、船が! 巨大浮遊艦が浮上してきたのね!! キロメートルオーダーの馬鹿でかい船なのね!!!』
その言葉を聞いた瞬間、全てが繋がった。電撃のように奔る直感。
エリゼは、言葉を失っていた。口に手を当てて、何かに絶望するかのように。
繋がった、繋がってしまった。絶句する僕を尻目にドクターは、落ち着いた声色でクランクへと言葉を返す。
「リアルタイムの映像をこちらに送れるか?」
『い、いけるのね! 映像、
直後、新たなホログラフ・ウィンドウが表示される。
そこに映っているのは、毒々しく粘つくロークァット湖の水面から姿を現した巨大な構造物。全長は一・五キロメートル強。全幅は一キロメートル弱。
重厚な外殻に覆われた、虫の繭のような外観。粘度の高い汚染水が、滑らかな曲面を禍々しく彩っている。
大きな、大きな――――それこそイキモノでも住めそうなほどの、巨大艦。
これは、つまり、そういうことで―――――――
「状況は把握した。シェラとエンプティに対応してもらう」
『うえぇ!? エンプティって、さっきの海辺での騒ぎで結構ダメージ負ってるはずなのね!? それにスミスは、スミスのことは――――』
「全て私に任せておけ。何とかする」
口早に言い切って通信を切ったドクターは、しばらくの間沈黙を保って。
「……さて、シェラ」と。とても冷たい、鈴の音のような声で言う。
「いつかの議論の答え合わせをしようか」
――――ロークァットに潜む何モノか。
カエル型の巨大イキモノが、重火器を同化してまで抗おうとした何某か。
僕の予想は『ロークァットの魔物』。
カエルよりも巨大な何かが湖底に潜んでおり、湖岸のイキモノへと襲い掛かっていたという想像。
ドクターの予想は『ロークァット亡霊小隊』。
古い昔、軍用機械を積んでいた輸送機か何かがロークァット湖底に沈み、その機械たちがイキモノ化してロークァット湖岸のイキモノに牙を剥いたという仮説。
この二つは、どちらも間違っていて。
でも、どちらにも正しいところがあった。
カエル達はかつて、銃器を使わなければ抗えないモノと敵対していた。
――――近付けなかったから。接近すれば分解されてしまうから。
カエル達はエンプティを敵だと思い込んでいた。
――――エンプティがその敵に似ていたから。どころか、瓜二つであったから。
湖底には巨大な何かが潜んでいた。
――――それは輸送機とも呼べるだろう。カエル達はそこから火器類を調達していたに違いない。あるいはそここそが戦場だったのかもしれない。
湖底に潜む巨大な何かは、イキモノと化していた。
――――イキモノであるからこそ今までは鳴りを潜めていたのだろう。
カエル達のかつての敵はイキモノ、ではなかった。
――――それよりも尚恐ろしく、かつ残酷な、彼らにとっての天敵にして脅威。
点と線が繋がる。全ての構図が露わとなる。真実が剥き出される。
であれば、ロークァット湖底より急浮上した繭型の巨大艦。その正体など明らか。自明の理。考えるまでもなく答えは出ている。
あれは、あれは――――――――
「あれは、ケージだ」
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