5-3 メトシェラ・プラン




 メトシェラ計画。――――その骨子には、諦観が存在している。


 地球は既にヒュブリダに侵され尽くしている。最早有機生命体は、人類は、地上に住まうことを許されていない。

 ヒュブリダに感染しなければ――即ちイキモノとならなければ――、この世界におけるあらゆる権利は保障されないのだ。


 その諦観。現状への絶望。最早どうにもならないのだという見切り。この感情がつまりは計画の発端にある。


 有機生命絶滅の末期。特権階級にあった人類の一部は、その根城を空に移していた。GIP浮遊式の巨大居住航空艦、通称『ケージ』。厚い隔壁に守られた空の籠。

 自らをその鳥籠に閉じ込め、居住領域を外界から隔離する以外に、人類が存続する手段は存在していなかったのだ。


 しかしその手段も、ヒュブリダの感染力と感染生物の持つ毒性の前には延命措置にしかならず。空へ逃れた人類は、やがて迎える破滅を待つのみとなっていた。


 対抗策が完全に無かったわけではない。事実、一部の『ケージ』ではヒュブリダの活動を停止させ、有機・無機結合を破壊する人工粒子の開発を進めており、有意な成果も出ていたのだ。

 ただ、それを実用化し実践投入するだけの人員が、資材が、何より時間が、絶対的に足りていなかった。


 近い将来、いずれ自分たちは死に絶える。

 ならばどうすればいいのか。どうすれば人類にとってより良い選択となるのか。……生き残った人類は考えを巡らせた末、ひとつの結論を出す。

 

 ――――今は、何も抗う手段が見つからない。

 ただ、人類の知恵を持ってすれば、遠い未来にヒュブリダへの有効な対抗策は必ず見つかるはずだ。

 だが、時間は待ってくれないだろう。滅亡は直ぐ傍にまで近づいている。

 ならばそう――――人類の知恵を有し、人類の未来を託し得る存在を、我々の手で創造すればいいのだ。


 それこそがメトシェラ計画の発端。

 人類滅亡の先にも稼働し続け、思考し続け、開発し続ける半機械存在の運用計画。


 純粋な機械ではなく半機械、つまりはイキモノだ。

 脳が脳としての形を得る以前の段階、の状態で意図的にヒュブリダに感染させることで、健常な精神を持つ長寿命な半機械存在を作り出し、それを計画の骨子に置く。


 半機械存在が目指すべき目的は二つ。

 荒廃した環境に耐え、かつヒュブリダに侵されない身体構造を持った新人類を、現人類の遺伝子情報を元に創造すること。

 地球上に存在するヒュブリダウィルス、並びにヒュブリダ感染生物の根絶方法を確立すること。

 その後には、革新的な技術を手にした新人類の手によって、ヒュブリダウィルスと感染生物を地表から直接駆除し、生命の楽園たる地球を取り戻す。


 ――――全ては、万物の霊長たる人類の再生と復権のために。




 ◇




 違う、嫌だ、やめて。声が出ない、絞り出そうとして叶わない。

 顔が苦痛に歪む。息が荒くなる。口から出るのは言葉にならない唸りばかり。

 否定したい。聞きたくない。そんなわけがないと叫びたい。

 なのに、なのに……口が、体が、思うように動かない。慄くように、震えるばかりで。


第四ケージ浮き島におけるメトシェラ計画の中枢たる半機械存在。それが私、ドクター・ロウであり、そして――――」


 嫌だ、いやだ、違う、ちがう。――――いいや、違わない。

 否定しようとする理性を、本能が冷たく見下している感覚。熱くて、冷たい。相反する精神が溶け合わずに混ざり合う。混沌、マーブル。感情が渦を巻く。


「私を含む中枢半機械存在達が完成させた対ヒュブリダ兵装である分離毒素リムーバー発生機構。それを搭載したニンゲン型搭乗機械がエンプティであり――――」


 ああ、知っていたとも。――――そんなはずない、これは夢だ。

 否定と肯定が僕の精神をぐるぐる、ぐるぐると掻き回して、そして――――





「エンプティに搭乗し、ヒュブリダを地上から排除する為に私が生み出した新人類。

 つまり、全てのイキモノを根絶する為に生まれたのが――――君なんだよ、シェラ」





 ◇




 ここからは少々、蛇足になる。


 合計七隻が存在しているケージはメトシェラ計画が始まったのち、簡易的な定期通信機能以外のネットワークを全て放棄した。

 これは、仮にケージそのものがヒュブリダ感染生物によって支配された場合――即ちイキモノ化した場合――に、他のケージにその影響が及ばない様にする為の措置だ。


 これによりメトシェラ計画は、各々のケージに配された中枢半機械存在によりほぼ独立かつ並行して進むという、非効率な選択を取らざるを得なくなった訳だ。


 そして、第四ケージにおけるメトシェラ計画。これが万事うまくいったかと言えば、実のところそうではない。計画の中心的存在である君に対して、真相を伝えるのがここまで遅くなったことからも察することは出来るだろうが。


 ……さて、説明は長くなるが、ここまで来たらついでだろう。初めから話そうか。

 

 人類が絶滅した後の第四ケージは、君も知っての通りイキモノ達の巣と化した。

 当初は元々人間だったイキモノ達を先祖に持つものが多数だったが、それに加えて外からのイキモノを受け入れたからだ。

 いずれは彼らと敵対するにせよ、この後何百年も緊張状態を保ってなどいられない。イキモノ達と表向きの友好関係を築くことは、未来のために必要だと考えた。


 その結果として、計画の遅れを招くことになる訳だが。


 人類の遺した技術を発展させ、長い時間をかけて分離毒素リムーバー発生機構を完成させたのは今から二百年ほど前になる。その運用のためのニンゲン型搭乗機械であるE-01――今の我々が言うところのエンプティだな――は、計画が本格始動する前に各ケージに配備されていた。

 後は分離毒素リムーバー技術と遺伝子操作の応用によって、抗ヒュブリダ能を持つ新人類を創り出すのみとなった。


 ん? なぜエンプティに新人類を乗せる必要があるのか?


 単純な話だよ。『イキモノ達を排除したのは新人類だ』という事実を、人類側が欲しがったからだ。

 ヒュブリダウィルスそのものはもとより、ヒュブリダ感染生物を完全に地上から排斥できるという保証はない。故に、ヒュブリダ感染生物が根絶し切れず生き残った場合において、彼らに対して『新人類は脅威である』という観念を植え付ける必要がある、と人類は判断した。


 だから、新人類が直接手を下す必要があった。そのためのE-01であり、君らだった訳だ。……ということで、新人類の創造を急いでいたのだが。

 ここで私にとって予想外の出来事が起きた。



 ――――無人のE-01を、凶暴化したイキモノ達が破壊しに掛かったんだ。



 後々にわかったことだが、イキモノ達は分離毒素リムーバー発生機構に対して並々ならない忌避と恐怖を抱くらしい。


 自我や知性の確立していないイキモノならば、ただ怯えるだけなのだがな。なまじ知恵のついたイキモノは、どうやら嫌悪感から敵意や害意を抱くようだ。


 そもそもの根本理由は分からない。本能的に自分達に害為すものだと理解しているのかもしれないが、それを確かめる手段を私は持ち合わせていないからな。


 さておき、E-01を巡り第四ケージ内で戦闘が起こった。

 緊急時用に用意していたE-01の自律機動モードを作動させて応戦させたが、物量に圧されて劣勢に立たされた。

 増援としてマグとメルをS-2とS-3に乗せて出撃させた――サージェントは暴走状態に陥っていなかったんだ――が、それでも数の力は覆せなくてな。


 やがて、襲撃してきたイキモノのうちの一匹が、E-01に積んでいた分離毒素リムーバー発生機構をピンポイントで破壊した。それによって凶暴化していたイキモノは皆鎮静して、一応のこと戦闘は収束したんだが。


 ケージ内の多くの施設が被害を受けた。

 その中には、新人類を創造するための培養施設もあった。大型のイキモノが倒れこんだらしくてな。内部の機器はほとんどが全壊状態にあった。

 何とか一基だけ装置は生きていたものの、今までの成果物はほとんど瓦礫に潰されていたよ。


 そのおかげで、第四ケージにおけるメトシェラ計画は大幅に遅れることになった。


 新人類の創造は言うまでもなく、もう一つの要であるE-01は分離毒素リムーバー発生機構を失った。壊れたからと言ってすぐ作り直せるような代物ではないんだよ、あれは。


 さらにはそのおかげで、E-01に非常用融合炉に偽装した超小型の分離毒素リムーバー発生機構を取り付け――同化からの保護のためだ――、人工海の底へと隠さなければならなくなった。


 そして、何よりも。

 分離毒素リムーバー発生機構の存在が公になってしまったことにより、私がイキモノの敵対存在であるということが第四ケージ内のイキモノに知れ渡る可能性が浮上した事実。これが問題だった。




 ◇




「だから私は、ケージ内に存在するイキモノ達やアンドロイド――つまり私以外の知的存在――の記憶消去を決断した」


「方法自体は実に簡単だ。暴走の件に起因して他の異常が発生していないかを確認するメディカルチェック、という名目で艦内のイキモノやアンドロイド全てを集め、その一体一体にクラッキングプログラムを植え付けた」


「そして、然るべきタイミングで一斉にそのプログラムを動作させ、全員が同じタイミングで記憶を失うように仕向けたんだ。

 ……ただ、少々事を急き過ぎてね。かなり大きなクラックを仕掛けたものだから、一部のイキモノ達に悪い影響が生じた。……メルの言語野に異常が出てしまったのは私の責任だ」


 すらすらと、そして冷たく語られる事実の数々。それらを僕は受け止め切れず、けれども受け流すことも出来ず、ただただ意味を機械的に咀嚼する。痛みを、苦しみを、伴いながら。

 呆然と、自失して。何もかもが、信じられず。


「そして、私の落ち度はまだあった。流石に記憶消去のやり方が乱雑に過ぎたのだろうな。…………つい先ほど、かつての記憶を掘り起こしたイキモノがいた。


 ――――スミスだよ。彼は本当にイキモノの鑑だ。


 そういえば、最初に分離毒素リムーバー発生機構を破壊したのも彼だったか。

 一度ならず二度までも、よくも阻んでくれたというものだ。敵対存在ながら、この事実は称賛に値する」



「っ――――――――!」



 衝動的に、激情的に。気付けば僕は銀色の球体に、ドクターに対して拳を打ち付けていた。右の手の甲に痛みが響く。強く拳を握り込み過ぎて、ぽたりぽたりと血が滴る。赤い、赤い血が。

 何に背中を押されたのだろう。この感情は何なのだろう。この心のうちから湧き上がる熱くて黒いものは、いったい何なのだろう。


 わけも分からず、涙を流して。歯を食いしばって、口からも血を流して。

 苦痛や悲しみでぐちゃぐちゃになった心のままで僕は、自分でも意味の分からない言葉を、問いを、投げて。



「――――ドクター。貴方は、何を望んでるの?」



 それに対する答えは、笑ってしまうくらいに明瞭で。



「人類の再生と復権だよ。それ以外に何がある?」



 だからこそその言葉が僕にとってはとても、とても―――――




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