5-1 メトシェラ・プラン




 掛けられた言葉は数多あった。

 期待。希望。懇願。嘱望。

 全てを託す。君たちしかいない。どうか正しく導いてくれ。我々の未来を頼む。


 私はそれをすべて受け止め、誠実に返答し、会話を記憶した。

 人類の希望。再生の種。それを預かる者としての責務故に。

 だからこそ、理解できない一言があった。ひときわ、深く記憶に刻まれた言葉。



「人類の希望だそうだ、その尊厳を取り戻す為の。

 ――――君の存在意義なんて、所詮はその程度のものだよ」



 期待でも希望でも懇願でも嘱望でもない。それは、嘲り。

 私に未来を託した人類のうち、求めなかったのは、頼らなかったのは、望まなかったのはたった一人、彼だけだった。


 彼は病に侵されていた。人類に課された命運とはまったく関係のないところで、死ぬ定めにあった。

 だからだろう。彼はどこか達観していて、もっと言うなら諦めていて。生を渇望する他の人間とは、少し違う視点に立っていた。


「まあ、軽く考えなよ。あと百年もすれば僕たちはみんないなくなる。そうなった時のために、今から自分のやりたいこととか見つけておいたらどう? その方がよっぽど有意義だと思うんだけどね」


 否。人類再興は私の至上命題である。任務の途中放棄はあり得ない。


「だろうね。君はそのために創られたわけだから。

 でも残念ながら、崇高で壮大なお題目というのは得てして形骸化するものなんだよ。これは運命と言い換えてもいい。

 大きすぎるものをずっと見ていると、人間疲れるんだよね」


 否。私は人間ではない。人類存続とその地位の復権を目的に創造されたシステムである。


「いいや、君は人間だよ。立派な人間だ。だから、人間からは逃れられない」


 言葉の意図が不明。説明を求める。


「そのうち嫌でもわかるようになるよ。君も、アンドロイドたちなんかもそうさ。

 被造物は創造主の子。その事実からは逃げられない。人間という因子を含んでしまうんだ。どうしてもね」


 ……言葉の意図が不明。説明を求める。


「ああ、そう。まだ理解できてないんだね。

 それはとても喜ばしくて、悲しいことだ。だから僕は、君にこの言葉を贈ろう。



 ――――済まなかった。僕たちのエゴで君を生んでしまって」




 ◇



 呆然。自失。でも足取りだけはしっかりとしていて。

 気づけば僕は辿り着いていた。無機質な回廊、継ぎ目のないその通路の終点。口を開いている中枢への入口――――統括室ブレイン

 踏み入れる。かつかつと、足音が響く。広い広いその部屋に、反響する僕の一歩一歩。やがて立ち止まる。


 目の前には、中枢。『浮き島』の主。僕にとっての大恩ある存在。

 直径三メートル、銀色の球体が常と変わらず鎮座していて。


「……どういう、ことなの」


 ぽつりと、言葉がこぼれた。それはとても低くてぼそぼそした声で、けれども強く問い詰めるような色を持っていて。

 初めてだった。彼女に、ドクターに対してここまでの反抗心を見せたのは。


「どういうことなのって聞いてるんだよ? ねえ、ドクター」


 問うても答えは返ってこない。いつもなら打てば響くといった風に話が進むというのに。そのことがとても辛くて。苦しくて。それ以上に、腹立たしくて。

 感情が、吹き出しかけていた。そして。


「答えてよドクター、ねえ。答えてってば。

 ――――答えろよ! 早く!! 何がどうなってる! 一体何なんだよこれは!」


 僕の激昂にもドクターは応えない。ただずっと、何かを待つように黙りこくっている。僕の叫びの残響が消えた。沈黙が統括室ブレインを支配する。

 その静寂に耐えきれなくなって、もう一度声を張り上げようとしたその時だった。


「――――長い、長い話になる」


 ドクターが口を開いた。一つ一つ、言葉をかみしめるように。


「私と、君と、何より人類に関わる話だ」


「人類? 何だよそれ? 何百年も前に死に絶えた生き物と僕らイキモノとが、一体何の関係があるって言うの? 何もないよね? 適当なこと言ってはぐらかすつもり?」


「いいや、違う」


「だったら何でそんなこと――――」


「関係はある。私と君は、だ」


「…………は?」


 意味が分からなかった。僕と、ドクターが、人類のために生み出された?

 全く理解が出来ない。頭に血が上っているせいもあるんだろうけど、それを差し引いても僕にはドクターの言っていることがまるで呑み込めなかった。

 訝り睨む僕へ、ドクターは淡々と語り始める。


「全てのルーツの話をしよう。

 それがひいては今回の一件についての説明にもなり、そして君が為すべき使命の話にもなる」


 そうして、世界の真実が語られ始めた。




 ◇




 明確な発端は、判然としていない。


 宇宙から飛来してきたという説が最も有力であったが、それはあくまで『地球上では決して生まれ得ないものである』という事実からの逆説に過ぎない。


 何にせよ、自然には決して生まれ得ないもの。人間にも決して生み出し得ないもの。有機物と無機物の構造を相互に結合させる性質を持った、非常に特異なウィルス生命体。

 そのウィルスが引き起こす前代未聞の疾病は一時、世界中を慄かせた。


 ヒュブリダ病。正式名称、無機物同化症候群。


 人体と無機物が完全に同化してしまう病気。症例自体は決して多くは無かったものの、当時の先進医療をして治療不可能であった難病中の難病。

 特に機械類と同化した患者は、機械側の内部回路と脳の神経が混線を起こし、高い確率で発狂に至るという、恐ろしい病。

 その通称病名は、ウィルスの名をそのまま拝借したものであった。


 一般の人々は当然、この奇病に恐れを抱いていた。

 が、一部の急進的研究者たちは、ヒュブリダ病の原因であるウィルス生命体――ヒュブリダに対して並々ならぬ期待を向けていた。


 曰く、進化加速因子。生命を次の段階へと進ませるもの。次代への階段。


 ヒュブリダが発見された西暦3500年代。高度に発達した電子文明・機械文明はしかし、生命の根本的な寿命を延ばすまでには至っていなかった。

 技術的な頭打ちである。あらゆる難病奇病を治すことは――ヒュブリダ病を除いて――可能となったが、医療技術はそれ以上の進歩を見せなかった。

 治療は出来ても進化は促せない。ゲノムの神秘には届かない。それが人類の為せる医療技術の限界点だった。


 その限界点を突破し得るかもしれない因子こそが、ヒュブリダであったのだ。


 西暦3500年において、電子機械類は人類の持ち得るあらゆるポテンシャルを凌駕しつつあった。

 かつては唯一人類の方に分があったとされる知能や記憶力についても、人工知能技術の目覚ましい成長・成熟によって、人類と機械はほとんど肩を並べていた。


 そこまで高度に成熟し切った電子機械類を。それも、生命体としての特性を保ったままに。

 義肢やインプラント、ナノマシンの導入などとは一線を画す領域での融合、同化。

 それはつまり、生物としての進化以外の何物でもない。精神異常の問題さえクリアすれば、人類は新たな領域に踏み込むことができる、と。

 一部の急進的な医療技術研究者は、こぞってヒュブリダへと飛びついた。


 ただ、その他大勢の研究者たちは、ヒュブリダの存在を嫌悪していた。

 倫理的な抵抗感からである。得体の知れないウィルスを人体へと感染させ、機械との同化を果たす。この一連のプロセスに忌避を抱かない人間など、それこそ極端な性格をした者しか有り得ないだろう。


 ましてそれを進化と呼ぶなど、正気ではない。世間の大多数が奇病と恐れている現象を、プラスになど捉えられるものか。医療研究者界隈における大勢は、おおむねそのような意見に占められていた。


 故にヒュブリダについての研究は、病気の治療方法の確立という目的のためにしか行われていなかった。……表向きは、の話になるが。




 ◇




 西暦3556年。合衆国領有小離島、ジャーヴィス島。

 太平洋の真中に浮かぶサンゴ礁の島において、ヒュブリダの研究が秘密裏に行われていた。なぜ秘密裏になのかという理由は、わざわざ語る必要などないだろう。


 多様な生物へのヒュブリダ感染実験。ヒュブリダ病を発症した生物への電子機器投与、同化実験。機械類と同化した生命体の負荷耐久試験。

 そして――――人体を利用した臨床実験。


 記録に残っている限り、そのような類の実験が日夜行われていたらしい。離島という地理条件を利用し、表向きには『ヒュブリダ病の治療法確立のために隔離環境での研究をしている』という名目を掲げていたようだ。

 

 このジャーヴィス島ヒュブリダ研究施設について、残されている記録は然程多くは無い。

 研究の計画はいつからあったのか。施設はいつ建設されたのか。施設内の人員は。施設内の設備は。ヒュブリダの保管場所は。……等々、謎に包まれている部分は多い。


 ただ、この施設の終焉に関しては、当時の人間ならば誰しもが知っていただろう。


 恐らくは数十年以上もの間行われていた、ジャーヴィス島でのヒュブリダ研究。

 その間、島の内部で培養されていたヒュブリダは様々な生命体に定着し、その身体構造や遺伝子情報を学習していった。また、定着した生命体を介して、同化した大型機械や電子機器、ナノマシン類に関しての情報をも取り込んでいった。


 結果として何が起こったか。


 ――――急速に進化を遂げたヒュブリダの島内全域感染パンデミックである。


 発見された当初のヒュブリダの感染能力は、そこまで強力なものではなかった。故にこそヒュブリダ病の発症例は少なかったのだ。

 だが、ジャーヴィス島における度重なる実験により、ヒュブリダは多種多様な生命体や機械類の情報を得て、学習してしまったのだ。


 どのようにすれば己をより増やせるのか。

 どのようにすれば己をより強くできるのか。

 どのようにすれば己をより広めることができるのか。


 やがて、島内における全生命体――人間はもとより微生物の類も例外なく――はヒュブリダ病を発症。島内施設や実験機械を次々に同化し始めた。ジャーヴィス島の研究施設はこの段階で機能を停止したのだ。


 この事態を重く見た本国政府は、ジャーヴィス島の実態を――あくまで現地研究者の独断による暴走という但し書きを付けて――全世界へと公表。


 ――――同時に、ジャーヴィス島への核兵器使用を決断した。


 核攻撃によるパンデミックの強制終息。

 世間からのバッシングに晒されながらも合衆国はそれを断行し、果たして進化したヒュブリダはジャーヴィス島ごと地上から消え去ったのだった。








 ――――そう、






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