4-4 アウェイクニング・ブラッド




 その鼓動は赤。感じる脈動は、視覚的にも現れた。


 戦闘の余波で海面から立ち昇った飛沫、霧。それらが真赤に明滅をし始める。自発光ではない。他所からの光を受けての反射光だった。

 赤い脈動光、その発生源はエンプティ。

 銀灰の体躯に奔る幾何学的な蜂の巣模様ハニカムタトゥー。深く刻まれたその文様が赤く赤く、どくどくと、輝きを放っていて。


 ――――血が、通い始めた。直感的に、そう思った。

 

 ああ、そうか。まさしくあれは心臓だったのか。非常用融合炉の代わりに据えられた、赤い結晶球。その生々しい輝きと熱を思い出し、僕は悟る。


 今までの彼女はシんでいたのだ。彼女にとって最も大切なモノを欠いていた。

 だからこれは変化じゃなくて再生だ、覚醒なんだ。彼女はウまれた時からだった。確信にも似た感情が芽生える。

 腑に落ちた。落ちてしまった。辿り着くべき場所に辿り着いてしまったんだと、勘付いてしまう。だから、眩む。視界が端から白んでいく。くらり、頭が揺れる。


 スミスの叫び声が聞こえた。言葉の内容までは拾えない。

 通信越しにエリゼの悲鳴も聞こえた。言葉の内容までは拾えない。

 エンプティが何かを淡々と告げた。言葉の内容までは拾えない。


 どくどくと真赤に輝く蜂の巣模様ハニカムタトゥー――あるいは幾何学血管ジオメトリーベッセルとでも言うべきか――の腕が、スミスの右拳を受け止める。


 機体に響く衝撃。スミスのカラダは本人謹製の強度と馬力を持ち、その全力を以て放たれる鉄の拳の威力は計り知れない。

 エンプティとて戦闘用とはいえ、何度も何度もそんなものをまともに喰らっていてはただでは済まない。その上、相手はエンプティの構造を熟知している。これ以上急所を穿たれれば本当に、エンプティは破壊されるかもしれない。


 先ほどまでは、そう思っていた。

 けれど今は、スミスに対して何一つ危機感を覚えない。どころか、スミスの身を案じて叫ぼうとすらしている。

 事実、口が動いた。喉が激しく振えた。朦朧とした意識の中、自分で自分が何を絶叫したのかは分からないけれど。


 次の瞬間、異変が起きた。――――


 悲鳴を上げて、血を撒いて。指が弾ける。手の甲が割れる。スミスの低い絶叫。海に落ちていく掌の残骸。

 なぜ、とは思わなかった。理由は分からないけど必然だと直感した。

 あの禍々しく光る赤い血が、よもやイキモノに益するものだとは到底感じられなかったから。


 ――――これは、この血は、毒だ。イキモノをコロす毒なんだ。


 エンプティが、何かを言った気がした。それに応じて、僕が喉を振り絞って声を張り上げた。何かを訴えるように金切り声を上げた。

 最早自分が何をしているのか、何を言っているのか、それすらも判然としていなくて。


 けれど、音は聞こえた。光景は見えた。

 だからその瞬間をしっかりと、僕は自分の脳に刻み付けてしまったんだ。


 エンプティの右手が上がる。水平に伸ばした腕の先で、掌が大きく開いた。

 どくん、どくん。赤い輝き。右腕の光が強くなる。明滅が早くなる。集束される毒血。幾何学血管ジオメトリーベッセルが狂気に瞬く。

 掌の先には、破壊された右手を抑えるスミスの姿。ぼたりぼたりと海面に油と血が滴っている。そのアイカメラには、赤く輝く銀灰の単眼人形の酷薄な姿が映し出されているのだろう。


 時が止まった、ような気がした。――――違う、明滅が止まった。赤が一瞬だけ鳴りを潜めた。それは嵐の前の静けさ。つかの間の静寂。そして。


 ――――赤が迸る。爆発的に、冒涜的に。


 掌から発せられた鮮血色の閃光は、瞬時に無数に枝分かれをして空間を割き、スミスの全身へと絡みつくように奔った。


 それは植物の根のように。

 あるいはカラダを這う毛細血管のように。

 毒々しい真紅の光線がスミスを襲い、そして。

 




 無機がシぬ。錆びた金属の苦悶と絶叫が木霊する。

 有機がシぬ。構造体の破断に伴い赤色液が飛散する。


 繋がっていたものが離れていく。結ばれていたものがほどけていく。


 最初に落ちたのは右腕だった。

 巨木もかくやの鋼鉄腕が、根本からぼろりともげ落ちる。

 鋼鉄の悲鳴。肉片の飛散。


 次に左脚。

 巨体を支えてなお余りある強靭な脚部が、関節部から脆くもへし折れる。

 電子の断末魔。腿骨の粉砕。


 壊れていく、崩れていく。

 そのカラダの残骸が海面へと落ちるたび、叫びにも似た音と飛沫が空気を震わせる。

 分離・剥離・別離。

 イキモノをイキモノたらしめていた何かが無慈悲にも切り離されていく。

 無機の叫びが、有機の瓦解が周囲に満ちる。

 それは即ち、見まごうことなきシであった。


 立ち昇る水蒸気と黒煙が、鼓動する赤光に淡く染められている。

 息吹く赤は単なる呼吸に過ぎないというのに、その燐光は神々しくも禍々しく。

 突き出されたの掌から広がるのは、血色の残光。

 シを生んだ赤は幾条にも枝分かれ、霧の幕に血管を投影していた。


 彼女の単眼モノアイを介して映し出されるその光景に、呼吸が氷る。

 何を起こしたのかは分からなかった。でも何が起きたのかは分かってしまった。

 体が震える。心が凍える。感じていたのは恐怖、ただそれだけ。

 何に対してのものなのかなど言うまでもない。


 今この時、僕は理解してしまった。彼女が何のために在るのかを。

 それはつまり、僕が何のために在るのかという答えでもあり。

 視界が白む。体の震えが止まらない。


 そうであって欲しくはないと、願う心は芽生えた傍から摘み取られていく。

 目の前の事実はそれほどに鮮烈であり明瞭であり。

 現実から逃れる手段の何もかもを、いとも簡単に打ち壊してしまった。


 そして。


 彼女の体内コックピットで肩を抱いて震える僕へと届いたのは、致命の囁き。 


『……済まない』


 短い謝罪。一切の無駄を省いたそれは、あまりにも鋭い言葉で。

 スピーカー越しの鈴の音のような声は、あまりにも冷たく響いて。

 霞む、眩む、歪む。全ての価値が崩れていく。

 誰に語ってもらわずとも、その真実は僕の目の前にしっかりと存在していて。


 つまりは、そういうことなのだろう。


 端的に。僕は、彼女は、シを生むために生まれてきたのだと。


 誰に言われずとも、悟らざるを得なかった。




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