4-1 アウェイクニング・ブラッド



 妙に、頭が痛い。脳がキリキリと鈍痛に苛まれる。

 苦痛の波は時に強くなり、時に弱くなり。だが決して止むことは無く。


 この不快感は何だ。この違和感は何だ。

 あれを見ていると妙にココロがざわざわする。頭の中の何かが無性に掻き立てられる。何かに追い立てられている感覚。駆られている感覚。

  

 だが今は、そんなことを気にしている場合じゃあなかった。

 やるべきことがある。手を止めている暇はない。

 これに期待を寄せている奴がいる。知りたがってる奴もいる。それに俺自身も、これが何なのかを理解したいという衝動がある。


 だから、手を止めている暇なんてないんだ。

 ――――赤い残光が目の奥で明滅している気がした。



 ◇



「生きていてくれて、よかった」


 その言葉が、僕にとっての最初の記憶。

 子供の頃のことは正直あまり覚えていない。だけど、この科白だけは決して忘れられないものだった。

 理由は分からない。会話の脈絡だって覚えていないし、何をきっかけとしてその言葉を貰ったのかすらあいまいだけど。

 僕は誰かに望まれている。そう分かったことは、幼い僕にとってみれば衝撃で。


 それまでは、単純に分からなかった。僕がなぜイきているのかということが。


 ウまれの異常。機械類と同化できないイキモノ。カラダのほとんどが有機体でできた、ひどく弱くて脆い存在。

 誰かに守られていなければ普通に暮らすことすらままならない、そのくせ何か益をもたらすこともできない、とてもみじめなモノ。


 そんな無能が起床し、食事をし、睡眠する。何ひとつプラスな要素のないローテーション。ただただ消費を繰り返す、起伏のない毎日。

 そんなものに対して価値など認められるはずもなく。同時に、自分の日常とはそういう風に、本質的無価値なものなのだと、かつての僕は本気で思っていた。


 だから衝撃を受けた。ただイきているだけで価値を見出してくれる存在に。

 消費するばかりで何もウみ出さない、ただ呼吸するように周囲の資源を食い潰しているだけの僕に、価値があると暗に認めてくれたこと。それは素直にうれしくて。


 同時に、なぜ? とも思った。

 なぜ価値があると感じてくれるのだろう。なぜそんな風に思ってもらえるのだろう。自分の無為さを自覚していたからこそなおさらに、疑問の気持ちは大きくて。

 だからなのかもしれない。僕がドクターにすり寄っていくのは。


 ――――どうして、生きててよかったと思ってくれたの?


 気恥ずかしくて直には聞けないその答えを、いつか言ってくれるんじゃないかと期待して。だから僕は、ずっとドクターを慕い続けているのかもしれない。


 答え合わせの日は、いつになるのだろうか。

 その時、ドクターは僕に何と言うのだろうか。

 その時、僕はドクターに何と言うのだろうか。

 

 今はまだ、分からない。

 


 ◇



 エレベーターの中。

 上昇する感覚を肌で感じながら、僕は少しだけうんざりとした表情で隣の彼女の話を聞いていた。


「師匠はですね、ホントにすごいんですよ!」


 もう何度目かになるその賛美を「ああ、そう」と聞き流そうとすると彼女は円らな緑眼をじとっと細めて「むう、ホントにわかってますかシェラさん?」と迫ってくる。

 正直に言って、とてもめんどくさかった。


「わかってるわかってる。スミスはすごいねー」


「そうなんですよ! 師匠はもうアレです、『浮き島』一番の技師だと言っても過言ではありませんね。整備の腕は抜群ですし、機械の知識も深いですし、何と言っても考え方の芯が通っているところがもう、素晴らしいです! 師匠に師事できて、わたしはとても幸せです、はい!」


「ああそう、それはよかった」


「ええ、それはもう!」


 ショートボブの金髪を振り乱しながら熱弁するエリゼ――の遠隔操作ユニットであるアンドロイド。ツナギ姿の彼女はどうやら、とある作業の続いたこの数日の間にスミスへの尊敬と憧憬を膨らませたようで。


 いつの間にか師匠なんて呼んでいるエリゼは、ここのところ日々が充実しているようで常に上機嫌のハイテンションだ。一方のスミスはと言えば若干うんざりしたような雰囲気でいることが多い。まあ、色々とついていけてないのだろう。


 と、エリゼの師匠自慢を聞いている間に、気が付けば目的の階に辿り着き。


「シェラ、エリゼ、お待ちしておりました」


「ました」


 いつか見た光景の焼き増し。銀色の髪のアンドロイドふたりが恭しく頭を下げる。同じ意匠で配色だけが異なるドレスシャツとフレアスカート。マグとメルの姿を見て、僕より先に声を出したのはエリゼだった。


「あ、マグさんメルさん! おはようございます!」


「おはようございます、エリゼ。元気そうで何よりです」


「無駄に元気」


 マグメルのふたりより頭半分ほど背の高いエリゼが深く頭を下げている光景は、ちょっとアンバランスに見えた。中身はどうあれ、エリゼの見た目はマグメルよりもお姉さん然としているから。


「いつも言ってるけど、出迎えはいらないって」


「ドクターからの命令です。私たちには逆らう権限がありません」


「ません」


「それとメル。これもいつも言っているけど、横着は良くない」


 とまあ恒例のやり取りをしたところで、四人そろって統括室ブレインへの廊下を歩いてく。今回は珍しく、僕とエリゼふたりが同時に呼び出されている上、映像通信を介してスミスも統括室ブレインに会することになっている。


 珍しいとはいっても、要件は分かりきってはいるんだけど。

 ……まあ、例の『心臓』の話だ。


 アレを見つけて持ち帰ってから、早一週間。スミスとエリゼはエンプティの整備作業以外の時間をほぼ『心臓』に費やしていた。そしてどうやら、その作業には観測班のクランクも協力していたらしい。

 スミス曰く「調査と製造」。いまいち言葉の意味は分からなかったけど、深く聞いても「後々話す。今は忙しい」と突っ撥ねられてそれっきりだった。


 瓦礫の山の中、埋もれながらも脈打っていた赤い赤い球体結晶。

 一体あれは何なのか。恐らくはそれについての説明の機会が今なのだろう。


 ただのレアモノ、というわけではなさそうだ。そうであれば僕がわざわざ呼ばれる理由がない。

 つまりあの『心臓』は、大方の予想通りに関係するものだったということ。

 統括室ブレインを利用しての説明の機会。随分大仰に思う。けれどこれは裏を返せば、それだけ重要な事実が明かされる時なのかもしれなくて。

 

 現状が変わる。何かが変わる。そんな気がして、期待が膨らむ。

 が皆に受け入れられる時が来たのかもしれない、なんて希望的観測に過ぎるかもしれないけど。それでも望まざるを得ない。


 一方で、やっぱり感じる。粘つく原形質の心理。体にまとわりついて離れない黒の雰囲気。得体の知れない何かは、もう僕の隣どころかにまで入り込んでいるような気がして。

 現状が変わる。何かが変わる。そんな気がして、不安が膨らむ。


 プラスとマイナスの感情が入り乱れていた。

 その理由は多分、これから起こることが不確定だからなんだろう。

 何が起こるか分からない。だから期待と不安がある。


 ――――僕は努めてそう、思い込むようにしていた。



 ◇



『結論から言う。あの赤い球の正体はまだ分かってねえ』


 広い広い統括室ブレインに響いた通信越しのスミスの声。その言葉に対して即座に疑問を返したのはドクターだった。


「スミス、私は『例の赤色球体について、調査終了の目途が立った段階で報告しろ』と言ったはずだが?」


『勘違いしてもらっちゃ困りますよドクター。俺がそんな半端な仕事すると思いますか? 目途はきっちり付けてます』とスミスの自信満々の言葉に。


「モノが何だか分かってないのに『目途』なわけ?」と問えば。


『あと一歩ですぐ分かる段階に来てんだよ。そのためにこの会合を設けて貰った。お前を呼んだのも同じ理由だ。……エリゼ、詳しく説明しろ』


「は、はい師匠!」と急に話を振られたエリゼは、やや戸惑いながらも腕に付けた端末を操作し始める。

 師匠はやめろ、という通信越しのスミスの言葉が届いているのかいないのか、エリゼはあわあわしながらも自前の端末からホログラフ・ウィンドウを出力させた。


 表示されたのは、何かの図面らしきものだった。

 球状のものの断面図のように見える。その中身は複雑に図形や線が入り組んでいて、一目では何がどうなっているのか分からない。


「こ、これが例の赤色球体、通称『心臓』の内部構造を示した図です。見て分かる通り、かなり複雑な構造をしています」


「おかしい。そんな見た目じゃなかった」といきなり口をはさんだのメルだ。


「確かに。拾得した時に見た限りだと、その『心臓』というパーツはある程度の透明度がある結晶体のような外見でした。複雑な内部構造を有しているようには見えませんでしたが……」


 マグの補足的な疑問に、心の中で確かに、と同意する。あの『心臓』は赤い結晶球のようにしか見えなかった。


「が、外見上は、そうなんですけど」


『透明度と色が近似してる二種類の結晶を使っているのね』


 割り込んだのは、別のホログラフ・ウィンドウの中でタコ足をうねらせる観測班班長、クランクだった。


『球体のほとんどは、絶縁体に近い結晶が使われているのね。その中を導電率の高い別種の結晶が何本も通ってる、って感じなのね。

 少し意味合いが違ってくるけど、光ファイバーに近い構造をしてるのね』


 クランクの補足説明に「あ、ありがとうございます、クランクさん」とエリゼが頭を下げる。


『どういたしまして、なのね。というかここで喋らないと僕、来た意味が無いのね』


 手を振って――というよりタコ足を振って――礼に返すクランク。

 彼の説明から、新たに引っかかる点が出てきた。


「なんでわざわざそんなことしてるんだろ」


 今までの説明からして、あの『心臓』は百パーセント被造物なのだろう。

 であれば。意図的に作られたものであるなら、そういう構造であることに何か意味があるはずだ。

 その疑問の答えを返してくれたのは、スミスだった。


『あの『心臓』はなんだよ』


「回路部品?」


『熱源反応から察して、ある程度単品でも動きはするもんなんだろう。ただ、製造において意図された動作をさせるためには、外部からの電源供給が必要になる』


「ってことは、あの『心臓』は、なんかの回路に組み込まなきゃ何の機能も発揮しないってこと?」


『そういうことだ。だから言ったんだよ、あの赤い球の正体は分かってねえって』


 それは逆を言えば、その外部からの電源供給があればあの『心臓』は動く、ということではないのだろうか。そう聞こうとすると。


『ああただ、馬鹿正直に端子繋いで電流流せばいいってもんじゃねえ。

 あの球の中を通ってる結晶導体にはそれぞれ、一定の値にコントロールされた電流を流さなきゃならねえはずだ。専用の外部回路がねえと正常な動作はしねえだろう』


 つまり、その外部回路とやらをゼロから作らないと『心臓』は動かない、ということなのだろう。……とすると、今すぐには『心臓』の詳細は分からないんじゃあ?

 と、疑問を抱いた丁度そのタイミングで、今度はエリゼが口を開いた。


「その外部回路について、なんですが。

 『心臓』の回路構造や、入力端子に当たる部分の配置を調査したところ、あることが分かりました」


 皆がエリゼを注視する。そんな中、少しばかり声を震わせて緊張を見せながらも、エリゼはしっかりした口調で説明を続ける。そして。


「エンプティの非常用小型融合炉。この制御に使われている外部回路の端子配置と『心臓』の入力端子位置が完全に一致したんです。

 つまり、今エンプティに取り付いている非常用融合炉は後付けのもので――――」


 少しばかり間を置いて。




ものと思われます」


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