2-4 アザーズ・メモリー




 目を覚ます。寝覚めは良くもなく、悪くもなく。


 さっさと体を起こして洗面所に向かう。コンクリート打ちっぱなしの質素な部屋には、あまり余計なものは置いていない。


 クローゼットと冷蔵庫とテーブルとイスと、まあそれくらいなものだ。

 ベッドは部屋の備え付け。カプセル型で、操作をすれば蓋が閉まったりいい感じの音楽流してくれたりお香らしき匂いを出してくれたりするらしいけど、正直一回もその機能を使ってない。ずっと蓋は開けっ放しだった。


 顔を洗い、さっぱりしたところで冷蔵庫に向かい、食料をあさる。

 といっても、食べるのは大抵固形の保存食ばかりだ。今日もやっぱり馴染みの銀色の袋をつかみ取る。

 同じく常備してある飲料水のボトルも取り出し、手早く朝食を済ませる。


 腕の端末を見る。時間は午前六時ちょっと過ぎ。窓のないこの部屋では外の光で時間を判断することなんて出来ないから、基本は時計機能頼み。


 たとえ『浮き島』の天井パネルが映し出す偽物とはいえ朝日を拝んで起きたくはあるけど、窓のある部屋はダメだ。空気が汚くて寝られたものじゃない。

 フィルター完備常時換気のこんな部屋でもなきゃ、まともに寝起きなんて出来ないから。


 大きく頑丈な船体に守られている『浮き島』の中でも、循環してる大気はあまり綺麗じゃない。そんな当然のことに、でもやっぱり憂いを感じてしまうこの気持ちは何なんだろうか。


 寝巻代わりのTシャツを脱ぐ。

 汗に湿った体を、換気扇からの風が冷たく撫でた。



 ◇



 前日に出撃があると、緊急事態でもない限りはその翌日、翌々日あたりまで非番になる。これは別に体を労わるための措置とかそういうことではなくて、単純にいろいろと事後作業が立て込むからだ。


 エンプティの除染と整備、サルベージした部品類の除染と検品、戦闘ログや任務区域の環境データの整理・解析、等々。


 特にエンプティの整備に関しては、今のところまともに作業できるのがスミスだけだからどうしても時間がかかる。彼曰く、毎回ベストコンディションで出撃したいなら、一日や二日の整備は最低限必要なのだそう。

 

 腕と目の確かなスミスをしてそう言わしめるのだから、それは間違いないんだろう。という『浮き島』の意見の満場一致により、僕の非番日数は決定されたわけだ。

 

「非番の決定に『僕のカラダを労わる』という要素が含まれていないところには、若干の疑問を感じるけど」


「それは仕方がない。なにせ君は有能だからな」


「なんか持ち上げ方が雑だねドクター。機嫌悪い? 雨降る?」


「悪くは無いし降りもしない。いきなりこちらを訪ねてきてそんな話をするものだから、何かの当てつけかと思って受け流しただけだ」


「せめて受け止めてほしいなあ」


「気が向けばな」


 あと五百年くらいは気が向きそうにないドクターの返事。ころころと可愛らしい声をしているのに言葉の中身は途轍もなく冷たい。そんなドクターはいつも通り、だだっぴろい円形広間の真ん中で三メートル大の真球の体を輝かせていた。まあ、平常運転だ。

 で、なんで非番の日にわざわざ統括室ブレインを訪ねたのかといえば。


「用事は、昨日の件か。例のカエル型のイキモノについて」


「流石はドクター、話が早くて助かるけどその察しの良さがたまに怖いよ。僕の脳に電極とか埋め込んでないよね?」


「君はあれか、口を開くたび何か一つ余計な言葉を付け足さないと気が済まない性質なのか。……私も戦闘ログや映像の確認はした。その上で、君が抱いているであろう疑問をある程度察しているだけだ」


「なるほど、以心伝心ってわけだ。それじゃあ早速なんだけど」と、ほんの少し間をおいて。



「――――ロークァット湖、たぶんなんかよね」



 それは、昨日の出来事の諸々について僕なりに考えた末の結論だった。


「そうとしか思えないんだよ。あのカエルの様子を見るとさ」


「先制攻撃も重火器による武装も外敵への対抗のため、ということか」


「うん。空飛んでる時に見た限りじゃあ街の廃墟にそれらしい影は無かった。あのデカガエルが銃まで取り込まないとだめだって判断した敵なら、それなりに大きいイキモノだろうけど」


「廃墟の様子からして、あのカエルの天敵となり得るような大きなイキモノは存在していない、と」


「そう。でもそれはあくまでには、って但し書きが付く」


 仮に二十メートル級のイキモノがいたとしても、街には隠れる場所なんてない。朽ちかけの建物にそんなデカブツが入るわけない。カラダを強引にねじ込めば最後、あっという間に倒壊だ。

 だから少なくとも街には居ない。つまり、考えられるのは。


「水中、か」


「可能性は高いと思う。確かにロークァットの水は馬鹿みたいに汚いけど、そんな水中環境に適応したイキモノが全くいないとは言い切れない。

 湖の中に潜んで、湖岸周辺にいるイキモノを襲う大きな何かがいるんじゃないかな」


 カエルが銃を持ち出さなきゃいけないほどの脅威が、おそらくロークァット湖の底に潜んでいる。


 レーダーに大きな反応が無かった理由もそれで説明が付く。ただでさえ水中には電磁波が通りにくい上、ロークァットの水は有害物質やプランクトン型のイキモノがうようよしてるわけだから、なおのこと湖の中は窺い知れない。


 脳内仮称『ロークァットの魔物』説。火器の出所については説明できていないけど、この予想はあながち間違っていないと踏んでいる。

 と、そこまで話し終えたところで、ドクターが「で?」と僕に何かを促す。


「君は私に何を聞きたいんだ」


「答え合わせ。っていうか、ドクターの見解も聞かせてほしいなあ、なんて」


 こういう類のことを一人で想像しだすと、考えれば考えるだけ自分寄りの方へ凝り固まった結論しか出なくなる。考えが偏っていく前に、別の視点が欲しかった。

 それで行くとベストはドクターの視点だろう。そう考えたわけだ。

 少しだけ思考を巡らせるような沈黙の後、ドクターが言葉を綴っていく。


「概ねは君と同じだ。ロークァット湖に何かが潜んでいる可能性は高いと見ている。

 ただ、私の想定する敵は君の考えているものより幾分か小さい」


「へえ、どれくらい?」


「全高十五メートル前後の二脚ニンゲン型イキモノ」


「……僕から聞いといてなんだけど、けっこう具体的だね」


 かなり対象は絞られる。要はエンプティくらいの大きさ・見た目のイキモノということだろうか。続くドクターの言葉に耳を傾ける。


「古くには、二脚ニンゲン型の大型機械が戦争の道具として使われていたらしいことが分かっている。また人類衰退の末期には、慢性的な物資不足の影響から古い重火器を掘り起こして大型機械に扱わせていたという記録もある。

 例えば古い昔、複数の銃器と大型機械を積んだ輸送機が何らかの理由でロークァットに不時着して湖中に沈んでいたのだとすれば。それが永い時を経てイキモノたちに同化されていたのだとすれば」


「うーん、話は整ってるけど。ずいぶんあからさまな逆算じゃない?」


「だがそう考えでもしなければ、エンプティが積極的に攻撃され続けたことに関して説明が付かない」


「それは……」


 その点は確かにネックだった。『魔物』説の場合、カエルがエンプティを襲った理由がやや弱い。外敵への敵意と警戒心がエンプティへの恐怖を上回った、ということであれば話を通せはするけれど、多少強引な感は否めない。

 その点で言えば、ドクターの見解は実に合理的だと言える。


「あのカエル達の敵性イキモノに、エンプティが酷似していた。そう考えるのが妥当だと考える」


 つまり、カエルたちはエンプティをということ。


「だから『全高十五メートル前後の二脚ニンゲン型』ってわけか」


「そうだ。あくまで可能性の話にはなるが」


 要は、こういうことだろう。

 二脚ニンゲン型の軍用機体――複数である可能性が高い――がロークァットの湖中でイキモノ化した後、湖岸に出て現地のイキモノたちを急襲。ロークァット側のイキモノはそれに対抗する形を取り、争いに発展。互いに犠牲が出ると共に、二脚ニンゲン型の側が落とした銃器をロークァット側のイキモノが拾得して取り込んだ、と。


「この推論でいけば、現時点における不可解な事柄の全てについて、比較的もっともらしい答えが提示できる」


「なるほどね」


 実に腑に落ちた。今判明している事実と不可解な点を線で繋いで絵にすれば、確かに自ずとそのような構図が浮き上がる。

 ドクターの見解、脳内仮称『ロークァット亡霊小隊』説。中々に考察欲をそそられる話だった。勝手に口の端が吊り上がるくらいには。


「こういう時の君は実に生き生きとしているな、シェラ」


「当然だよ、考え事は僕の特技兼趣味だからね。非番にわざわざ統括室ブレインに来る程度にはやる気も出るさ」


「毎度の任務もその調子でこなしてもらえればありがたいんだが」


「それは厳しいかなあ。ほら、肉体労働はお仕事になるから」


「趣味じゃない、とでも?」


「ご名答、流石はドクター。というわけでさようなら、参考になったよ」


 さらりと言って踵を返す。これ以上居座るとお小言をもらいそうな気がした。案の定、背後からかかる「相変わらず君は……」という言葉には物言いたげな響きがあって。


 君子危うきになんとやら。と、部屋から退出しようとしたその時。

 統括室ブレインに響く甲高い電子ベル。音声通話の受信音か、と思った次の瞬間には通信が開始され、そして。


『統括室、応答願う!! ハンガーよりこちらサージェント、危急の事態につき連絡! 繰り返す、統括室、応答願う!!』


 広い広い統括室ブレインに、とんでもなく馬鹿でかい声が木霊した。

 即座に声の主の容貌が思い浮かぶ。今日も今日とてあの馬鹿は声が馬鹿でかい。思わず溜息。厄介な事に、あの馬鹿が通信を寄越すときは大抵馬鹿みたいな出来事が起きている。さて、今日はあの馬鹿、どんな馬鹿をやらかしたのか。


 なんて思っていると、ドクターが件の馬鹿に向けてやや辟易と声を返す。


「こちら統括室、ドクター・ロウ。サージェント、そこまで声を張らなくていい。十分聞こえている」


『おお、ドクター! 迅速な応答に感謝します! それはそれとして緊急事態です! ハンガー内部に侵入者を確認しました!!』


「っ、だから声を張るなと――――何?」


 思わず僕も振り返る。聞き捨てならない、本当だとすれば一大事だ。

 詳しく聞き入ろうと耳をそばだてる。……それがまずかった。通信先の馬鹿はドクターの反応を何やら勘違いしたらしく。


『繰り返しますっ!! ハンガー内部に!!! 侵入者を!!!! 確認しました!!!!!』


 きぃぃ―――――――――――――ん、とハウリング。鼓膜に訪れたとんでもない衝撃に、視界が白へと染まりかける。


「っ――――!? …………サージェント、今私が語尾を上げたのは君の言葉が聞こえなかったからではない。いいから声のボリュームを落とせ。これは命令だ」


『りょ、了解しました』


「続けて現状を伝えてほしい。声のボリュームを落としたままで。いいか、声のボリュームは、落としたままでだぞ」


 ドクターがやたらに念を押す。常日頃から淡々としているドクターをたった数度の会話でここまで憔悴させるとは、流石は馬鹿。馬鹿としか言いようがない。

 ただ、馬鹿の馬鹿さ加減はさておき、侵入者の情報は非常に重要だ。再びの爆音に警戒しつつ、通話に耳を傾ける。


『はっ。本日ヒトヒトヒトマル、艦橋ブリッジ地下ハンガー内A2区画近辺において侵入者と思しきイキモノと遭遇。警告の後に身柄を拘束し、先ほどの連絡を入れた次第であります』


「……おかしいな。艦橋ブリッジの警備システムからそれらしい報告はひとつも上がっていない。サージェント、その侵入者の特徴は?」


 問われて、馬鹿曰く。



『八脚クモ型であります。全長十メートル、全高五メートル程度。カラダの一部分が錆びております。何ともみすぼらしい見た目ですな』



 …………これは、もう、なんだろう。何と言ったらいいんだろう。少なくとも僕にはわからない。というか考えたくもなかった。

 そしてどうやらドクターもコメントに困ったらしく、「あ、いや、そのイキモノは」と呆けた相槌を打つ。どうやら咄嗟には意味のある言葉を絞り出せなかったようで。


 音声通信を介してもう一つ、かすかに聞こえるのは『ち、違うんです、誤解なんです……!』という頼りなさげな、どこかで聞いたような声。……明らかにエリゼだった。


「サージェント……あの馬鹿」


 第一報を聞いた瞬間からどうせこんなことだろうと思ってはいたけども。

 あの馬鹿の早とちりは本当にどうしようもないな。そう呆れている間にもサージェントは勘違いをしたままにどんどんと話を進めていく。と、その時。


『ドクター、この侵入者の処遇はどうすれ――――ばっ!?』


 ごいん、という鈍い音と共にサージェントの声が途切れる。何が起きたのだろう、と耳を澄ませていると、もう一つ別の声が通信越しに冷たく響いた。


『てめえ、何してんだコラ』


 その一言を拾った後に、通信はぶつりと切れてしまった。統括室ブレインに一瞬、沈黙が降りる。

 あれはそう、スミスの声だった。しかもものすごく不機嫌そうな。なんだかとても嫌な予感がして、伺うようにドクターへと声を掛けてみる。


「……あの、行ってこようか?」


「頼む。なるべく穏便に事を運んでくれ」と懇願するようなドクターの声。


「善処はするけど、期待はしないでね」


 不安を抱えたままに統括室ブレインを後にする。

 十中八九手遅れにはなるだろうけど、せめてハンガーがぐちゃぐちゃになってなかったらいいな、と最低限の期待だけは胸に秘めておいた。



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