1-4 フローティング・アイランド




『すごい』


 圧倒されているかのような、クモさんの声。

 そこには驚愕や興味の色は見えても、他のイキモノが抱くような恐怖の類は感じられなくて。


 すごいのは君のほうだ、と思わず言いたくなる。

 唯一エンプティを整備できるスミスでさえ、内から来る怖さを無理やり抑えて近付いている、と本人から聞いたことがあった。

 銀灰の人形、その単眼と視線を合わせ続けるということ。それがどれだけ有り得ないことなのか、クモさんは理解していない。


『すごいです! これ、イキモノじゃないですよね?』


「うん、出来合いレディメイドの機械だよ。しかも、自分だけでは動けないし、ほとんどのイキモノには動かせない。他のイキモノと対話もできない。だから空っぽエンプティって呼ばれてる」


 かつての彼女は、本当の意味で空っぽエンプティだった。

 誰とも話せず誰にも応えず、ただひとり薄暗いハンガーの片隅に置かれていた。でも、今は違う。


「クモさん、エンプティの方にちょっと近寄ってもらえるかな」


『え!? いいんですか?』


「いいも何も、こっちから頼んでるんだけど。ここまで来たらいちいち降りてタラップ引っ張ってくるのも面倒だしさ、乗せてもらおうと思って」


 言うとクモさんは、恐る恐るといった風に一歩一歩、しかし全く物怖じせず、エンプティの間近にまで迫る。すると、クモさんから感嘆の言葉が漏れて。


『うわぁ……二脚ニンゲン型でここまで大きな搭乗機械は初めて見ました。造形のバランスがすごい、不安定な外観なのにきちんと自立できてるんだ。チタン系の強化合金製ってことは、相当重量もあるはずなのに。というか装甲素材の強度からしてこれ戦闘用っぽいけど、この六角模様のスリットはなんなんだろ。これじゃあ強度を殺してるだけのような気も……ってうわっ、これひょっとして飛行可能機? GIPジェネレータがこんなにたくさん……構成部品が落ちてるのすら見たことないのに。頭部のレドームユニットもそうだけど、かなり高度な技術がたくさん詰まってます。それにこの――――』


「あ、あの」思わず言葉を差し込む。


『はい、何でしょう?』


「……機械、好きなの?」


『はい! とっても!』


「ああ、そう」どうやらクモさん、機械フリークだったみたいだ。なら整備班は天職かもしれない。そのも含めて。「興味持ってくれるのはうれしいけど、分解バラしたりしないでね」


『い、いやいやいや、分解なんて、そんなこと! ……してみたくないと言えば嘘になりますけど』


「正直でよろしい。まあクモさんならこの先、パーツくらいは触らせてもらえると思うよ」


『ほ、ホントですか!?』


「うん、多分ね」というより、必ずそうなるだろう。エンプティの至近に近寄れる、という事実が持つ意味は大きい。「というわけでクモさん、脚伸ばしてくれる? 出来れば首元辺りまで」


『は、はい』と第一右脚をうぃん、と挙げるクモさん。まっすぐ伸ばした足先はエンプティの胸元辺りまで届いていた。即席のタラップとしては十分といったところ。


 胴の上から脚を伝って、さっさと渡る。エンプティの首元に降り立ったあと、腕の端末を介してに指令を送れば、コックピットへの入り口が音もなく開いた。


「それじゃあクモさん、連れてきてくれてありがとう。いろいろと発見があったし、面白かったよ」と、片手を挙げて礼を言う。


『い、いえいえ。こちらこそ貴重なものを見せていただいて、ありがとうございます』と返し、器用に頭を下げるクモさんの姿に微笑みつつ。

 手に持っていたヘルメットをすっぽりと被って準備完了。


 コックピットへと乗り込む。

 内部は灰色の球状空間となっており、中央には専用のシートが据え付けられていた。シートへ深々と座り込むと、上部から降りて来たケーブルがヘルメットへと自動接続される。シートのアームレスト・フットレストへと四肢を預ければ、それぞれへ覆いかぶさるように生体接続ユニットが取り付いた。


 少しの痛みが首筋と四肢に奔る。神経接続の合図。そして、が口を開く。


『パイロットの接続を確認しました。起動シークエンスを開始します』


 瞬間、灰色の全球壁――全天型モニター――にハンガーの景色が映し出された。視界前方にはまだクモさんの姿がある。


『主制御ユニット、正常。各制御系、正常。主融合炉、安定。非常用融合炉、正常。

 カメラ系およびセンサ系、正常。探知・索敵ユニット、正常。通信系、正常。

 機体各部アクチュエータ及び人工筋肉、正常駆動確認。各部GIPジェネレータ、正常稼働確認。

 起動シークエンスが完了しました。通常稼働が可能となります。

 ――――おはようございます、マスター』


「おはよう、エンプティ。カラダに問題はない?」


『異常無し《オールグリーン》です』


「それは何より。それじゃあ、行こうか」


『了解しました。これより発進に伴う退避勧告を行います。ハンガー・コントロールへ場内スピーカーの利用許可を申請。……許可受諾。退避勧告、開始します』


 直後、ハンガー内のスピーカー全てから、エンプティの声が放たれる。


『エンプティ、A1区画より艦首側ゲートへ移動。エンプティ、A1区画より艦首側ゲートへ移動。A1、B1、C1、D1、退避願う。A1、B1、C1、D1、退避願う』


 騒然。ハンガーで作業をしていたイキモノたちが慌ただしく動き出す音。

 おそらく、退避指示の出ていない区画のイキモノまでもがばたばたと移動ルートから離れていっている。


 湧き上がるのは、何とも言えない気分。なにが悪い、というわけではないんだと思う。エンプティをイキモノたちが恐れている理由は、実のところわかっていない。だからこそ、逃げる彼らを責めることは出来ない。

 怖がらないで欲しい、逃げないで欲しい。そう感じるのは僕のわがままだとわかってはいるけど、でも。


 淀んだ気分に胸が満たされようとしていたその時。『た、退避!? うわ、うわわ』とクモさんが慌てて逃げていく姿が見えて。


「はは、焦りすぎ」


 思わず頬が緩んだ。ああ、ひょっとしたらあのクモさんが何かを変えてくれるかもしれない、なんて希望的観測を抱きつつ。

 僕の思念で、エンプティが一歩を踏み出す。いつものように、けれどいつもとはほんの少しだけ、違った気分を抱きながら。



 ◇



 ゲートを出て、カタパルトデッキへ。

 長く長く見える正方形の洞窟の先には、外の世界が待ち構えている。


『カタパルト接続確認。発艦準備、完了しました。カタパルトコントロール、ユーハブ』


「アイハブ。そんじゃあ早速、っと――――シェラ、エンプティ。出撃します」


 僕の声に応えるように、カタパルトが唸りを上げて駆動する。瞬間の間があって、弾かれたような加速。足元から火花を上げながら、カタパルトレーンを高速でスライドしていく。前へ、前へ。先へ、先へ。

 そしてリリース。真四角の出口へと飛ぶ。カタパルトからの運動エネルギーをすべて受け取り、僕とエンプティは外の世界へと放り出された。



 ――――広がっているのは、暗雲。否、汚染された雲の海。



 重力を受けて落下を始める。下へ、下へ。

 雲海を突き抜ければそこには、終わった世界が広がっている。


 灰色に霞んだ大気。汚染された空気の色はどこまでも濁り果てていて。

 眼下に広がるのは湖と、街。正確には、湖と街、


『GIPジェネレータ作動。重力低減、斥力場形成。落下の衝撃を相殺します』


 大地へと降り立つ。銀灰色の両足が、朽ちたアスファルトを砕く。


 眼前には、粘性の高い水に満たされた湖。

 その色は暗色のマーブル。水面の上に漂うのは、水と同じグラデーションをした有毒の霧。


 振り返れば、廃墟。

 街は朽ち果てている。が、ただ老朽しているだけではない。木々の形をしたイキモノが建物の所々を這うように生え、コンクリートを貫いて成長し、絡みつくように枝葉を伸ばし、それぞれ構造体を為している。


 そして、瓦礫の山。残骸の数々。

 かつて高度な文明があったことを示すその名残。動かなくなった車両機械。ニンゲン型自律機械アンドロイドの亡骸。大型重機の一部分。跡形もなく壊れた高機能家電製品。


 ありとあらゆる機械類が、ありとあらゆる場所に散乱している。何故かはわからない。けどこれが、外の世界のだ。


 瓦礫で飽和した世界。地表に残骸が満ちている惑星。

 地球は、終わりを迎えている。


 かつてこの星の霊長だったニンゲンという生き物が死に絶えて、何年になるのか。

 それ以外の生き物も死に絶えて、何年になるのか。

 もう誰も覚えていないし、考えもしない。


 だからわからない。

 生き物の代わりの僕らが――が――いつ、ウまれたのか。


 全天モニター、その端で何かが動く気配。

 瓦礫の山を押し崩すように、出てきたのはイヌ型四脚のイキモノ。全高は二メートル程度。

 前脚の先にはローラーらしき部品が取り付いている。後ろの右足はニンゲン型の左腕。尻尾は何かのアンテナだった。

 すべてはツギハギ、有り合わせ。


 イキモノは有機であり無機だ。

 核としての有機体は、とある因子を介して無機物と相互に結合し、その内部に神経や体組織を導通させる。無機物はまた、その神経からの指令に応じる形で形状を変えたり、機能を発揮したりする。


 つまりは融合、だ。

 意志ある有機が無機の機構を丸ごと取り込み、有能なる無機は有機の柔軟性を獲得する。それを繰り返し、イキモノはイキモノとして成長していく。有機でもなく、無機でもなく、


 そんな彼らが、なぜ「イキモノ」と呼ばれるのか。実に単純である。



 ――――この地球上において、だ。



 イヌ型のイキモノがこちらに気付き、逃げていく。

 足元の瓦礫を蹴飛ばしながら、一目散に駆けていく。

 イきのびるために、シなないために。


 世界は瓦礫に満ちている。地表は残骸に飽和している。

 そこにイきるのはイキモノたちだけ。

 だからみんな言う。というより、いちいち言わなくてもわかってる。



 ――――この世界がもう、終わってるってことを。



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