1-2 フローティング・アイランド




「こんにちはドクター。今日は随分いい日和だね、何かいいことでもあったの?」


「こんにちはシェラ。君は何度言っても理解しないな、私の機嫌は天候制御ユニットに何の影響も及ぼさないと言ってるだろう」


「そうかな? ドクターが不機嫌な時は大体天気も悪かったりするけど」


「逆だ、天気が悪いから不機嫌になる。……なんで君は大抵の現象の原因を私と結びつけたがるんだ」


んじゃなくて大体の場合そうだからだよ。経験則ってやつ」


「それは経験ではなく偏見というんだ。覚えておくといい」


 軽く高い声で呆れたような言葉を発したのは、この『浮き島』の長であるイキモノ。円形の大広間、その中央に鎮座する三メートル大の金属球。

 名前はドクター・ロウ。皆からは単にドクターとだけ呼ばれてる。

 なぜって、彼女以外にそう呼ぶべき存在が他にいないから。ドクターといえば、自動的に彼女を指すことになる。


 艦長、中核、統括管理者ブレイン

 他にもいろいろ呼び名はあるけど、それらはつまり『浮き島』で一番えらい存在だってことを意味してる。……えらいというより、すごいというか。まあとにかく、一番上にいる存在。『浮き島』で起こる大抵のことは彼女の思惑が絡んでいる、と僕は勝手に思っている。


「君は私を全知全能の存在か何かと勘違いしていないか?」


「流石にそこまでは。『浮き島』の独裁者くらいにしか思ってないよ」


「それは大いなる勘違いであり事実誤認だ。すぐに認識を改めてくれ」


「えー。でも近いでしょ?」


「近くない。程遠い。私は管理者だ。支配者になったつもりはない」


「似たようなものだと思うけど」


「違う。全く違う。イキモノと機械ほどに全く違う」


 それは半分同じものっていう意味じゃないの? と言おうとしてやめる。

 ややドクターの機嫌が傾いてきたからだ。これはにわか雨でも来るかな、なんて思いつつ話題転換。


「まあまあ、それはそれとして。今回の呼び出しの要件は何?」


「シェラ、君は話の逸らし方が実に下手だな。……まあいい、本題に入るとしようか」


 ドクターはそう言うと、部屋の中空にホログラフウィンドウを表示させる。映し出されているのは風景の画像だった。


 見えるのは、形容しがたい色彩の水面。どどめ色と紺と赤茶色と深緑をマーブルしたかのような、とにかく気味の悪いグラデーション。

 毒々しい色のさざ波には、粘性の高い液体特有の白く細かい泡が浮いている。画像全体が霞んで見えるのは、水面から発せられている有毒な気体か何かのせいだろうか。

 これはいったいどこなのか。知識としては知っていた。


「ロークァット湖。今『浮き島』は、この湖の上空にいる」


した有毒プランクトンのおかげでかなり汚染が進んでる、危険域レベルレッドの淡水湖だよね。すごく危ないところだ」


「ああ、知っていたか」


「もちろん。汚染が進みすぎてて、その環境に適応したイキモノ以外はイきてすらいられない場所だよね。すごくすごく危ないところだ」


「そうだ」


「まして有機部分が多かったり汚染に対する抵抗力の低いイキモノは近づいただけで命の危機、ってくらいの地域だよね。すごくすごく、すごく危ないところだ」


「そのとおり」


 ふたりして沈黙。出方を待つように。なんとなくこちらの思いを視線に込めながらドクターをじっと見つめる。銀色の球面には僕の姿が歪んで映っていた。

 空気が変わる。何かが伝わったかも、と思ったその時に。 


「行ってくれるな?」


「容赦ないね?」うん、やっぱり伝わってなかった。


「心配はいらない。エンプティのコックピットの気密性はほぼ完璧だ」


「あの、『ほぼ』にイノチかけられるほどの勇気は持ち合わせてないんですけど」


「問題は無い。パイロットスーツの気密性もほぼ完璧だ」


「何で同じ言い回し? 『ほぼ』にはイノチかけられないって今僕言ったよね?」


「何を言う、ほぼにほぼを掛け合わせているんだぞ。つまりはほぼほぼ大丈夫ということだ」


「その響きは逆に不安度が増してると思うんだけど」


「冗談だ」


「何がどう冗談だったのか言ってくれないと僕本気で帰るよー」


 なんて軽口を交えつつ拒否の構えを取ってみるけど、手ごたえはあまり感じられなかった。結局何をどうしたとしても、ドクターの頼みを断るなんてことは出来ない。なにせ相手は『浮き島』の支配者だから、物理的に逃走は不可能だ。

 あと、実は精神的にもちょっと無理。僕にとってのドクターは、恩師であり雇い主であり家族であり……言葉にするのは難しいけど、要は大切な存在なわけで。


 二重の意味で、突っ撥ねることは出来なかった。

 つまりさっきのやり取りはじゃれ合いに近いものだったということで。……自分でやっといて恥ずかしい限りだけど。


「安全面は心配するな。エンプティはそこまでやわじゃない。それに、万一コックピットへの汚染が少しでも確認されたらこちらから強制回収を掛ける」


「それは安心。まあ、言っても危険域レベルレッドでのサルベージは初めてってわけじゃないし、大丈夫だよ」


「慢心はするなよ」


「でも余裕がなきゃ駄目だよね」


「いい塩梅を保てということだ」


「ファジーな注文だなあ。まあでも、善処はするよ」


「なら信用しておくとしよう。任務の詳細については……今君の端末に送った。確認しておいてほしい」


 その言葉の途中、腕に着信のヴァイブレーションを感じた。「了解」と返事をして踵を返す。「早速ハンガーに向かうよ。例によって、準備は出来てるんだよね?」そう尋ねると。


「『もうすぐ終わる』とは連絡を受けている」


「あれ? てことは終わってないんだ」思わず立ち止まり、顔だけ振り返った。「珍しいこともあるもんだね。サージェントあたりが何かゴネてたりするのかな」


「いや、彼は今外縁部の監視任務に出ているからハンガーにはいない。

 ……恐らくだが、整備班の新入りの受け入れで何かトラブルでも起きたんだろう」


「……新入り? どちらさま? というかいつ入ったの?」


「元はアンライプナロウ海岸に居た大型イキモノだ。整備班への受け入れは今日が初日だと聞いている」


「ああ、そういえばいつだったかにそんなこと聞いたような。……たしか、補給で海岸に立ち寄った時に乗艦希望のイキモノがいたんだっけ? へえ、整備班に入ったんだ」


「そうだ。もしハンガーに居たら、挨拶くらいはしておくように。イノチを預ける相手になるかもしれないからな」


「イノチを預ける、か」含みを持たせてつぶやいて。「ちなみにそのイキモノ、エンプティには?」


「……そのあたりの報告はまだ上がっていない」


「ああ、そう」と。期待していないことがありありと分かってしまう口調になったことを少しだけ後悔しつつ、出口へと歩を進める。「とりあえず、先に行ってるよ」


 そのあとに。「気を付けて」というドクターの言葉に片手を挙げて応えて、僕は統括室ブレインを後にした。


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