1-1 フローティング・アイランド
偽りの空は久々に、抜けるような快晴だった。
見上げれば眩い
これで空気も綺麗なら、尚のこと気分もいいのだろう。けど。
あくびを一つ。薄い淀みが肺に満たされる感覚。
市街部は比較的清浄な区画だけど、それでも僕のひ弱な体には十分響く。
まったく、これで
まあ、今平然と僕の右を歩いて抜けていった二脚ニンゲン型のイキモノにとってみれば、ここは十分に安全なのだろうけど。
「はあ」
思わずため息。勝手の悪い自分のカラダがイヤになる。
なんでもうちょっとまともにウまれて来なかったかな、僕は。
視線を上げる。薄く薄く黄色みがかった汚染大気のフィルター越しには摩天楼がそびえていた。目的地はすぐそこだ。余計な事は考えずにさっさと向かうとしよう。そう思った矢先。
ぶわっ、と風が吹く。古い油のにおいが鼻を突いた。お世辞にも爽やかな風ではない。どどどど、などという地響きが伴っていてはなおさらだ。
二十メートル程度の道幅の大通りを慌ただしく駆けていったのは、全高五メートル全長十メートルの、八脚クモ型のイキモノだった。
胴から頭からそれぞれの脚、全てのパーツがツギハギ。まったく別の形、まったく別の時代のものが強引に組み上がっているようなその姿。まあ、イキモノとしてはよく見るタイプだった。
アクチュエーターの音がやけにやかましかったのを鑑みるに、随分と旧型の部品を使っていた様子。
第二右脚と第三左脚なんか明らかに錆が浮いてたし。早く交換した方がいいとは思うけど、でも。
「大型は仕方ないよなぁ」
外からの拾い物は小型から中型――大体はニンゲンスケール――のものばかりだ。
外にいるヤセイのイキモノたちが基本大型なせいで、そのカラダに合う大きいスケールのパーツは根こそぎ同化されて持っていかれてしまう。
だから、まとまった数の大型パーツを見繕うためにはイキモノがあまりいないところを探査するか、あるいはヤセイの大型イキモノをこっちから狩らないといけない。
前者はそもそもそんな場所を探すのが手間だし、後者は後者で重労働に過ぎる。
モノ自体の旨みはまあまああるけど、そんな面倒なことを進んでやりたがる
「待てよ、まさか」
ドクターからの急な呼び出し。そして、今の『浮き島』の進路は南。
この間燃料用の海水を補給したアンライプナロウの海岸から南下した先にはたしか、
嫌な予感……を覚えたその瞬間に、腕に着けていた小型端末がヴァイブレーションにてメッセージの着信を知らせる。思考操作でホログラフウィンドウを表示させれば、あまりに端的な一言が浮かび上がった。
『逃げるなよ』
逃げません。というか貴方逃がしてくれませんよね、多分。
などという一種の諦観を抱きながら、気持ち遅めに摩天楼の間を歩く。淀んだ大気も相まって、あまり気分は明るくなかった。
◇
見かけはやや古い摩天楼。
けれどその内の一握りは、ただのビルなんかじゃない。
特にそう、二つのビルが並んで融合しているかのような外観の、大きな建物。
一般には『
一歩足を踏み入れれば、白を基調とした清潔な内装が目に入る。
間違ってもくたびれてる部分なんかどこにもない。端から端に至るすべてのものが、管理と整備によって十全な機能と十分な美観を保ち続けている。
まあ、当たり前だ。なにせここは『浮き島』にとっての脳であり心臓なのだから、その機能に万一のことなんてあってはならないわけだし。
呼吸。空気が澄んでいた。この場所は『浮き島』の中で最も汚染度が低い。
普通の建物だとこうはいかないけど、
ああ、息がしやすい。来るたびに思う、出来ればここで住みたいと。
一度ドクターに直訴してみたことがあったけど、その時は『「浮き島」の中枢を宿代わりにするな』なんてにべもなく断られてしまった。まあ、正論だ。
頭を下げる受付のイキモノに対して軽く会釈を返し、エレベーターに乗る。行先のボタンと閉扉ボタンを続けて押す。音もなく扉が閉まり、音もなくエレベーターが動き出す。
目的の階まで、然程時間はかからなかった。
◇
「お待ちしていました」
「した」
エレベーターを降りて早々の出迎え。ふたりの
全高はふたりとも一・五メートル弱。目や鼻などのパーツ配置は均整がとれており、美観が重視されていることがよくわかる。特に目は、いわゆる『愛らしさ』を重視してか比較的大きめにデザインされている。銀色の頭髪の滑らかさも美しい。
機械には思えないほどの有機的なフォルムのボディは、強化繊維製のドレスシャツとフリルスカートに包まれている。各部のパーツが似通ったふたりを識別するもっとも簡単な方法は、この服装の上下の配色を見ることだ。
「出迎えはいらないって、いつも言ってるけど?」
「ドクターからの命令です。私たちには逆らう権限がありません」
「ません」
「それとメル。これもいつも言っているけど、横着は良くない」
メルは、シャツが黒でスカートが白のほう。開発者の意図は不明だけれどなまけがちなAIを搭載しているらしく、特に会話という行動に対してかなりおっくうだ。大抵は相方の語尾を拾うだけ。
その相方であるマグは、シャツが白でスカートが黒。常に丁寧にこちらに接してくれるけれど、その分お堅いというかなんというか、融通の利かない一面もあったりする。
そんなマグメルコンビは、ドクターの小間使いとして日々いろいろなところを駆けまわっている働きモノだ。つまりは僕と似たような立ち位置。というわけで。
「僕ならいいけど、他のお客さんとかにはダメだよ。失礼になるから」などと、似合わない兄貴面でいつも彼女たちには接してしまう。
「うぁい」と生返事をしたメルが、直後にぺしんと頭を叩かれる。「マグ、痛い」
「痛くしたのだから当然です。メル、返事ははっきりとするように」
「うぁい」ぺしん。「うぇい」ぺしん。「うぅい」ぺしん。「……はい」
「宜しい」と満足げに頷いたマグが今度はこちらへ目線を遣って。「ご案内します。ついてきてください、シェラ」
「今更案内なんていらないけどなあ」
「ドクターからの命令です。私たちには逆らう権限がありません」
「ません」
「だからメル、横着は良くないって」
「うぁい」ぺしん。「マグ、痛い」
「何度も言わせないでください、メル。返事ははっきりと」
なんてやり取りをしながらいつもの無機質な廊下をいつものように歩く。
緩く右カーブを描く、継ぎ目のない白の通路。
初めて見たときにはどこか気味が悪く感じたものだが、今となってはその無機質さにも慣れたものだ。
三つの足音がこつこつと、会話の声とともに長く続く通路に響いている。外の音は聞こえない。汚れた空気も入って来ない。厳重に隔離された領域。
この『浮き島』全てを束ねる脳ともいうべき存在が、このフロアには存在している。
……通路の終点。継ぎ目のない袋小路。その右側の壁。
「お待たせしました。中へどうぞ」
「どうぞ」
マグとメルに促されるまま、その壁の正面に前に立つ。
すると、目の前の壁が静かに上へとスライドしていく。五秒ほどで開ききったその扉の先にあったのは、とてつもなく広い円形の部屋と、そして。
「来たか、待っていたぞ」
鈴の鳴るような声で冷たい言葉を発する、直径三メートルの球体だった。
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