第25話
次の瞬間、私はヴィルへと踊りかかっていた。犯罪者に命令されたことが癪だった、という言い訳もできるかもしれない。だがそれよりも、『一般人は巻き込まない』はずのヴィルが、瀕死の敵にまで容赦のない攻撃を加えたことに、私はどうしようもない怒りを覚えていた。
威勢よく飛び出したはいいものの、私の突進はすぐさま止められてしまった。ヴィルが片腕で私の額を押さえたがために。
「このっ、離せ! 殺人狂め! 今度こそあんたに不利な証言をしてやる!」
しかし、そんな私を前に、ヴィルは大きなため息を一つ。
「貸しを作ったつもりはないが、俺はさっきあんたを助けたんだぞ? あんたがケインのように、人質になって惨殺される前に」
「それとこれとは話が違う!」
「違わない」
「何故そう言い切れるんだっ! この、このっ!」
足をバタつかせる私に冷たい一瞥をくれてから、ヴィルは
「俺はあんたを助けて香森を殺した。どっちも人命に関わることだ。そんな二つの事象のどこが違うっていうんだ?」
「あんたは人殺しを楽しんでるんだ! だから見境なく人を殺して――」
「ない」
「そうだ、だから――って、え?」
ヴィルはふっと腕を引っ込め、戦意を喪失した私に語りかけた。
「俺が一般人を巻き込まない主義だということは、あんただって十分承知のはずだ。そして、あんたも香森も一般人ではない。いつ俺にとっての攻撃対象になるか、分かったもんじゃないんだぞ」
『俺自身にも分からんがな』と付け加えるヴィル。
「俺の気が変わってあんたを殺そうとする代わりに、あんたが先に変われ。身の程を知れってことだ」
奥歯をギリギリ言わせたが、武器も何もない、あるいはあったとしてもヴィルほどには扱えない私は、すぐさま殺害されてしまうだろう。久々に人質としての肩身の狭さを思い知らされるようだった。
すると後ろから、
「旋回中だったGFのヘリが戻ってくるぞ。すぐに地下施設に潜らないと」
というジャックの控え目な提案。
それに対しヴィルは、軽く頷いてみせてから
「よっと……」
先ほど自分が爆風の回避に使ったマンホールを引き開けた。ジャックがすぐそばにやって来て、
「俺が先に下りよう。電気がついたら、二人共下りてきてくれ」
マンホールは、滑り台状になっていた。ジャックの姿はあっという間に地下空間に飲み込まれ、するすると下っていく音が響いてくる。
三十秒ほど経っただろうか、弱い光源が下から這い上がってきた。ヘリに察知されないよう、最低限の電力しか使っていないのだろう。
ヴィルは手本を見せるつもりなのか、私のことを気にかけないつもりなのか、さっさとマンホールに滑り込んだ。
私は少しばかり躊躇ったが、ヘリがサーチライトを点灯したのを見て、慌てて足を踏み入れた。僅かなステップに足を下ろし、マンホールの蓋を閉める。そこから先、点々と明かりの灯る中を、私もまた滑っていった。
※
「生憎、ここに長居はできないぞ」
「だろうな」
ジャックとヴィルが言葉を交わし合っている。そんな中、
「きゃっ、あ痛っ!」
私はスロープの先から飛び出し、思いっきり尻餅をついた。
「大丈夫か、神矢?」
「ええ、まあ……」
ジャックが気遣ってくれたが、ヴィルは思案顔で俯いたまま、こちらを見ようともしない。
そうは言っても、私もこの会話に関わる必要はあった。またGFに人質扱いをされる恐れがあるのだから、ヴィルやジャックに同伴していた方がまだ安全だと思ったのだ。
「ジャック、ここの備蓄は?」
無精髭の生えた顎に手を遣りながら、ヴィルが尋ねる。
「三人だと、ざっと三日分くらいだな。ここでの持久戦は不利だ。明日にでも別なマンホールから脱出した方がいい」
ふむ、と頷くヴィル。
と、まさにその時だった。
カラン、と上方で音がした。スロープの方からだ。
「何……?」
私がそちらに足を向けようとすると、思いっきり肩を引っ張られた。私を引っ掴んだのはヴィルの腕だ。
「目と耳を塞げ!」
私は腹這いになりながら、ヴィルの指示に従った。直後、スロープを転がり落ちてきた音源――筒状の催涙ガス弾が、赤い煙を上げ始めた。
「ヴィル! ジャック!」
突然の事態に、私は理性よりも不安の念に基づいて行動してしまった。
「げほっ! げほっ、かはっ……」
思いっきりむせ返る。私は再び腹這いになって、目を閉じたまま手先だけで二人を探した。ヴィルは私の真後ろにいたから無事だろう。ジャックはどうしただろうか?
そんなに遠くへ行ったはずはない。そもそも、こんな狭いトンネル内にいるのだから。
するとその時、ザッ、と何者かがスロープを下りてくる音がした。正確には、このトンネルの床をコンバットブーツで踏みしめる音だ。
その直後、ピシュン、という短い発砲音がした。慌てて腕を引っ込める。ジャックは武装していなかったし、ヴィルは後方にいるはずだ。ということは、今の銃声は――。
私が恐る恐る顔を上げようとした時、カチリ、と撃鉄の上がる音がした。同時に、熱を帯びた金属製の銃口が私の額に当てられる。
「ひっ!」
「おっと、神矢巡査部長か」
その時になって、ようやく煙が晴れてきた。そこに立っていたのは、二メートル近い大男――旗山だった。片目用の赤外線ゴーグルをつけている。
「神矢、伏せろ!!」
後方からの怒号。ヴィルだ。聞き慣れた愛銃の発砲音が木霊する。が、やはり煙の影響で、旗山を捉えるには至らない。
「そこか」
旗山は相変わらず掠れた声で呟きながら、一見無造作に、しかし精確に発砲した。
大きな舌打ちが聞こえてくる。ヴィルが負傷したのだろうか。
その時、はっとした。ジャックは? ジャックはどうしたんだ?
「ジャック!」
私はつい、叫び声を上げてしまった。しかし旗山はヴィルの方へと神経を尖らせている。私に気づいていないはずはないだろうが、かといって私の行動を止めようとは思っていないらしい。
「ジャック!」
再び呼びかける。が、応答はない。私は煙を払い除けながら匍匐前進した。すると数メートルもしないうちに、私の手が何かに触れた。間違いない、ジャックの足だ。
「ジャック、あなたも反撃に……!」
と言いかけて、私ははっとした。ジャックの背に載せた掌が、ぬるりと嫌な滑り方をしたのだ。
考えてみれば当然だった。先ほど、旗山の銃声を聞いたのだから。つまり、ジャックが撃たれたらしいことは察せられたのだから。
「ジャック、ジャック!」
私は彼の名前を連呼したが、その身体はぴくりとも動かない。これほどの出血であることと、即死したであろうことから、私はジャックが、心臓を撃ち抜かれて死亡したのだと判断できた。
しかし、そんなことが分かったところで、今の状態では何のメリットもない。
「ああ……」
私は煙の晴れた隙をついてジャックの首筋に手を当てた。脈は、ない。
既に分かりきったことに対して、絶望を繰り返す私。だが、そんなことには構いもせずに、私の後方では銃撃戦が繰り広げられていた。
ピシュン、と空を切る旗山の九ミリ弾と、ズドン、と空気を震わせるヴィルの四十四口径弾。私は振り返ったが、ヴィルの方が劣勢なのは明らかだった。
このトンネルの存在は、ヴィルも知らない様子だった。つまり、どこに出口があるのかも分からず、どんどん一方的に追い詰められていく、ということだ。
私はジャックの背から吹き出す鮮血を両の掌で必死に押さえていたが、
「がッ!!」
鈍い打撃音と短い叫び声に、思わず振り返った。
そこには、旗山の広い背中があった。そして旗山と壁に挟まれた位置から、するり、とヴィルの身体が傾いできた。
――ヴィルが、負けた?
それを裏づけるように、旗山はこちらに背を向けたまま、少し大きめの無線機を腰元から取り出した。
「こちら旗山、目標の潜伏先と思われる地下道を制圧した。目標の身柄を確保、共犯と思われる男は射殺。神矢巡査部長の身柄を保護。現場離脱につき応援を求む。座標は――」
私が呆然としている間に、数名のGF隊員たちがスロープから下りてきた。ヴィルが倒された方からも空気が流入してくる。別なところに設置されていた秘密のトンネルもまた、制圧されてしまったらしい。
私、ヴィル、ジャックの三人は担架に乗せられ、トンネルの奥へと進んでいく。その先には階段があり、地上へと搬出され、すぐさま隔離施設へと運ばれていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます