第20話

 と思った直後、


「!」


 ごく僅かな間、私の聴覚が奪われた。キィン、と音を当て、この山林全体が震えたかのようだ。

 私は思わず手で耳に栓をしようとしたが、それには及ばなかった。何故なら、私が手を挙げようとした直前に、パラボラアンテナの中央に穴が空いていたからだ。山に響いた異質な高音は、アンテナが発したものらしい。

 その時になって、ようやく私は気づかされた。本当の囮はジャックではなく、彼が仕掛けた特殊通信装置だったのだ。

 逆探知したGFは、荒川に射撃指示を出す。その時の発砲音やマズルフラッシュから、ヴィルは狙いをつける。そういう作戦だった。しかし、たった一発の発砲で敵の位置を測ることができることができるものだろうか――?


「見えたか、ヴィル?」

「一旦炙り出す」


 この期に至って、ようやくヴィルはライフルに弾丸を込めた。何らかの特殊弾頭だろうか。


「神矢、伏せていろ」


 ヴィルの指示に従い、私はうつ伏せになって後頭部に両手を載せる。すると彼は、通常のスコープではなく赤外線スコープを覗き込んだ。

 なるほど、発砲直後の狙撃用ライフルは高温を帯びる。そこを仕留めようというわけか。

 ヴィルは軽く唇を湿らせ、腹這いの体勢でライフルのストックを肩に当てる。直後、パアン、という平板な音が響いた。山間に、ぐわんぐわんと発砲音が反響する。

 しかし、ヴィルが撃ち漏らしたことは、警戒を解こうとしない彼の姿から伝わってきた。


「荒川の狙撃用ライフルは破壊した。だが奴自身は軽傷だ」

「どうするんだ、ヴィル? 今の発砲で、GFの奴らはこちらに向かってくるぞ」

「今荒川を仕留めてやる。そうでもしなけりゃ、せっかくライフルをかっぱらった意味がない」


 するとジャックは焦りを滲ませながら、


「おい、荒川だってプロなんだぞ? 今無理に仕留めようとしては、連中の思う壺だ」

「……」

「ヴィル?」


 ヴィルは小さく舌打ちをして、ライフルから手を引いた。


「ジャック、脱出経路は?」

「確保してある。ついて来い」

「神矢、あんたはどうする?」

「えっ?」


 私は思わず、首を傾げた。

 するとヴィルはさも呆れた、という風にかぶりを振り、


「何度同じことを言わせるんだ? あんたはこの国の警官じゃないか」


 しかし、今度は私も退かなかった。

 確かに、自分の立場を忘れてしまっていたことは認める。だが、私とて危うく殺されるところだったのだ。


「私は警官である以前に人間です! 犯罪に巻き込まれて殉職するならまだしも、味方に殺されるなんて――」

「熱弁振るっているところ悪いが、神矢巡査部長」


 割り込んできたのはジャックだった。


「今は逃げることを考えよう。GFの前で油断は禁物だ。だな? ヴィル」

「そうだ」


 するとヴィルは私を一瞥し、ジャックの後へと歩みだした。

 一抹の理不尽さを覚えつつ、私もそれに従う。


 またしばらく、山中を駆けることになった。


「おいジャック、もう少し早く走れないのか?」

「無理を言うな。俺はお前と違って、特殊部隊上がりじゃないんだぜ? なあ、神矢?」


 全く予期せぬ、そして嬉しくない同意の求めに、私は無言。


「はあ……。ほら見ろ。少しは常人に合わせてくれ」


 息を切らしながら、ジャックが愚痴る。

 ちょうど、一際大きな段差になった木の根を跨ごうとした時だ。ふと反対側を見遣ったヴィルが、慌てて飛びのいた。

 直後、シュッ、と音がして木片が散った。


「お前ら、散れ!」


 私とジャックを跳ね飛ばすように、ヴィルがこちらにタックルを仕掛ける。


「うおっ!?」

「きゃっ!!」


 ヴィルの軌道を追うかのように、草木が飛び散る。まさか――。


「狙撃されてるぞ!」


 ヴィルが実に端的な状況解説を行った。


「敵はどっちだ?」


慌てたジャックの問いかけに、ヴィルは


「上方から斜めに着弾している。それに、一発で仕留めるんじゃなく、俺たちを包囲してから潰す気だ」

「どうして私たちの位置が分かったんです?」


 自分の得物がないことに心細さを覚えつつ、私も疑問を呈する。


「そうか! 迂闊だったな……」


 最初に気づいたのはジャックだ。


「GFの連中、燃料切れしたドローンを改修して燃料を入れ替えたんだ。ついでにプログラムの修正も。今度は俺たちがドローンに追い回されることになっちまった!」


 敵の武器を奪ったつもりが、それをまた取り返されてしまった、ということか。


「で、でも、ヴィルなら撃ち落とせるでしょう? 実際にさっき――」


 私はジャックからヴィルに視線を移したが、


「生憎だがな、お嬢さん」


 ヴィルはホルスターから愛銃を抜きつつ、


「GFの分隊とドローンが連携して襲ってきたら、俺にも逃げ切る自信はないぞ。それに、GFの部隊運用は極めて流動的だ。次の手を打たれた時点で、俺たちは地獄の底まで急転直下。そう考えた方がいい」


 今日ここでヴィルがスーパーコンピュータ群から奪還しようとしていたデータ。もしかしたらそれは、GFの行う作戦や、ケース分けされた戦闘陣形をまとめたものだったのかもしれない。GFの中枢メンバーである旗山、香森、荒川、尾崎の行動パターンを盗み出し、データ保存していた、とか。


「頭を使うのは後回しだ、神矢。ジャック、神矢を連れて先に行け。この地形に攻め込むなら、GFの連中の接敵にはまだ時間がある。後で座標を知らせてくれ」

「了解」


 今度はジャックに手を引かれ、私は半ば匍匐前進のような形で歩みを進めた。

 振り返ると、ヴィルは巨木の幹に背中を預け、狙撃から身を守っていた。回り込んできた武装ドローンを、器用に撃ち落とす。

 ヴィルから数十メートルは離れただろうか、ジャックが立ち上がった。私も引っ張り上げられるような形で立ち上がり、ジャックの手を握る。


「車の用意はしておいた。もう少しだ、神矢!」

「りょ、了解!」


 荒川の狙いは、やはりヴィル一人にあるらしかった。武装ドローンも私たちを追いかけては来ない。私とジャックは被弾することなく、一気に木々の間を駆け下りた。すると、


「!」


 すぐ目の前に、検問所が見えてきた。ここは山道ではないので、検問所というよりは警戒中の武装警官が二人で立っていた、という方が正しいかもしれない。

 私は咄嗟に隠れるべく、ジャックの腕を引こうとしたが、


「慌てるな。想定の範囲内だ」


 その言葉の直後、あろうことかジャックは自ら警官に駆け寄っていった。私も引っ張られるようにして追随する。


「ちょっ、ジャック!?」

「そこの二人、止まれ!!」


 警官の大声が響く。彼らも自動小銃を所持していた。防弾ベストもきっちり着込んでいる。

 しかしジャックは、そんな彼らの姿を恐れることもなく駆けていく。


「た、助けて!」

「どうしたんだ、一体!?」

「デートしていたら、突然銃声が響いてきて、咄嗟に逃げてきたんです! なあ、忍?」

「え? あ、は、はい!」


 私はぶんぶんと首を上下に振った。

 すると、警官は眉間に皺を寄せながら、もう一人の方へ振り返った。これが機密作戦である以上、山中に一般人が残っていたとしてもおかしくはない。入山規制を行うにしては、時間がなさすぎた。


「では二人共、身分証明書を」

「はい!」


 わざとらしく、仰々しく証明書を取り出すジャック。それを見て、私は一瞬違和感を覚えた。やや分厚く、立体映像による表示も出ない。しかし、そんなことに頓着している場合ではなかった。私も警察手帳ではなく、一般の運転免許証を差し出す。私の顔が、ヴン、と戸を立てて表示される。


「今照会するから、少し待ってくれ」


 と言って警官二人が後ろを向いた、次の瞬間、


「神矢、伏せろ!」


 突然の指示に、しかし身体は反応してくれた。そしてその直後、バン、と短い爆発音がした。


「ッ!」


 恐る恐る顔を上げると、先ほどの警官二人が倒れ込んでいた。両腕は手首から先がなくなり、顔面も見るも無残な状態だった。上半身はいくつかの鉄片――恐らくジャックの身分証明書だ――に切り裂かれている。 


「な……ジャック、今のは……?」

「見れば分かるだろ、爆弾だ」


 ジャックは腰元からオートマチックの拳銃を取り出し、


「悪いな、酷いプレゼントになっちまって」


 そう言って二人の額に一発ずつ、弾丸を撃ち込んだ。一瞬跳ね上がるように痙攣し、警官が肉塊に変わる。


「もうじき車の元へ着く。急ぐぞ」


 眼鏡の蔓を持ち上げながら、ジャックは私に一瞥をくれた。

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