第19話
「ケイン!!」
私はうめき声を上げるケインに向かって駆け出そうとした。が、
「ッ!」
思いっきり後ろ向きに倒れ込んだ。続いて額と後頭部に鈍痛が走る。慌てて立ち上がると、そこには香森の左腕が真横に差し出されていた。私は頭から香森の腕にぶつかったらしい。
「香森」
旗山が小声で軽く咎めた。香森は軽く頷き、再び視線をケインに向ける。
「神矢巡査部長、一つ伺いたい。ヴィルは情に厚い男か?」
「答える義務はあるんでしょうか?」
すると三度、パン、と軽い音が響き渡った。
「がッ!!」
今度は脇腹だった。ケインがのたうち回っていたことを考えれば、腹部中央を貫通していてもおかしくはなかっただろう。
「承知のことと思うが、我々の手はとっくに血塗れだ。人質の一人を嬲り殺しにするくらい、何とも思わん。それに彼がくたばったら、次の人質を用意すればいい」
次の人質? その言葉は、一瞬で私の中で脳内変換された。
ケインが死んだら、次に殺されるのは私だ。
すうっ、と背筋が凍る思いがした。
今頼れるのは、ヴィルだけだ。GFがこんな卑劣なことを行っているのだとしたら、私はとても、今ここにはいられない。
「隊長、次の一射で終わらせます」
「うむ」
軽々と頷く旗山。ケインはといえば、明らかに衰弱の色が見えた。彼は芋虫のように、広場の反対側の草むらへと逃げようとしていた。彼がいたところには、血だまりが赤黒く残っている。掠り傷ばかりとはいえ、これほどの出血では命に関わるだろう。
「やれ、香森」
「待って!!」
私が背後から飛びかかっても、香森の狙いが逸れることはなかった。四度目のパン、という音と共に、うめき声が止まった。咄嗟に視線を遣ると、ケインは片手を伸ばした姿勢で動きを止めていた。数秒の後、その腕がゆっくりと下ろされる。
「ケイン!!」
飛び出そうとした私の後ろ襟を、誰かが引っ掴む。GFのうちの誰かなのだろうが、そんなことはどうでもいい。私はケインの傷口に手を当ててやりたかった。それで彼が助かるか否かは関係ない。これではあまりにも救われない。
同時に、次は私なのだろうという恐怖心が五臓六腑を支配する。麻痺にも近い感覚が私を襲う。鋭敏になった私の聴覚が、カチリ、と撃鉄の上がる音を捕捉する。
私は激痛を覚悟した――その時だった。
芝刈り機を軽くしたような、ヴーンという飛行音がした。右前方の山中から、先ほど投入された武装ドローンが飛び立っている。そして装備した軽機関銃をこちらに向けている。
声音はそのままに、しかし僅かに顔をしかめて、旗山は前線指揮所への通信を試みた。
「ドローン操縦班、状況知らせ」
《ドローンがハッキングされています! 早く撃墜して――》
という言葉を遮るように、聞き慣れた銃声が私の全身を震わせた。
四十四口径マグナム。ヴィルの相棒。
三発の銃弾が、私を押さえつけていたGFの隊員たちの眉間を貫通する。同時に、武装ドローンが私たちの上空を旋回し始めた。
「目標捕捉! 殲滅しろ!」
この時ばかりは、旗山の口調にも怒りと焦りの色が見えた。GFの面々は、それぞれ拳銃を腰本から取り出し、ヴィルに向かって発砲しようとする――ところを、武装ドローンに妨害される。
操縦しているのは恐らくジャックだ。見上げれば、二機目、三機目の武装ドローンがヴン、と音を立てて高速で向かってくる。こうなっては、私を含めたGFの部隊は四方を包囲されたも同然だ。
ヴィルはわざと音を立てたり、逆に無音で潜んだりして、確実にGFの隊員たちの頭部を破砕していく。やがて武装ドローンも射撃を開始した。射撃と言っても、飽くまで牽制だ。私の身を案じてのことなのだろう、地上には一発も当たらない。
しかし、そんな気遣いがなされていることを察知できたのは私だけだ。旗山はといえば、私に人質としての利用価値があるのか否か、判断しかねている様子だ。こんな状況下でそこまで考えていられるとは、流石歴戦の猛者と言うべきか。
かく言う私は香森に引き倒され、うつ伏せに横たわっていた。私たちは部隊編成上、中央に位置していたが、
「がはっ!」
すぐそばで武装ドローンを見上げていた隊員がヴィルに倒された。すると、その向こう側に
「ヴィル!!」
しかしヴィルは、自分の人差し指を唇に当てた。慌てて私も口に手を当てる。ヴィルは武装ドローンが場を混乱させているのをいいことに、私を逃がそうとしているのだ。
とは言っても、この状況では、人質にされたと見せかけてヴィルと合流するしかないだろう。でなければ、ケインのように何の抵抗もできずに殺されてしまう。
その時だった。
「隊長! 前線指揮所より報告! ドローンをハッキングした被疑者の現在位置は――」
アルファベットと数字の混ざった複雑な座標が伝達される。それを聞き届けると、旗山は地面に伏せたままで頷いた。
「了解。荒川、聞こえていたな? すぐに――」
と言いかけた直後、
「きゃあっ!!」
私はできるだけ大声で、しかし危機迫る演出を施して叫び声を上げた。私の腰には既にヴィルの腕が回され、完全に身動きが取れなくなっている。
「隊長!」
流石に戸惑いが生じたのだろう。人質の生命に無関心であるはずのGF隊員の挙動に隙が見えた。リロードを終えていたヴィルは、隙の大きい順から三名に向け発砲。いずれもヘッドショット。だがそこには、旗山も香森も含まれてはいない。
真っ先に銃を上げたのは、やはり旗山だった。しかし下ろすのも早かった。
「香森、伏せろ!」
恐らくどこかで私たちの位置情報を把握していたのだろう、ジャックの操る武装ドローンは、ついに地面に向けて容赦なく弾丸の雨を降らせた。
完全武装したGFの隊員たちにどれほどの傷を負わせられたかは怪しいが、負傷者多数で陣形は崩れただろう。その隙に、ヴィルは私の腕を引いて木立の奥深くへと入っていった。
「全く、あんたも無茶するな、神矢!」
「あなたにだけは言われたくありません!」
「ま、今回は借り一つってところか!」
その時、私はようやく気づいた。ヴィルが狙撃用ライフルを背負っていることに。
「何をする気なんです、ヴィル?」
「荒川を始末する」
彼の口調は相変わらず淡々としている。
「武装ドローンはじき燃料切れで落ちる。弾切れの方が早いかもしれん。そうすれば、荒川はまず位置情報の確定したジャックを狙うだろう。気の毒だが、ジャックには囮になってもらう」
「なっ!」
私は握っていたヴィルの手首に爪を立ててしまった。
「痛っ、止めろ神矢! これはジャックと決めていたことだ!」
『立派な作戦の内なんだ』――そう言って、ヴィルは一旦私の手を振り払い、逆の手で私の腕を掴んだ。起伏のある山中を、私たちは駆けていく。途中、木の葉で手や顔を軽く切ったが、文句を言える状況ではない。
どれほど山中を駆けずり回っただろう。それなりに身体を鍛えていたつもりの私でも、息が切れてきた。しかしヴィルは、息の乱れはおろか、汗さえかいていないのではないかと思われる身の軽さでぐいぐい私の腕を引いていく。
すると突然、チリンチリン、と鈴の音がした。目を凝らすと、細いワイヤーが張られている。鈴はそこについているらしい。
「安心しろ、俺だ」
ヴィルは木陰で腹ばいになっている人物に声をかけた。
「おう、無事だったか。神矢さんもな」
「ええ、ジャック。ヴィルに救われたことは否めません」
私はやや反抗的な言い方をしたが、二人共意に介さなかった。
「まだ荒川は発砲してないな?」
「ああ。それにGFの連中も来ない。流石に三度も同じ手を使うほど、俺たちは馬鹿じゃないってところを見せられたな」
『三度』のうち、二度は狙撃B班、C班を沈黙させたことだろう。GFは、ヴィルたちがA班に対しても同じ接近戦を試みるものとみて荒川の待機場所に向かったわけだ。つまり、ヴィルもジャックも見事に裏をかいたらしい。
すると素早く、ジャックのそばに滑り込んだヴィルは、背負った狙撃用ライフルを展開した。
「よし、やれ」
「了解」
するとジャックは、小型の通信機のダイヤルを捻った。そこからケーブルが伸びており、小型のパラボラアンテナが設置されている。
今時ケーブルなど使って、一体何を――。
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