第17話
きっとスーパーコンピュータ群も破壊されずに残っていたのだろう。そのデータを回収するために、ヴィルは戻ったのではないか。それ以外の重要機器は見当たらなかったし、逆にコンピュータ群のデータは――何が入っているかは分からないが――極めて重要なはずだ。
だが、待てよ。
GFを狙って返り討ちに遭う危険はないとしても、ヴィルの現在位置はこうして知らされている。恐らくコンピュータ群が使用できない状況にあるのだろう。
あれだけの設備があれば、通信妨害も通信傍受もやりやすいだろうし、事実そうやってヴィルとジャックは生き延びてきた。それが唐突に使用できなくなったとあれば、ボロを出してしまう可能性は高い。その『ボロ』こそ、現在位置を警察に把握されてしまう、ということに繋がるのではないか。
ヴィルは自分の居場所がバレたことに気づいているのだろうか? 気づいていたとして、本庁の刑事や実働部隊が投入されて生き延びられるだろうか?
その時だった。ヴィルのことに気を取られていた私の耳に、スライドドアの解放音が入ってきた。ノックも何もなく、ドアのカード認証をパスした二人が入ってくる。廊下には一人残ったようだ。
今まで装備品を身に着けていた手を止め、誰もが注目する。そこにいたのは、
「か、影沼正弘副部長!」
慌てて立ち上がった課長が、勢いよく頭を下げる。それに続き、同僚たちも頭を下げる。一拍遅れて、私も皆に倣った。
しかし、影沼? 公安部副部長にしてGFの統括責任者である彼がここに?
私はようやく、自分が影沼の容貌さえ知らないことを思いだした。
六十代半ばといったところだろうか。豊かな白髪に、小柄な体躯。姿勢はいいが、後ろ手に回された腕は骨と皮しかないように見える。
「まあまあ、そう固くならんでもよろしい」
その言葉に、私はおずおずと目を上げた。影沼は穏やかな笑みを浮かべている。
影沼と共に入ってきたのは、紛れもなく旗山だった。あの左目を縦に走る深い切り傷は、立体映像で見た通りだ。それに間近で見ると、二メートル近い大男であることが否応なしに実感される。
「神矢忍巡査部長はおいでかな?」
「は、はッ!」
私は再び勢いよく頭を下げ、『まあまあ』と個人的になだめられた。
「少しよろしいかな?」
「はッ」
軽くこちらに手招きする影沼。その瞳は黒目がちで、柔和な表情と合わせて『何を考えているのか分からない』体を成していた。
「さあ」
私は風に吹かれる木の葉のように、くるりと同僚たちの方へ向き直った。すると影沼は一息吸って、
「諸君も知っての通り、ヴィル・クラインは我々の最優先排除目標である。奴を抹殺しない限り、国民の安全な生活はまた一歩、遠のいてしまう。そこで諸君には、GFの後方支援を頼みたい。具体的には――」
影沼は実に淡々と語った。
我々は福生市の各地で検問を行うこと。疑わしい者、関係者と思われる者は誰でも拘束すること。主な作戦自体はGFが行うので、移動指揮車との通信の中継を行うこと、など。
そして最後に、
「神矢巡査部長は、目標と接触しつつも辛うじて生還した極めて稀な存在だ。よって、彼女の身柄を一旦お借りしたい」
私は驚きのあまり、もろに振り返ってしまった。そんな私を諭すように、影沼は
「なあに、危険なことはない。君の身柄はGFの皆が全力で守る。君には、GFに同行し、ヴィル・クラインがどんな行動に出るか、その都度アドバイスをいただきたい」
「は、はッ……」
アドバイス、だって? 私程度の人間のアドバイスが必要なのか? そんなものが通用する相手だとは到底思えないのだが。
しかし、確かにこうしてヴィルとの逃走劇を図った人間など、そう多くはあるまい。逆に言えば、ヴィルの詳細な情報は、今はまだ影沼たちも掴んでいないものともとれる。
「神矢巡査部長、これを」
酷く掠れた声がした。何千何万という枯れ木がざわざわ揺れたような。それが人の声であることと、その声の主が旗山であることに気づくのに、私にはしばし時間が必要だった。
影沼が一歩下がると、旗山の腕が私の前に差し出されていた。ファンタジー小説に出てくるゴーレムのように、太くて厳つい腕。その掌に載せられていたものを、私は無言で摘み上げた。
それはイヤホンだった。以前ヴィルに渡され、シャワーで破壊してしまったものと同型だ。
「同行していただく以上、連携が取れなければ」
旗山の言葉は、嫌に慇懃だった。もっとも、その態度には私にNOと言わせないだけの圧力が感じられたのだが。
「以上、我々がお邪魔した理由はこれだけだ。諸君も無事、職務を全うして帰ってくれ。では、旗山隊長。神矢巡査部長をお連れしろ」
「了解しました」
私を含めた三人は、テロ対策係の部屋を出た。そこで影沼は右へ、私と旗山は左へと曲がって別れた。
すると直後、
「隊長。彼女ですか、目標と行動を共にしていたのは」
そう声をかけてきたのは、ほっそりとした体躯の女性だった。
廊下で待機していたらしい。背はすらりと高く、その瞳には猛禽類のような鋭さが宿っている。胸の前で組んだ腕もまた細かったが、それは戦闘行為において無駄になる筋肉はついていない、ということだろう。
「そうだ、香森。荒川はどうしている?」
ああ、先日立体画像で見た女性の姿は彼女だったのか。香森というらしい。
一方、荒川というのは、確か狙撃手の名前だったはず。一度は――顔の見える距離ではなかったが――私は対峙したことがある。
香森は旗山の問いに、
「すでに福生に到着し、狙撃ポイントに適した場所の洗い出しにかかっています」
「了解。さて、神矢巡査部長」
「は、はッ!」
私は上官に対するように姿勢を正したが、
「我々GFは裏仕事専門の部隊だ。階級はない。私が隊長だということを除けばな」
「はッ」
「一般の刑事であるあなたは、私の上官でも部下でもない。ただし、今回は従っていただく。よろしいか?」
「分かりました」
すると旗山は素っ気なく振り返り、
「行くぞ、香森」
香森は何の返答もなく、スタスタと旗山についていく。私も遅れを取るまいと、軽い駆け足で後を追った。イヤホンを手に握らせながら。
※
「そろそろだ、二人共。イヤホンを装備してくれ」
人員輸送用トラックの荷台に揺られながら、私は旗山の指示に従った。すっと右耳に収まる、人体設計を意図した作り。ヘッドフォンよりもずっとよく身体に馴染む。
《前線作戦指揮所、到着まで約百八十秒》
運転席から、車両担当者の声が聞こえてくる。これではまるで、一介の軍事作戦のようだ。いや、少人数とはいえGFが総がかりで臨んでいるのだ。軍事作戦規模になってもおかしくはないのかもしれない。
《残り六十秒》
こうもカウントダウンをされると、私も否応なしに胃液がせり上がってくるような錯覚に囚われる。旗山と香森は無言で自動小銃を火器ラックから外し、弾倉をバチンと叩き込んだ。
《前線指揮所、到着》
そのアナウンスと共に、旗山と香森はさっと身を翻し、荷台後部から砂利道へと降り立った。
「神矢巡査部長」
「は、はッ!」
私は急ぎ足で、イヤホンをいじりながら二人に追いついた。このイヤホンが上手く機能してくれればいいが――。しかし、それを周囲に悟られるわけにはいかない。私は一度、ゴクリと唾を飲んでから、前線指揮所となっている白い天幕へと向かった。
※
「総員、注目!」
旗山の掠れ声に、GFの面々が顔を上げた。ここには十数名が集っている。
「休め。これより作戦計画を告げる」
天幕の奥まった部分に立体映像を展開し、旗山は話を始めた。
複数名の狙撃手が、既に狙撃体勢についていること。そしてその座標と、目標すなわちヴィルの予想潜伏地点。
「我々は、目標に最も近い一時方向から戦闘エリアに突入する。他の道路は、警視庁や所轄の面々が緊急封鎖を行っている。我々は残された山道から入り、目標を追い立てるのが主任務となる。狙撃手の前に、奴を炙り出せ」
旗山は軽く息を吸ってから、
「尾崎の弔い合戦だ。必ず目標の息の根を止めろ」
と単調な、しかしそれ故に揺るがしがたい態度でそう告げた。士気が高いのか低いのか分からないが、GFの面々は立ち上がって、各々が自分の得物の最終整備を行う。
隊列を組むでもなく、彼らは山道へと出ていく。
「香森、神矢巡査部長に危害が及ばないようにな。我々も出るぞ」
香森は軽く、目だけで頷いた。私は『こちらへ』と促され、天幕を出ようとした――その時だった。
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