第16話

 とは言いつつも、私には私の立場がある。ケインに事実を伝えるわけにはいかない。私の認識が正しければ、マーカスの死を知っているのはヴィルだけだ。

 私は椅子に座ったまま、ぎゅっと拳を握りしめた。でないとケインの元に駆け出し、『マーカスは既に殺された』ということを暴露しかねないからだ。

 もしそうすれば、ケインは暴れだすなり何なりして、最悪、警官に射殺されるかもしれない。無論、私の立場もない。

 私がケインの足元に視線を落としていると、ジャラリ、と金属音が響いた。『おっと』とケインが声を上げる。


「時間みたいだ。僕と兄貴の身分の扱いは、この国の警察が適正に行ってくれる。そんな心配そうな顔はしないでくれ」

「……ええ、そうね」


 私は笑みを浮かべようとしたが、上手くいったとは思えない。それでもケインは満足げに頷き、立ち上がって、警官に連れられて退室した。


「はあ……」


 私は椅子に腰かけたまま、額に手を遣った。

 私は一体どうしたらいいのだろう?


 一人の警官としては、このまま自分に下される処遇を素直に受け入れ、今後も凶悪犯罪やテロ事件に立ち向かっていくべきだ。

 しかし、今回の件はあまりにもイレギュラーだろう。

 まず、最重要容疑者であるヴィルに、自らが感情移入しかけている、ということがある。最愛の人を殺されたとあっては、その絶望感と復讐心は察するに余りある。最愛の人と出会うにしては、私はまだ若すぎるが。

 次に、GFの存在がある。警視庁でも最高機密であったその特殊部隊は、民間人も情け容赦なく手に掛ける非情な奴らだ。どれだけまともな言い方を考えても、目的のためなら手段を選ばない殺し屋、という事実は変わらない。

 そして私が心配しているのは、ずばりケインのことだ。警察もGFも、ひいては国も、あの青年に嘘をついている。唯一の肉親である兄を殺され、しかしそれを知らされずに利用されている。非情であるという点では、警察もGFとそう変わりない。


「卑怯だ……」


 私は両の掌で顔を覆った。泣きこそしなかったものの、絶望感がひたひたと腹の内から湧き出てくるのが感じられる。こんな組織に従順であり続けるために、父は命を落としたのか。

 私は自分の存在意義が、根底から揺るがされているのを嫌というほどに実感した。

 その時、


《神矢さん? いいかしら?》


 映像パネルから、先ほどの看護師の声がする。私は慌てて顔を拭い、『ええ』と答えた。


《本庁からお迎えが来るそうよ。体調はどう? 車酔いしそう?》

「いえ、大丈夫です」

《分かった。焦らなくていいから、準備ができたら出てきて頂戴》

「はい」


 私はすぐにベッドに向かい、急にやつれたように見えるスーツを手に取った。泥だらけで火薬臭い。まあ、あれだけの戦闘を乗り切ってきたのだから仕方がない、か。

 羽織ろうとしたら、胸ポケットにある警察手帳が落ちそうになった。


「おっと……」


 私が拾おうとすると、もう一つ、小さな『何か』が転がり出た。


「これって……まさか!」


 その『何か』から出てきたのは、紛れもなく私がヴィルに渡されたイヤホンだった。

『ヴィル!』と叫びかけて、私は慌てて口を噤む。この部屋は監視されている可能性が高いのだ。今ここでイヤホンを装着し、通話を試みるわけにはいかない。それでも、イヤホンが機能しているのは確かだった。小さな緑色のランプが点滅している。

 私は一旦深呼吸をし、イヤホンを胸ポケットに戻した。

 それからすぐに映像パネルの方へと歩みより、『通話』ボタンを押して、


「すみません、あの……」

《はい、神矢さん?》

「私はいつまでここに置かれるんでしょうか? 早く現場へ戻りたいのですが」

《お迎えが来るまで二時間くらいね。その前に、シャワーでも浴びたらいかが? 美人さんでも、こう火薬臭くちゃ敵わないわ》

「そ、それもそうですね!」


 そうだ。ここから出なくても構わない。取り敢えず、監視の目の届かないところに行ければ……!

 

「で、シャ、シャワールームは……?」

《直接案内するわ。そこで待ってて》


 恰幅のいい女性看護師はすぐにやって来た。


「どうもすみません」

「いえいえ! ここは飽くまで医療施設なんだから、もっと気楽にしてもらっていいのよ」

「は、はい」


 そこが具体的にどんな施設だったのか、私はよく覚えていない。確かなのは、私の心拍数が上がっているのを看護師に気づかれないよう必死だったということだ。


「ここよ。衣服は洗濯機に入れてもらえば、あなたが上がるまでには乾燥まで終わってると思うから」

「あっ、ありがとうございます!」


 すると看護師は目を細めたアザラシのような笑みを浮かべ、


「どうぞごゆっくり」


 と告げて去っていった。

 私はごくり、と唾を飲み、必要もないのにシャワールームの扉を睨みつけた。ただの扉が、私に圧迫感を与えてくる。

 ――よし、行くぞ。

 目をぎゅっとつぶり、ガラリと扉を押し開け、イヤホンを耳に押しつけた。


「ヴィル!!」

《必要なことは聞かせてもらった。後はこっちで対処するから、あんたはさりげない風を装って上の連中の指示に従え。無茶は起こすなよ》

「え……?」


 まさに待ち構えていたかのようなタイミングだった。しかし、私には呆気にとられる時間すらなかった。


《すぐにこいつを破壊しろ! ハッキングの発信位置がバレる!》

「は、はいっ!!」


 私は慌てて脱衣所を横切り、浴室に入って思いっきりシャワーの蛇口を捻った。ざっと私の頭上から湯が降りかかる。するとすぐにパチン、と音がして、私の掌の上でランプは切れた。


「大丈夫かな……」


 その時になって、私はようやく自分がびしょ濡れであることに気づいた。ヴィルは大丈夫だと言っていたし、慌てたところでどうにもならない。

 私は脱衣所に戻り、服を脱いで、素直にシャワーを浴びることにした。


         ※


《えー、先日その存在が明らかになりました警視庁特殊部隊『グリーンフィールド』の隊員たちが――》

《彼らは非合法な殺人行為を行い――》

《警視庁は超法規的措置を名目に――》


 私が保護されてから三日が過ぎた。

 シャワーを浴びた後、私はその施設――立川市内の末端機密組織だった――に到着した公用車で警視庁まで送り届けられた。


 その翌日、丸木警部補、波崎巡査部長、他数名の葬儀が営まれた。同時に、国民に対してGFの存在が露わになり、警視庁内は混乱の極みに陥った。

 度重なるインタビュー、ざわめくテレビやニュースサイト、有識者による検証と意見交換。無論そのどれもが、GFに対する批判的な、いや、弾劾じみたものを感じさせた。

 その日中に、私とヴィルが体験した銃撃戦やカーチェイスは様々な角度から検証された。しかし、ヴィルのことも私のことも、特に言及されはしなかった。


 そして今日。GFの隊員の護送車は、既に新宿区の中心基地を出発していた。護送車に伴うパトカーが、一般車両通行止めとなった広い道路を堂々と駆けていく。もしヴィルたちが罠にはまっていれば、とっくに返り討ちに遭っていることは間違いない。

 それにしても相変わらず、ヴィルの存在は宙ぶらりんだった。指名手配できればいいのだろうが、一般市民に情報を共有させるほど公安部の壁は薄くない。正直、私も当事者としてメディアの質問攻めに遭わずに済んだことには深く安堵している。だが――。


『ヴィルは心底からの悪人ではない』という認識は、私の脳裏から離れなかった。

 民間人には被害を出すまい――。

 その信念に、私は大きく突き動かされていた。GFのような組織を持っていた警察よりも、よほど人命を尊重しているのではないか。そう思えてならなかった。

 自分のデスクに右肘をつき、その上の掌に顎を載せて、私は考える。立体ディスプレイを眺めながら、ヴィルやジャックが何をしているのか考える。ケインの身柄もどうなったのだろう。


 その時だった。テロ対策課のアラームが鳴り響いたのは。


《本庁公安部よりテロ対策課へ。コード・レッドの所在を特定。被疑者、ヴィル・クライン。総員、防弾ベストを着用の上、直ちに現場へ急行、発見次第射殺せよ》


 私ははっとして顔を上げた。続く情報に耳を傾ける。


《目標の現在位置は、福生市郊外の山中。小型の通信機器で共犯者とみられる男と会話中。詳細不明》


 ヴィルが福生にいる? ということは、やはり偽装GF護送に対する攻撃はしていないということだ。それに、福生にいるということは、何かをするために一旦あのトンネルアジトに戻ったのかもしれない。私が出ていく際に使った方の出入り口は、まだ人目に触れずに健在、ということか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る