第15話

 自分が目覚めたことを知らせるべきだろうか。私はベッドから足を下ろし、スリッパをつっかける。カーテンを開けると、そこは個室だった。ありがたい。いや、私のような一介の刑事に対しては、とんでもない厚待遇だ。

 私は室内と廊下を繋ぐ映像パネルに向かおうとした。しかし、


「ッ!」


 コケた。足が絡まってしまったらしい。危うく悲鳴を上げるところだったが、両の掌を床につき、顔面強打を回避する。どうやら、酷い疲れは抜けきっていないようだ。するとちょうど、


《あら神矢さん、お目覚め?》

「は、はい」


 映像パネルの向こうには、看護師であろう中年女性が映っていた。コケたことは気づかれてしまっただろうか。赤面したのを悟られないよう、俯きがちに映像パネルに向かう。


《お客様がいらしてるわ。お通ししてもいいかしら?》

「お客様?」


 私は顔を上げた。お客様というのは面会者ということか? 今の私に? やはりヴィルを取り逃がした……というか半ば協力してしまったことの責任を問われるのだろうか。


《もしあなたが今よろしければ、だけど》

「あ、いえ。大丈夫です」


 ちぐはぐな答えを口にする私。


《そう? じゃあ入室してもらうわね。ちゃんと見張ってるから、安心して》


 その言葉から察するに、面会に現れるのは警察関係者ではないらしい。結局拳銃はわが手にあらず。だが、ここは警視庁関連施設だ。何も危険はあるまい。

 そう、ここはこの看護師の言葉通り、安心して――。私は手を組んで自分の胸に当て、ゆっくりと下ろし、目の前のスライドドアに目を遣った。

 すっ、と音もなく開いたドアから姿を現したのは、制服姿の警官だった。屋内警備の担当官らしい。軽く頭を下げた彼の意図を察し、私は部屋奥の背もたれつきの椅子に腰かけた。

 それを見届けたようで、警官はある小柄な男性を一人連れ込んだ。

 彼を見て、


「!」


 私は飛び上がらんばかりに驚いた。事実、椅子から立ち上がった。


「やあ、神矢忍さん」


 その男性には手錠が掛けられている。私の向かいの椅子に着席すると同時に、警官の手から肘掛に手錠が掛けなおされた。その挙動一つ一つが、私の目を奪い続けた。


「僕がここにいて、そんなに不思議かい?」

「……ケイン・フレッジャー……」


 何故彼がここにいるのか。彼は逮捕された身なのだろうか。彼が浮かべている薄笑いにはどんな意味があるのか。

 どうしようもなく私が口をパクパクさせていると、警官は椅子から離れて出入り口に立ちはだかった。同時にケインが口を開く。


「一つ一つ話していくよ。僕は今、いやこれから先、自由の身になる予定だ。兄さんと一緒にね」

「どういうこと?」


 私は、無意識のうちに彼を睨みつけていた。まさか――。


「僕は裏切り者だ。ヴィル・クラインとジャック・オーエンの」

「あなたがGFの突入を許したのね?」


 鋭い口調になるのを止められない。そんな私の態度に、ケインは少しばかり眉をしかめた。しかしわざとそれを押し切るようにして、言葉を続ける。


「それだけじゃない。君とヴィルが合流した時、製鉄所で通信妨害を仕掛けたのも僕さ。君たちが思った以上にしぶとかったから、尾崎さんに仕留めてもらう流れになったんだけど……。それも上手くはいかなかったね」


 私は一歩、ケインに歩みだそうとして止めた。この会見は間違いなく録画されている。ここで下手に、ヴィルやジャックに同調する素振りを見せてしまってはまずい。私の身も危うくなる。私はゆっくりと、腰を下ろした。


「僕がジャックに拾われたのは、兄貴のマーカスが警察に――GFに身柄を確保されたからだ。マーカスは裏社会のジャーナリストみたいなことをやっていてね。どうやら目をつけられていたらしい」


 私は無言で続きを促すしか術がない。


「ジャックは本当によくしてくれたよ。ヴィルもね。こんな若造に自分の情報管理や作戦立案を任せる、っていうんだから、肝が太いのかただの馬鹿なのか……」


 ケインは口の端を吊り上げながら、軽く首を左右に振ってみせた。


「GFの連中は何らかの手段で、僕とジャック、それにヴィルの誰が警視庁のメインサーバーに攻撃を仕掛けているか、割り出すことに成功したらしい。そこで僕が通信担当中に送りつけられてきたのが、マーカスが拷問を受けている映像だった」


 心なしか、ケインは肩を落としたように見えた。俯いている。


「そこで、僕にだけ特殊ファイルが送られてきた。僕もジャックも、互いに全ての情報を共有しているわけじゃない。僕にしか開けないファイルだ。ジャックからネット監視を交代した時に、開いてみた。そこに何が書いてあったかは、承知の通りだ」


 承知の通り――って、まさか。


「マーカスを逃がしてやるからヴィルの所在を教えろ、って言われたのね?」


 すると、ケインの顔つきが一変した。一気に顔の皺が深くなったように見えたのだ。

 そこに浮かんでいる感情は、『苦悶』。平静を装ってはいたが、やはり『裏切り』という行為はケインの心にも傷を負わせたらしい。


「元はと言えば、マーカスが……兄貴が悪いんだ。まさかあんな狂犬みたいな殺し屋や、そのバックアップのハッカーの補佐役に就いてしまって……。それで『もし自分が捕まったら、弟を使え。才能がある』と言い出す始末じゃないか」


『あんまりだろう?』そう言って肩を竦めるケイン。


「でも、僕は兄貴を許したよ。中東に住んでいた時、両親は内戦のゴタゴタで行方知れずになったんだ。そんな状況を切り抜けてこられたのは、兄貴が天才だったからだからね。だから僕は、兄貴を助けるという条件での、ヴィル・クライン抹殺計画に参加することにした」


 するとケインは『確実性には欠けるけど』と前置きした上で、


「ヴィルとジャックは、GFが世間に叩かれ始めて、特殊護送車で警視庁に運ばれるところを狙うだろう。爆破、という言い方からすると地雷でも仕掛けるか、ロケットランチャーを叩き込む算段だと思う。その現場で、二人を返り討ちにする。それがGFの作戦だ」


 すると当然、その護送車はもぬけの殻、旗山たちはどこかで護送車を狙っているヴィルやジャックを仕留めるのだろう。

 それに対して、ヴィルはどうだろうか?

 彼は妻を殺された復讐として、数々の殺人事件に手を染めている。今さら隠れながら、ということは考えていないかもしれない。どんな手段での急襲をも辞さないだろう。

 それは、GFの連中の前に姿を晒すことをも厭わないことを意味する。

 このままでは、ヴィルたちが危ない――。


「僕は情報操作をするためにトンネルに残る、っていうことで二人は納得したよ。僕が裏切ったなんて、露とも思っていないだろうね」


 私が焦燥感と自らの無力さに打ちひしがれている間に、ケインは『お願いします』と一言。すると、彼を引き連れてきた警官が一台のノートパソコンを立ち上げた。立体映像が展開される。そこには、私が見せられたのと同じ、酷い拷問を受けるマーカスの姿があった。


「画面をスクロールしてみて」


 私は立ち上がり、映像に近づいてすっと指を下から上に払った。そしてやっと気づいた。これは非合法の映像を配信するジャーナリストによる動画サイトの映像だ。既にここまで拡散された、ということか。


「最近の警視庁はテロ対策でてんてこまいだったから、非合法な事情聴取や身柄の拘束が行われていないか、だいぶ関心は高かったみたいだ。それは裏のジャーナリストだけじゃなくて、国民全体に言えることだ。こんな映像、表沙汰にはならないだろうけど、火付け役にはなる。だからどうしても、残るGFの隊員たちは国民の槍玉に上げられるだろう。だからこその輸送だけれど、それを狙うヴィルたちは逆にGFに殺される。そして僕と兄貴は自由の身だ」


『ヴィルもジャックもよくしてくれたけれど』と、ケインは繰り返した。しかし、『それでも兄貴の方が大切だ』とも。


 こんなに慕っている兄が既に殺されていると知ったら、ケインはどうするだろう?

 マーカスも、ケインに再会できるであろうことを支えにして、拷問に耐えてきた節もあるに違いない。

 これでは、あまりにも救いがないではないか。

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