第14話

 私はセーフティに指をかけたが、それを親指で押し込むことはできなかった。手汗で滑ったのだ。

 そんな滑稽な私の姿を認めたのか、ヴィルはカチリ、と初弾を装填し、引き金を引いた――頭上に向けて。

 ズドン、という重厚な発砲音。しかし一発では止まらない。

 ズドン、ズドン、ズドン。

 計四発の銃弾が発射され、


「うっ!?」


 このフロアは真っ暗になった。ヴィルは照明を撃ち落としたのだ。

 私が怯んだ隙をついたのだろう、ヴィルは私の手からサブマシンガンを奪った。両腕がもぎ取られかねない勢いに、私は思いっきり振り回される。そのまま尻餅をつく形になった。


「あんたは逃げろ。立体映像映写機を照明代わりに使え」

「わ、私は……!」

「あんたはこの国の警官だろう! いいから行け、神矢忍巡査部長!!」


 その言葉に、異議を差す間はなかった。私は急いで立ち上がり、真っ暗なトンネルを駆け出した。


         ※


 次のフロアへのドアは、何も操作せずともスライドした。既にロックが解除されている。ヴィルが私の脱出を促そうと、ジャックに指示したのかもしれない。

 そのフロアは、薄暗いながらも照明が生きていて、中央にちんまりと普通乗用車が鎮座していた。数台並んでいる。私はそっと右端の小型車に近づき、運転席のドアに手をかけた。すると、ピピッという電子音がして、施錠が解除された。

 私の指紋認証など、一体どうやって行ったのだろう……。疑問は膨らむ一方になりそうだったので、私は思考を止め、とにかくこの車での脱出を図ることにした。

 乗り込むとすぐに、立体地図が表示された。このトンネルのマップだ。矢印に沿って行けば、今いる福生から立川へと脱出できる。

 私は数年前、報道番組で見た東京の都市伝説を思い出していた。有事に際し、政府要人の地下脱出路があるとかないとか。まさか実在するとは思わなかったけれど。


 ジャックがロックを解除してくれたのか、行く先々のスライドドアは開きっぱなしの状態だった。私は道なりに、トンネル内を疾駆する。照明が生きていたのはありがたかった。恐らく敵の侵入を警戒してのことだろう、トンネルは曲がりくねって遠回りになっていたからだ。

 車を飛ばして、約一時間。私はヘッドライトを消した。照明だけでなく、外からの明かりが差し込んできている。日光だ。私はようやく、日の元に出ることができた。


「ああ……」


 思えば昨日、化学兵器爆破拡散テロ未遂事件に向かってから、一人になって落ち着く暇などなかった。

 助かった、のか。私は半ば呆然としながら、ゆるゆると山道を走った。


 それは、私が車を走らせて三十分ほど経った時に起こった。

 イヤホンから声が聞こえてきたのだ。ジャックの声だった。そういえば、イヤホンは耳に装着したままだった。


《神矢、聞こえるか?》

「は、はい」

《もう国道へは出たか?》

「あと十分ほどです」

《すまない、もう少しばかり、あんたの身柄を拘束する形になってしまった》

「え?」


 すると、目の前に検問所が迫って来ていた。こんな山中で検問? 近くで殺人事件でもあったのだろうか。


《検問所にいるのは警官じゃない。変装をしたジャーナリストたちだ。彼らに例の立体映像映写機を渡してほしい》


 ははあ、なるほど。私が『わざと』ではなく、ジャーナリストたちを警官だと『勘違いして』映像を任せてしまった、ということにする手筈なのか。そうなれば、私が刑事の資格剥奪を免れる可能性が大きくなる。同時に、ジャックたちの狙いも達成される。


 私は複雑な心境だった。テロリストの片棒を担がされる羽目になっている。しかし、


「私の身の安全を確保することで、私に口止めをさせるつもりですね?」

《まあ、そんなところだ》


 私がいることで救われる人々がいる。そう思えば、私は刑事という職になんとしてでもしがみついていたかった。そんな私の立場を守るために、一計を案じてくれたということか。

 しかし、誰が?

 私を人質扱いしていた彼らだが、むやみやたらに人殺しをするような姿は想像できない。あのヴィルでさえ、警官を殺しこそすれ民間人には指一本触れていないのだ。

 となれば、『人畜無害』と判断された私は当然『殺傷目標』ではなくなる。


「きっとヴィルね……」


 私は呟きながら、検問所に向かってゆっくりと速度を緩めていった。


 偽検問所でのジャーナリストたちとの遣り取りは、肩透かしだった。


「警察手帳を拝見します」

 

 素直に従う。警官に扮したジャーナリストがまじまじとそれを見つめ、私の顔と警察手帳の間に視線を往復させる。


「例のものは?」

「はい」


 私は躊躇いなく、ヴィルから授かった立体映像映写機を手渡した。

 すると警官役の男は、微かに笑みを浮かべながら


「ご協力ありがとうございます」


 と述べて、道路を封鎖していたバーを上げるよう指示した。


「ふう……」


 さて、私はどうしたものか。


 私はとにかく、自分の身の安全を図ることにした。早い話、最初に目に入った交番に助けを求めることにしたのだ。そこにはそれなりの武装をした警官が常駐しているし、私もそれなりの銃器の取り扱いの教習はアメリカで受けてきている。

 武器さえあれば。拳銃一丁でもいい。それさえあれば、まだ生きた心地が戻ってくるに違いない。

 私は交番の真ん前に車を停車させると、訝し気な顔で中年の男性警官が出てきた。


「どうかされまし――」

「警視庁刑事課対テロ係巡査部長、神矢忍です。至急本庁に報告すべき事案を抱えています。無線機をお借りしたいのですが」


 半ば警官を押しのけるようにして、警察手帳を突き出す。すると、目的の通信機器はすぐそばにあった。

 私がずかずかと踏み込んだせいか、そばでパソコンに向かっていた若い警官が腰を上げる。


「あ、あの……」

「刑事課の者です。無線機をお借りしたいのですが」


 同じ台詞を繰り返すと、若い警官もまた道を空けた。

 対テロ係の通信網は、警視庁内部でもトップ・シークレットだ。ここでの波長ダイヤルの合わせ方や通信内容を知られるわけにはいかない。

 簡単な通信しかできないわけだが、私の名前と認証番号、それに『本人』『生存』『緊急事態』の三つの情報を本庁へ送ることはできる。


 それだけの情報を送信してから、私は不意に目眩を覚えた。


「……あれ?」


 膝に力が入らない。がっくりと腰を折ってしまう。音のない、しかし長いため息が漏れる。

 体力的・精神的な安心感が、私の胸に染み込んできた。その『安心』というのは『油断』と同義だ。

 何とか身体のバランスを取ろうと試みて、


「あれ?」


 私は思いっきり、後方に倒れ込んだ。天井がぐるりと回転し、後頭部から綺麗な弧を描いて重力に引かれていく。

 私が関知できたのは、何者かが私の頭を支えてくれたことと、『救急車を呼べ!』という怒声だった。


         ※


 私は思いの外、冷静な状態で気を取り戻した。自分が過労のためか、あるいは突然得た安心感のためか、転倒してしまった記憶はある。その姿勢のまま、私は仰向けに横たわっていた。服装はといえば、薄汚れたコートの感触がしないことから、ブラウス姿なのだろうと察せられた。

 そこが極めて衛生的で、しかし無機質な場所であることは、目を開けずとも察せられた。ここはどこかの警察関連施設に違いない。

 私は、保護されたのだ。


「うっ……」


 安堵感のために、涙が出そうになる。心理的には安定しているというのに。私は身体を反転させ、枕に顔を押しつけた。


「……」


 泣いた。涙と嗚咽は、止めどもなくいくらでも溢れてきた。

 そんな馬鹿な。冷静沈着を座右の銘としているこの私が、これほど泣きじゃくってしまうなんて。それほど恐ろしい体験だったということか――ヴィルやジャックと行動を共にするということは。

 しばらくの後、つまりはようやく私が泣き止みかけた時、少しばかりカーテンの向こうがざわめく気配がした。雰囲気からして、誰かが私に面会を求めているらしい。

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