第12話
このトンネルは、さながら小さな地下要塞だった。空調の循環システムも上下水道も申し分なく整備されている。電力供給システムに至ってはいわずもがなだ。あれだけのスーパーコンピュータを取り扱っているのだから。
空腹を満たした私には、冷静さも再充填されたようだ。だからこそ『お手洗いに行く』と言って独りになることができた。どこかに脱出口はないかと視線を走らせるが、しかしそんな気配はどこにもなかった。
いや、人質を逃がさないだけの自信があったからこそ、ジャックもケインも私を一人きりにできたのだろう。あるいは本当に、人質としての価値はないと思われたのか。
しかしそうなると、この秘密基地の存在を知ってしまった私はすぐに殺されても文句は言えないはずだ。
一体私はどうなってしまうんだろう――。
あてがわれた寝室に入り、腰に手を当てかぶりを振りながら、私は長いため息をついた。
その時、コンコン、とノックの音がした。
「!」
危うく悲鳴を上げかけたが、
「俺だ。ジャックだ。少しいいか?」
という問いかけに、
「ど、どうぞ……」
と蚊の鳴くような声で応じるしかなかった。
すると、ここもやはりプシュッ、という音と共にドアがスライドし、ジャックが姿を現した。
無意識に半歩、後ずさりした私に向かい、ジャックは
「安心してくれ。暴力沙汰を起こすつもりはないよ。俺は丸腰だ」
と言って両腕を広げてみせた。
その穏やかな所作に呑まれるようにして、私の胸中で冷静さが甦ってきた。先ほどの問いをぶつけるなら、今だ。
「ジャック、それにケインもヴィルも、どうして私を殺そうとしないんです?」
「何故そんなことを訊く?」
「私が脱走したら、この施設のことがバレてあなたたちの方が殺されてしまうからです」
正直に言ってみた。
「まあな、確かにそうなったら一大事だが」
ジャックは後頭部に手を遣りながら、くしゃくしゃと髪に指を通した。
「ヴィルはあんたに、どれだけのことを話した?」
「どれだけ、って?」
「嫁さんが殺されたことさ」
グサリ、という幻聴と共に、私の胸に鋭い何かが突き刺さった。
「……はい。本人の口から聞きました」
「それでGFを目の敵にしている、ということも?」
「ええ。標的は残り三人だそうです」
「尾崎を仕留めたからな」
そうだ。いくら非人道的な作戦を決行していたとしても、GFは私たち警察サイドの組織だ。そのメンバーの殺害に、既に私は関与してしまっている。もう戻れないのではないか。
「神矢さんとやら」
「はい」
私は青白くなっているであろう表情のまま、顔を上げた。
「俺はあんたを逃がすべきだと思う」
「えっ……?」
何だって? 今、ジャックは何と言った? 私を殺すのではなく、生かそうというのか? それも身の安全が保障された状態で?
「何かの罠だと疑っているんだろう?」
「いや、え、しかし……」
罠だなんて、そんなことまで頭が回る状況ではない。
「私、どうして解放なんか……」
「代わりに一つ頼まれてほしい」
そう言うと、ジャックは掌大の円盤を放ってきた。
「おっと」
慎重に受け止める。立体映像映写機だ。
「チャプター35から38を見てくれ。GFの連中の映像だ」
私は指示された通り、電源を入れてチャプターをセットした。
ちょうどよく、ジャックが部屋の照明を消してくれる。そこに展開された映像は――。
※
《もう一度訊く。ヴィル・クラインの現在の潜伏先を教えろ》
《だっ、誰がてめえらなんかに! ぐはっ!》
椅子に縛りつけられた男性が、背後から拳銃のグリップで殴られている。
見れば、唇は裂け、額から血が滴り、片足は奇妙な方向に捻じ曲がっている。相当な拷問を受けてきたのは火を見るより明らかだ。
《隊長、自白剤の使用許可を》
淡々とした声がする。小柄でまだ若い。彼が先ほど、私たちとカーチェイスを演じた尾崎だろうか。すると、隣に立っている隻眼の男は旗山に違いない。
《待て。殺してしまっては元も子もない。もう一度、水責めだ》
《くっ! そんなことで俺が口を割るなんて思うな……》
言葉の後半は、ぶくぶくと水泡が湧きたつ音で遮られてしまった。
すると、四人目の男性が現れた。きっとヴィルが標的としているうちの一人だろう。
彼はさっと拳銃を抜き、躊躇いなく引き金を引いた。
《ぎゃあっ!!》
水責めに遭っていた男性の頭部が引っ張り上げられる。と同時に、膝の裏から血飛沫が舞った。
その時、私はこの拷問を受けている男性に見覚えがあるような気がした。彼は、もしかして……?
《今日はここまでだ。尾崎、足を治療してやれ。くれぐれも殺すなよ》
《はッ!》
水と血でずぶぬれになった男性が苦し気にむせ返る。そこで映像は一時停止がかかった。
※
「酷い……。酷すぎる、こんなこと!」
「これがGFの任務の一環だよ、神矢」
するとジャックは、苦々し気な顔を作りながら、
「気づいたと思うが、この拷問を受けていたのはケインの兄貴だ。マーカス・フレッジャー。今もどこかの施設に監禁されているらしい」
「そ、そんな……!」
私は手で口を覆った。
「早く助けなきゃ!」
「それができれば苦労はしない」
ジャックは眼鏡の弦をくいっと上げながら、
「ここがいかなる施設であるにせよ、最高警備が施されているはずだ。それこそ、米軍特殊部隊の一、二個小隊が送り込まれてもおかしくない」
「じゃあ、どうして米軍は助けに来ないんです!?」
私は両手をぎゅっと握りしめ、ぐっとジャックに詰め寄った。
しかしジャックは私の足元に視線を落としたまま、
「飽くまで日本と米国は同盟国だ。互いに工作活動……戦闘行為を行うことはできない。それが人質の救出任務だったとしても」
「あんまりだ……。酷すぎる……」
ジャックはふっと一息つき、
「だからあんたに、この映像を託す」
「私に?」
大きく首肯するジャック。
「すぐにどこかのテレビ局か情報発信サイトに駆け込め。俺たちはぐれ者がすっぱ抜こうとしても難しいだろうが、警視庁での内部告発とすれば、国民も政府も耳を貸すはずだ。だろう、『巡査部長』?」
「それが私に頼みたいこと、ですか」
「ああ。どうだ?」
私は顎に手を遣った。
「緊急ですか?」
「早すぎるということはないな」
ジャックは片手を腰に当てながら、
「もしそうなれば、この件に関与した四人、いや、残り三人のGFは、国際法違反の犯罪者として扱われる。その護送中に、護送車もろとも吹っ飛ばすというのが、俺とヴィルの考えた作戦だ」
そうしてヴィルの復讐は果たされ、日本の警察内部の後ろ暗い部分も明るみに出て、事態は一件落着というわけか。無論、ケインの兄は救出されることだろう。
私の身上がどうなるのかは分からない。しかし、今は彼らに協力することが、本当の正義であるように思われた。
しかし、そんな私の脳裏を一つの言葉がよぎった。
『我々警察官は、国民の生命を守るためにのみ拳銃を抜く』
殉職した父の言葉だ。この言葉を残して、父はその日に起きた国会前の警備任務中に暴行を受けて死亡した。
GFを野放しにはできない。しかし、ヴィルたちのやろうとしていることが過剰殺人であることは疑いない。
私は一体、どうしたらいいのか――?
「あんたのような正義感の強い人間に伝えるには、だいぶ冷たいとは思うがね」
再び眼鏡の弦を押し上げるジャック。
「残念だが、警備システムを強化してから俺たちはトンズラする。北欧の方になるかな。その前に、日本でGFの残り三人を片づける。その方法について、あんたに伝えるわけにはいかない。護送車をどうやって吹っ飛ばすか、ということはね」
「……」
具体的には、これ以上どう警備を強化するのか、ということは謎だ。
また、私のような新米刑事がこの件を騒ぎ立てたところで、組織が動くわけにはいかないだろう。
「その表情、何が正義なのか分からなくなって、俺たちを売るか否か針が振れてるって感じだな?」
図星を指されて、私は目を見開いた。
「何が正しいのか決めるには、あんたは若すぎるのかもな」
そう言って、ジャックは私に背を向けた。
私ははっとした。追いすがるようにして、
「じゃあ、どうしてあなたはヴィルに協力しているんです、ジャック?」
パシュッ、と音がしてドアがスライドする。
こちらに振り返ることなく、ジャックはこう言った。
「私も彼女を愛していたからだ」
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