第11話

 ケインは背を向けて、私たちをスーパーコンピュータ群の奥へといざなった。


「驚いたでしょう? この設備」


 私たちに、と言うより私個人に向かって、ケインは声をかけてきた。ヴィルは驚いた様子もなく、黙々と歩を進めている。

 奇妙な間ができるのを嫌って、私は


「ええ、こんな設備、個人が所有する機材とは思えません」


 と言葉を返したが、ケインは『まあそうでしょうね』と告げただけで、すぐに言葉を切ってしまった。もしかしたら、私がコンピュータ群をじろじろ見ているのを察して、会話を止めたのかもしれない。

 どこから仕入れたのか? などと安直に尋ねることもできず、私は左右に視線を走らせながら歩いていく。すると、


「チッ……」


 ヴィルが軽く舌打ちをした。シャツの胸ポケットを叩いているが、目的のものは見つからないらしい。


「なあケイン」

「ヴィル、ここは禁煙です」


 再び舌打ちをするヴィル。なんだ、煙草とライターが必要だっただけか。

 私が肩を竦めると同時、ケインは部屋のつき当たりを左折した。するとその先には、今までのような、しかしだいぶ軽そうなスライドドアがあった。


「ジャック、お客様二名です」


 その言葉に、私は思わず吹き出しそうになってしまった。ここはファミレスか。

 そんなツッコミを頭の中で展開していると、


《よし、通してくれ》


 という声がした。続いてケインが何某かのパスワードのようなものを壁に打ち込む。すると、パシュッ、という音を立てて扉が開いた。


「よく来たな、シルヴァ! 今はヴィルと呼ばせてもらおうか」

「勝手にしてくれ、ジャック。お前こそ、よく生き残ってこられたな」

「あんたにだけは言われたくないぜ」


 ジャックと呼ばれた男性は、ヴィルとがっしり握手をした。ヴィルの頬が緩むのを、私は初めて見た。

 視線を前方に戻す。彼がジャックか。

 身長はヴィルと同じくらい――日本人からすると高い方だ――で、肩幅は広く、白いシャツに青のジーパン、それにフレームのない眼鏡という格好だった。顔つきからして、日本人と欧米系のハーフだろうと、私は推察した。


「ま、座ってくれ」


 ヴィルが壁際へと歩いていく。そこで私は、ようやくこの部屋全体を見渡す余裕を得た。

 右端に簡素なベッドが二台置かれ、左端には最新式の野戦用通信機と立体映像投影機が並んでいる。中央はがらんとしていて、さらに奥の部屋へと続く様子であった。


「で、ヴィルさんよ。説明はあるんだろうな?」


 ジャックは電子機器の散らばったデスクの丸椅子に腰かけた。ヴィルに説明を求めながらも、しかし視線は私に注がれている。攻撃的な感情や警戒心は感じられなかった。むしろ興味津々といったところだ。

 ヴィルは腰に手を当てながら、


「こいつは神矢忍巡査部長。警視庁警備部の刑事だ」

「ほう」


 そんなことは分かっている。そう言いたげに顔をしかめながら、ジャックは自身のマグカップに手を伸ばした。口をつけながら、くいっと顎をしゃくってヴィルに説明の続きを促す。


「車両の扱いはなかなかのものだ。使役するのに不満はない」

「なっ!?」


 使役、だと? 私を奴隷か何かと勘違いしているのではないか。


「大変なことに巻き込まれたな、神矢巡査部長。聞いての通り、俺がジャック。ジャック・オーエンだ」

「は、はい」


 既に名前を覚えられてしまっている。階級もだ。分かりました、という意を示す以外に付け足す情報はない。強いて言えば、私はヴィルに付き合わされているだけで、奴隷などではないと訴えたかった。が、上手い言葉が見つからないのですぐに諦めた。


「しかしだなあ、ヴィル」


 わざと大げさに、ジャックはヴィルの方へと身体を向けた。


「今さらGFの連中が、人質の有無にこだわると思うか?」


 ヴィルは無言。目線を落とし、愛銃のシリンダーの具合を確かめている。


「神矢さん、あんただってもう分かってるだろう? 自分が人質としては無力だってことは」

「はい。危ないところでした」


 ジャックは腕を組み、長いため息をついた。


「そうあっさり答えられても困るんだがなあ……」


 頭をガシガシと掻く。困惑を隠しきれないジャックの様子を見かねたのか、


「一蓮托生だろうよ、俺もお前もケインも神矢も。使えるものは何でも使う」


 するとジャックはカラカラと乾いた笑い声を上げた。


「全く、お前は変わらねえな」


 そう言いながら、くるりと私の方に向き直った。


「お疲れかい、神矢さん?」

「え、あ、いえ」


 私は咄嗟に否定した。しかし、ジャックは『だよな、疲れるよな』と言ってケインに目配せした。


「これ、よかったらどうぞ」


 差し出されたのは、小さいペットボトルに入ったスポーツ飲料だった。


「わ、私は別に……」

「人質だからって遠慮してるのかい?」


 柔らかな表情でケインが尋ねてきた。


「僕たちはテロリストじゃない。ちゃんと人質にも気を配るよ」

「単純に死なれたら面倒だから、ってだけでしょう?」

「まあまあ、そう言わずに」


 ケインはキャップを外し、再びボトルを差し出す。断れなくなってしまった私は、ゆっくりと手を伸ばしてボトルを受け取った。

 口をつける前に、ケインに一瞥をくれる。相変わらず穏やかそうだ。毒物や睡眠薬が含まれている危険はないと、私は判断した。

 慎重にボトルの淵に口をつける。唇を湿らせながら、慎重に一口分を喉に流し込んだ。すると、


「!」


 私は喉を鳴らしながら、一気にボトルの半分を飲み込んだ。まさか、自分の喉がこれほど渇いていたとは。緊張感のアップダウンが激しく、水分摂取など悠長なことは言っていられなかった。


「ぷはっ!」


 ボトルを離し、思いっきり息を吸う。


「いい飲みっぷりだな、お嬢さん」


 ジャックが楽し気に言った。


「ヴィルもこのくらい酒が飲めれば、まだ話甲斐のある奴だったんだろうが」

「黙れオタク野郎。俺は下戸なんだ」


 それを聞いて、私は吹き出した。こんなに野蛮、というか暴力性溢れる男性が下戸だとは。私は笑いを噛み殺すのに必死になった。


「おい、笑われてるぞ、ヴィル」


 ニヤニヤと嫌味な笑みを浮かべるジャック。ヴィルは一瞬こちらを見ようとしたが、気まずかったのかすぐにそっぽを向いてしまった。


「俺は寝る。起きるまで起こすな」

「はいはい」


 誰のものかは定かでないが、ヴィルは勝手にベッドに横になってしまった。するり、と愛銃を枕の下に滑り込ませるのを、私は見逃さなかった。


「寝る時くらい、拳銃なんて仕舞っておきゃあいいのになあ」


 ヴィルはもはや無反応。そんな彼の背中を見て、私は思わず、ふう、と息をついた。


「お嬢さんも疲れただろう? 別室に案内するから、ゆっくり休むといい。何か食べるか?」

「いえ、結構です」


 と言ってはみたものの、腹の虫は正直だった。きゅるるる、と情けない羽音を鳴らす。

 しかし、ジャックはそれを馬鹿にしようとはしなかった。


「少し待っててくれ。冷凍食品だが、量はあるはずだ。注文は?」

「えっと……私、人質なんですが」

「そう固いことを言いなさるな。話したいこともあるしな」


 私はボトルを両手で握ったまま、顔を上げた。

 話したいこと? 人質に対して?

 その時になって、すーすーという寝息がヴィルから聞こえてきた。


「相変わらず寝相だけはいいんだな、ヴィル」


 ジャックは肩を竦めた。


「じゃあ、俺が適当に三人分解凍して持ってくる。少し待っててくれ。ケイン、俺の代わりに席についてくれ。GPSのハッキングはもう解除して構わない」

「了解っす」


 緊張すべきか否かの判断もつきかねて、私は黙ってケインの作業する姿を見つめた。

 それから約十分後、ジャックは大皿に三種類のパスタを盛って戻ってきた。


「おっ、今日は奮発しましたね、ジャック!」

「客人がいるからな。今片づけるから、適当に食べてくれ」


 鼻腔を通して伝わってくる、美味な香り。そのために、私の緊張感は食欲に取って代わられてしまった。デスクに置かれた大皿のそばに椅子を引きつけ、


「いっ、いただきます!」


 と言ってカルボナーラにフォークを差し入れた。

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