第10話
私たちが停車したのは、山道沿いの高速道路に上がってすぐのパーキングエリアだった。こちらも人影や車は少なく、十台も停まってはいない。そこにゆっくりと、私はトラックを乗り入れた。
「少し待ってろ」
するとヴィルはさっと地面に降り立ち、自然な風を装って近くの二人乗りの軽自動車に向かって歩いて行った。ちなみに、カーチェイスで返り血を浴びたシャツは既に着替えている。
それよりも、注意すべきはヴィルが今なにを考えているか? ということだ。今なら逃げられるかも、という気持ちがないでもなかったが、ここで待てというのはヴィルの指示だ。従わざるを得まい。
ヴィルは周囲を警戒しながら、軽自動車のドアをピッキングで開けた。それからすぐにトラックに戻ってくる。
「ジャック、こちらシルヴァ。現在地点は把握してるか?」
《ああ。バッチリ追尾中だ。しかし駐車場なんかで何をやってる?》
「追っ手を躍らせたい。奴らはGPSで俺たちを追尾してるはずだ。混乱させられるか?」
《そういうことか! お任せあれ。次の車は確保したか?》
「心配ない。以上」
すると一方的に無線を切り、ヴィルは
「行くぞ、神矢」
と言って悠々と軽自動車に向かい始めた。私は慌ててトラックを降り、ヴィルについていく。ちょうど追いつきながら、
「ここで乗り換えたらすぐに警察に気づかれますよ? どうするんです?」
「だからジャックが手を打つ。俺はこの車の通信装備を調整するから、慌てずに走れ」
「はい……」
ヴィルは助手席に乗り込み、ドアロックを解除する。運転席に収まった私は、ゆっくりと発進させた。
《……ルヴァ、聞こえるか? シルヴァ?》
しかし、ヴィルは黙ったまま。
「どうしたんです? 応答しないと……」
「マイクがないだろうが。ジャックはその辺も踏まえてる」
するとヴィルの言った通りに、
《無事乗ったな? それじゃ、始めるぞ!》
緊張感をぶち壊すようなジャックの声。しかし、私には何が起こっているのかよく分からない。
「どうした、神矢? 早く飛ばせ」
「な、何も起こってないですけど……」
「いいから! 早くここから離れるぞ!」
渋々私は指示に従った。だが、それ以上に渋々といった態度で、ヴィルは
「これを見てみろ」
と言って、立体地図を展開した。
「GPSによる現在の位置情報だ」
前方に他車が走ってないのを確かめてから覗き込むと、
「あれ?」
この車の現在位置は、先ほどのパーキングエリアから動いていない。しかも、タッチパネルの要領で次の表示方法を選択すると、
「あ、あれっ!?」
パーキングエリアで、車の出入りが極端に増えていた。前方、後方を確認するものの、そんな車は見当たらない。
「これってどういう……?」
「ジャックのハッキングに決まってるだろ」
「ハッキング!?」
日本の、それも警視庁のネットワークにハッキングを仕掛けたのか。俄かには信じられなかった。そんな敏腕のハッカーが――いや、敏腕の殺し屋なら私の隣にいる。今さら驚くには値しないか。
「どこへ向かえばいいんです?」
「福生の郊外だ。聞いてなかったのか?」
ふん、と鼻をならすヴィル。
こんな目まぐるしく展開する状況下で、一言一句を聞き取っていられるものか。そう反論してやりたかったが、止めた。
違和感を覚えたのだ。
私は他人に介入しないことを信条としている。他人に鼻先で馬鹿にされたところで、気にかけない自信はあった。だが、今は無性に腹が立つ。この男にだけは言われたくない、という謎の意地が生まれていた。
※
無言を貫くこと三十分。私たちを乗せた軽自動車は、山道を周回するような道路に入っていた。そこで目に入ったのは、『立ち入り禁止』のバーで封鎖されたトンネルだ。黄色と黒の看板も立てられている。
「そっちだ。看板は構わないから、無視して突撃しろ」
「はい」
私はもう、ほとんど緊張感というものが弛緩してしまっていた。正面から看板に突っ込む。バキリ、と音がして、看板は呆気なく破れた。トンネル内は淡い電灯が灯っているものの薄暗く、主に車のヘッドライトが頼りだ。
「本当に、こんなところにあなたの協力者が?」
「ああ。今週はここのはずだ」
「今週?」
「情報源がずっと一ヶ所にいるのは危険だろう」
言われてみればその通りだ。しかも、特殊な通信に介入するような情報源であれば。
「そこで停まれ」
ゆっくりとブレーキを踏み込む。何も景色は変わっていないように見えるが、
「車ではここまでだ。ついて来い」
との言葉に、私は従った。我ながら素直になったものだと思う。
「車はどうします?」
「盗難車として使える。ナンバープレートと外装を変えて、無線通信装備を積めば一丁上がりだ」
すると、ヴィルはホルスターから愛銃を抜いて地面を滑らせた。
「神矢、あんたは何か金属を身に着けてるか?」
「いえ。私の拳銃はあなたに破壊されてしまいましたので」
「そうか」
嫌味に動じるわけもなく、ヴィルは数歩進んで立ち止まり、愛銃を拾い上げた。
「何してる? 早く来い」
「あなたこそ、何をしたんです?」
「金属探知機の裏をかいた」
金属探知機、だって?
「車で突っ込んだり、重火器を持ち込んだりしようとすると、シャッターが下りる仕組みになってる。安全対策だ」
どうやらジャックというのは、随分と用心深い男であるようだ。腰の高さで金属製の火器を持ち込もうとすれば、シャッターは閉まってしまう。だからギリギリ探知されないように、床を滑らせたらしい。
ヴィルはすっと愛銃をホルスターに戻し、振り返りもせずに歩み出した。
しばらく進むと、洞窟状のトンネルの行き止まりに突き当たった。目の前には、金属製の重厚な扉が厳めしい態度で私たちの前進を拒んでいた。
ヴィルは迷うことなく扉に近づき、扉の右側に手を当てた。掌紋認証システムだ。すると、ちょうどすぐわきに小さな半球体が飛び出してくる。そうか。こっちは眼球の毛細血管認知システムだ。
ヴィルが右目を近づける。すると、思いの外軽い音とスピードで扉が左右に開いていった。
「おい、あんたも来い。すぐ閉まっちまうぞ」
「はい」
私は素っ気なく答えた。もう何が待っていても驚くものか。そんなやけっぱちな心境だった。さらに言えば、それだけ自身を客観的に見ることができるだけの冷静さは取り戻せた、ということだろうか。
一歩踏み込むと、ただでさえひんやりとしていた空気がより冷たくなった。背後ですっとドアが閉鎖される。今までトンネル内の天井を飾っていた照明の光も、もうここまでは届かない。真っ暗だ。
《来たな、シルヴァ? 説明はあるんだろう?》
「ああ。警視庁刑事課の人間だ。多少は役に立つ」
ジジッ、と微かな音がした。きっと監視カメラが起動したのだろう。それも光学映像ではなく、熱探知映像で。
《まあいい。入ってくれ》
次の瞬間、私の視界が真っ白になった。
「うっ……」
「おい、何やってる。行くぞ」
思いがけない光の奔流に、私は腕で目を覆った。どうやらもう一枚の扉があって、そこから光が流れ込んできたらしい。
覚束ない足取りで進みつつ、少しずつ瞼を上げる。そんな私の視界に入ってきたのは、
「何、これ……」
スーパーコンピュータ群が、堂々と鎮座していた。私の狭い視界の中だけでも、十台近い数がある。白みがかったその色彩が、真っ白な照明を反射して私の目を射抜こうとしている。
私はしばし、目を瞬かせた。そんな視界に、一筋の真っ黒な線が入ってくる。そして、近づいてくる。そうか。黒服を纏った人間が、スーパーコンピュータの間を闊歩してこちらに歩み寄ってきているのだ。
「久しぶりですね、ヴィル!」
向かってきたのは、黒を基調としたラフな格好の青年だ。人懐っこい顔つきをしている。日系人だ。
「おう、ケイン。出迎えご苦労」
「ジャックは奥でハッキングの痕跡を消してます。あの……」
するとケインは、ちらちらと私の方に目を遣り始めた。
「そちらのお嬢さんは?」
「あ、えっと……」
ここで警察手帳を見せても大丈夫だろうか? しかし、そんな私の葛藤を気にも留めず、ヴィルは
「こいつは人質だ。念のため連れ歩いている」
「へえ、そうですか」
すると、今度はきちんと私と目を合わせながら、
「ケイン・フレッジャーです。よろしく」
「は、はい」
私はおずおずと、彼の差し伸べた手を握り返した。
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