第9話
ヴィルは無線機のマイクを取り上げ、
「ジャック、こちらシルヴァ。すまない、応答が遅くなった」
《シルヴァ! 何事かと思ったぜ。無事か? 負傷は?》
「お陰様で無傷だが、生憎丸腰だ。こっちの位置は把握してるな?」
《ああ。でなけりゃ、このトラックに衛星から無線通信なんて入れねえよ》
それはそうだな、と言ってヴィルは含み笑いをした。
すると、マイクを両手で挟み、向こうに聞こえないようにしながら
「乗れ、神矢」
私は素直に従った。撃たれたらどうしようかと思ったが、『炎が盾になる』という言葉を信じて身体を持ち上げ、乗り込んだ。助手席に腰を下ろす。が、
「!」
ちょうど足元に血だまりができていた。席の背もたれにも、血痕がべったりと付着している。
しかし、私はこんなことで怯んではいられない。現場では、このような凄惨な現場に出くわすことも少なくない。アメリカで学んできたことではないか。
ごくりと唾を飲みながら、思いっきり背中を押し当てて座席に深く座った。そのままシートベルトを締める。ヴィルはマイクを正しく握った。
《おい、どうしたシルヴァ?》
「いや、何でもない。それより一つ頼まれてくれ」
《俺にできることならなんなりと》
「嘘っぱちで構わないから、この道路沿いの工場群の照明を落としてくれ」
《停電させるのか? いや、そうするとこの通信にも支障が出るな》
「そうじゃない。作業用ランプだけだ」
すると、そういうことか! という声がした。ようやく合点がいった、とでも言いたげだ。
《通信システムを活かしたまま、周囲を暗くすればいいんだな?》
「そういうことだ。狙撃手の目を潰したい」
《了解だ。二十秒待ってくれ。ケイン、仕事だ》
《あいよ、ジャック!》
そこで私は気づいた。ジャックなる人物はヴィルと同じくらいの年齢、すなわち三十代中盤といったところ。それに比べ、ケインと呼ばれた相方はだいぶ若いようだ。二十代前半かもしれない。
二人共、日本語が実に流暢だった。いや、名乗っているのがコードネームで、実は日本人である可能性もある。
するとカツン、カツンと音を立てて、電灯が発光、点滅、回転を止めた。私は再び唾を飲み込む。闇が車外から私たちを、段々と押し潰そうとしているかのようだ。
しかし、私は決定的な作戦ミスに気づいた。
このまま真っ暗になってしまったら、トラックはヘッドライトを点けねばならない。それではいい的になってしまうではないか。
「ヴィル、これでは――」
「ヘッドライトなど点けないぞ」
「え?」
鼻から息を吐きながら、ヴィルは腕組みをした。
「あのな、俺がジャックに頼んだのは『作業用ランプの消灯』だ。外灯は点けっぱなし」
「じゃあ、ヘッドライトを点けなくても……?」
「そもそもこれだけの事件が起こってるんだ、誰も近づいてきやしない。俺たちはただ、この高架橋を下りてジャックと合流する。それだけでいい」
そういうことか。思うに、警察に挟撃される前に脱出するには車が必要なのだ。だから徒歩で逃走するという手段は取りづらい。
「それに、GFも一般警察も無能じゃない。状況からして、俺たちの車が狙撃されたのは間違いないんだ。GFの存在を極力隠しておきたい警視庁の思惑からすれば、あまり連中に派手な真似はしてほしくはない」
「つまりあらかじめ、あなたはこれ以上狙撃されないと予測して……?」
ヴィルは頷き、
「さっきまでのカーチェイスだったら、幹線道路での接触事故で話はつく。だが、実際に対戦車ライフルなんてドギツイものを使われたとあっては、隠匿は難しい。できれば尾崎一人に俺を処分させるつもりだったんだろうが、生憎そう上手くはいかなかったな」
満足感も達成感も感じさせずに、ヴィルは淡々と語った。と同時に、私は自分の愚鈍さを恥じた。私はこんなに頭の回転の鈍い人間だっただろうか? まあ、仮にも人質である以上、冷静になりきれない部分はあるのだろうが。
「今頃はここと、狙撃ポイントの両方に機動隊が向かっているところだろう。俺たちもさっさとトンズラするぞ」
するとガタン、という腹に響くような轟音がして、座席が震えた。荷台が外されたのだ。挟みこむ相手がいない以上、これから先荷台は邪魔になるだけだ。
そして、唐突に背中が押しつけられるような感覚と共に、視界がぐっと前進した。
それにしても、これほど機密性の高い行為をこの国の警察が行っていたとは。機密であるということは、国民に対して後ろ暗いところがあるということに他ならない。
私はいつまでまともな警察官でいられるだろうか。
ふと、そんなことを思った。
その後、私たちは高架橋を下り、一般道へ出た。こちらも相変わらず車の往来は少ない。しかし、警察車両が勢いよく高架橋の上を爆走していくのは分かった。派手なサイレンに混じって、やや重い走行音がする。機動隊の輸送車だろう。
すると、
「神矢、また運転を頼む」
「は、はい」
慣れた挙動で座席を入れ替える私とヴィル。私はハンドルを握り、運転席に腰を下ろす。その頃には、ヴィルは前方に身を乗り出し、何やら作業を始めていた。よく見れば、先ほど使った熊手を解体し、アイスピックのようにして小さなチップを取り外そうとしている。
「何してるんです?」
そんな私の問いかけを無視して、
「ジャック、たった今GPSの設定を一般車両に変更した。少しは誘導しやすくなったか?」
《おお、だいぶ見やすくなったな。少し待ってくれ》
ヴィルが行っていたのは、どうやらGPSのチップの設定変更らしい。と言っても、GF仕様の部分を取り外すだけだが。これによって、このトラックは一般車両としてGPSに認識されることとなった。
《そのまま道なりに、内陸部に来てくれ。山道に入った方がいいだろう。福生まで突っ切ってもらっていい。細かい指示は後ほど》
「了解」
ヴィルはマイクのスイッチを切り、
「聞いていたな、神矢?」
「はい。山道を選んだのは、極力人目に触れないようにするため、ですね」
「ああ」
素っ気なくそう告げて、ヴィルは愛銃を取り出した。思わず私はドキリと肩を震わせたが、
「弾薬の補充も必要だな……」
その銃口は私に向けられることはなく、単に弾丸がシリンダーに込められるだけだった。
「神矢、前後左右に気を配れよ。俺も警戒はするが」
「分かってます」
恐怖感が薄らいできた現在に至り、私は妙な感覚に囚われていた。
一体私は何をしているのだろう? いや、コード・レッドの超凶悪犯罪者の人質であることは分かる。だがそれだけでは説明できない、何かしらの『運命共同体』とでも言うべき感覚が、私の胸中にわだかまっていた。
ヴィル・クライン――。妻を殺され、この国に復讐を誓った孤高のテロリスト。
いや、ジャックやケインという助っ人がいることからすると、必ずしも一人きり、ということではあるまい。
しかし、飽くまで彼らは『協力者』だ。ヴィルほどの執念や信念を貫き通すだけの『何か』があるとは思えない。
ではその『何か』とは一体何だろう?
私は思考を巡らせようとしたが、すぐに諦めてしまった。というより、彼への理解が拒まれるような、心理的な壁の存在を感じた。
ヴィルに比べ、私は年齢的に幼稚で実戦経験も乏しい。しかも、大切な人間の死というものの体験も浅はかだ。
私の両親の死――。
いや、今考えることではないだろう。せめてジャックなる人物のいる、安全な場所にまで到達しなければ。今はそれが、何よりも先決だ。
「ヴィル……さん」
「おい、『さん』は余計だ」
「じゃ、じゃあヴィル」
「何だ」
「その……。ジャックのいるセーフハウスまでGFに急襲される恐れはありますか?」
あれ? 本当はもっと大切なことを訊きたかった気がするのだけれど。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、ヴィルは
「そろそろ車を変えるぞ。次に見かけた車をパクって乗り換える。それでしばらくはGFの目を避けられる」
「分かりました」
私はぽつりと、了解の意を示した。
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